少女の道のり~MRMS~
「ずっと連絡が取れんのだ」と部屋に残った紀伊馬が言った。
「英莉とですか?」
「ソーサリングからの応答が無くてな。 外してるのかそれとも切ってるのか……とにかく繋がらん。 運び込まれたお前さんを見て、 嬢ちゃん激しく動揺しておったから」
冬一郎はベッドから降り立った。
焦る気持ちに突き動かされて足が扉へ向かう。
当てはないが、 とにかく探しに行かねばならない。
「その前に話したいことがある」
呼び止めた紀伊馬が、 ゆっくりと腰を上げて言った。
「少し歩こうか」
老人の誘いを無下にもできず、 冬一郎は堪えながら背中を追う。
隔離されていた病室から出ると、 いつもと変わらぬホスピタルがそこにあった。
空調を効かした空気に漂う微かな薬品の匂い。
すれ違う人の半分はフォグコートに近しい白衣を纏っている。
こうしている今もきっと受け入れているのだろう。
霧に惑い、 還れなかった者達を。
退院手続きを済ませた二人は、 正面玄関でトクマツに出迎えられた。
「マスター、 回復されたようでなによりです」
「お前に訊きたいことがあったんだ」
紀伊馬を押しのけて冬一郎が前に出た。
「なんでしょうか」
「俺が死にたいと望んだら、 お前は殺してくれるのか?」
「いいえ、 マスターは死を選びません」
即座に応じたトクマツを鋭く睨む。
「知った風な口を……お前は我々の望む結末と言ったな。 俺はこんな結末など望まなかった。 心が読める癖に俺の想いも願いも蔑ろにしたのだ。 そうだろうが機械知性!」
「……冬一郎」
紀伊馬がやんわりと制止する。 言い足りない感情を飲み込んだ冬一郎は、 それ以上トクマツに一瞥もくれなかった。
構内の両端を歩いて正門から外へ出ると、 紀伊馬は「こっちだ」と海の方角を指した。 しばし無言で歩いていた二人だが、 カンパチに出ると紀伊馬から口を開いた。
「お前さんに伝えておこうと思ってな。 情報開示の許可を取っておいた」
「伝えたいこと?」
二人は足を止めずに会話を続ける。
「真名という言葉を聞いたことはあるか」
「いいえ」
「旧時代よりもっと昔にあった習わしでな。 読んで字の如く、 真の名前という意味だ。 真名とはその者の霊的人格であり、 神、 あるいは悪魔、 妖精、 妖怪といった人外に知られたら、 霊的支配を受けてしまうと信じられていた。 そのため忌み名とも呼ばれて人前では隠さなければならなかったらしい。 その信仰文化も旧時代には廃れてしまったのだがな」
「それがどうかしたのですか」
「まあそう急くな。 この忘れ去られた一儀礼を、 儂等の時代で復活させたのだ。 名はMRMS。 とは言ってもな、 文化的要素はまるっきり受け継いでおらん。 支援制度の一形態と見なしてくれていい。 内容は真名を持つ子が成人するまでに掛かる育成費用を、 機械知性が全額肩代わりするというもの。 その上、 供給限度額は青天井。 暮らしやすい環境が約束されているのは間違いない」
「それはそうですよ。 管理支配者が保護者になったようなものでしょう」
「支援者ではなく保護者と喩えたか」
「いや……それは……」
紀伊馬は二の句を待ったが、 口ごもったまま出てはこなかった。
「……まあいい、 話を続けよう。 当然ながら真名は誰でも持てるわけではない。 契約に際してとある条件が設けられている」
「それは何でしょう?」
「申請者と対象者が血の繋がった親子関係であり、 親が子をやむを得ない事情で手放さなくてはならない場合に限る。 後々に間柄を立証させる証拠付けが真名というわけだ」
「機械知性にしてはアナログ的な方法ですね」
冬一郎は率直な感想を述べた。
普通ならDNA鑑定が定番だろうと思えたから。
「科学技術による特定は確かに精度が高い。 だがその前後に不備があると仇になる場合もある。 無限に湧く養育費に目が眩むのは致し方ない事。 出生記録の改ざんを試みる者が後を絶たんのだ。 それがどんなに残酷なことが知る由も無くな」
紀伊馬の息から雷笛が洩れる。 腹の底から吐き出したに違いない。
「なるほど、 セーフティーという役割も兼ねていると」
「形式上は、 な……」
歯切れの悪い口ぶりが冬一郎の胸に不快さを残す。
言葉にするのも抵抗を覚える程に。
「それはつまり……形骸化しているって言うんですか」
「手放さなくてはいけない事情ってやつが――死別なのだ」
「なんですって」
冬一郎の足が止まった。 紀伊馬も止めて振り返った。
「そういう訳だが、 真名を持つ子は事情を知らずに育てられる。 里親と苗字が違うのは本当の両親がいつか迎えに来るから……と言い聞かせて心のケアに細心の注意を払え、 ってな。 育成マニュアルにはそう記されておる」
「そんな嘘がずっと通じるわけないですよ」
「そう、 いずれ情報開示はされる。 成人した時にな」
「紀伊馬さん。 貴方の言ってるのってもしや……」
冬一郎の顔が困惑の色を浮かべる。
それは何かを察したような顔色であった。
「開示される情報は己の立場だけではない。 肩代わりされた養育費も負債として請求を受ける。 もちろん利子を乗せて膨れ上がった額をな」
「そいつの一体どこが支援制度なんですか! これではまるで……まるで」
怒気のこもった声が言い淀むと、 紀伊馬は腕を組んで難しい顔をした。
「お前さんの察した通り、 返済計画と称して機械知性の手足となる寸法だ。 皮肉なことに里親が教育熱心である程、 優秀で永遠の下僕が出来上がってしまう。 だがそうせねばならん。 残り少ない人口で霧の中を生きていくには、 一芸でもないとやっていけんのが現実だ。 MRMSが完了したら強制的に独り立ちさせられる。 ならば十五歳までに才能を見い出して伸ばせるだけ伸ばす。 そして願わくば非凡な才能を発揮しないでほしい。 機械知性の収集欲を刺激しないように……里親の想いと願いはそんなとこだろう。 人材確保による囲い込みにしてはな、 質が悪すぎると思わんか」
「やっぱり……そうなんですか」
無言の肯定に力無く肩を落とす冬一郎。
前を向いた紀伊馬は再び歩き始めた。
「しかしな、 ≪機械人≫の扱いと決定的に違う点がある。 それが真名だ」
「……真名」
冬一郎はハッとして霞に隠れそうな後姿を追いかけた。




