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霧には霧の火が灯る  作者: 風山十五朗
第一部 七章
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だから弓波兄妹は前を向く

 想定した中でも最悪を極められた結末に、 冬一郎の顔から血の気が引いていく。 全身の力が入らず上半身が支えられない。

 グラリと揺れて思わずベッドに手をついてしまう。

 懇願するような視線を向けても、 うなづいて肯定されるだけであった。


「君の責任じゃない。 彼の望みが叶えられたんだ」


 弓波の言葉に耳を疑った。


「死を……望んでいた?」


 うなずく紀伊馬。


「≪機械人≫というのは我々の業そのものといっていい。 死を超越するために多くの犠牲を強いる技術なのだ。 代償は人間の抱く欲求の断絶、 返済不可能な重い負債、 機械知性への絶対服従。 半分は人間であるのにもう人間としての扱いは受けられない。 力に溺れて酔っている内は気づかないが、 長く生きて酔いが醒めると理解してしまう。 この身体は死なない身体ではなく死ねない身体なのだ、 と。 彼らの中には望まない形で機械の身体になった者も多い。 その者達はどうしようもない後悔に襲われる。 そこで機械知性から救済の提案をしてくるのだ。 高難易度の特別任務を達成すれば望みを叶えてやる……とな」


「まさか……オッサンは」


「あやつの特務は≪雷神≫討伐。 ターゲットは二人の子の元母親。 しかしお前さんも見ただろう。 接触したときには母親役が入れ替わっておった……ということは≪エモテットアイル≫ですでに任務達成していたのだろう。 本人の預かり知らないところでな。 だから今回の一件は混沌としていく状況を放置して、 自分だけさっさと足抜けすることもできた。 それをしなかったのはきっとケジメをつけるためだったのだろう。 全ての責任を負って、 最後の最後まで弟弟子を誇って……そして逝ったよ」


 冬一郎は部屋にある唯一の窓に目を向けた。

 この喪失感には覚えがある。 これで二度目だ。 泪は零れない。

 本当はとっくに感性が麻痺していたから。

 そうしないと心を護れなかったから。 なのに零れてくる。

 泪が声となって口の中に広がっていく。

 掌で口元を押さえても指の間から洩れ出してしまう。

 言葉にしてはならない言葉が。


「それでも俺は助けたかったんだ……兄弟子だったアンタも……」


 詮無いことだとわかっている。 ただの言い訳だとわかっている。

 それでも零さずにはいられなかった。

 自分はどうしたかったのかを伝えきれなかった、 その悔恨を。


「彼から君へ最後の言葉を預かっている」


 そう言った弓波は微かに表情を緩めた。


「次は上手くやれ」


 冬一郎は力無くうつむいた。


「もう無理ですよ。 また助けられなかった……何もできなかったじゃないですか」


 膝に落ちた両の手を見つめる。 今回の一件で確信したことがあった。

 やはりこの手には魔法が宿っていないということ。

 あの日に誓った想いと願いはそれほどまでに不遜なのか?

 ヒーリングとはわけが違うと頭で理解しても、 心の憤りは治まらない。

 何もかもが巻き込まれて腹の底へ沈んでいく。

 まるで一つの感情を生み出すために。


「……もっと早く伝えるべきだった」


 小さく呟く声がした。


「藪影冬一郎様」


 冬一郎は驚いて顔を上げた。

 静かに立ち上がった声の主が、 背筋をまっすぐに伸ばした姿勢で見下ろしている。


「我が妹、 弓波心結の最後の言葉を持ち帰って下さり、 有難う御座いました」


 直立したまま深々とお辞儀をする弓波。

 目上の者が見せる礼節を重んじた振る舞いに、 冬一郎は気圧された。

 まるで触れてはいけないものに触れてしまったような畏怖を覚える。

 紀伊馬がつけ加えて言った。


「お前さんが継承した春風の前ユーザーじゃよ」

「あの女性が……」


 我知らず呟いた言葉に冬一郎はハッとした。

 弓波が柔らかく微笑んでいる。


「僕は情けない兄です。 どうして妹が≪エモテットアイル≫に留まったのかどうしてもわからなかった。 訃報を知らされてデジタル化された遺書を受け取っても、 そこに書かれた内容は形式的な事ばかりで生の言葉は一つも無かった。 それが辛い。 突然の死別というのは生き残った者にとって一つの試練です。 僕はこの試練に随分と苦労させられました。 折り合いをつけるきっかけをずっと見つけられなかったのです。 そこへ貴方が最後の言葉を持ち帰ってくれて、 ようやく僕は識ることができました。 子を宿した≪雷神≫を想う妹の、 そして僕が果たすべき兄としての、 願いを――」


 胸の内に渦巻いていた激流が音もなく消えた。 静寂だけが残された凪の海から、 煮え滾る泡のように次々と声が浮かび上がる。


 俺はさっき何を口走った? 亡き人を想うかけがえのない気持ちを、 あろうことか蔑ろにしなかったか? どうしてこんな大事なことすら気づけなかった? また自分のことで頭がいっぱいだったか? どれだけ同じ過ちを繰り返せば気が済むんだ。 どうしようもない半人前め。 この未熟者めが。


 やり場のない怒りで顔が醜く歪んでいく。


「その苦悩も血肉に変えて立ち上がりなさい」


 しっかりと目を見据えて弓波は言った。


「貴方には力がある。 迷い人を在るべき道へ連れ戻せる力……それは見通しの悪いこの世の中でとても稀有な才能です。 どうか大切に伸ばしていって下さい」


 投げ返される視線は弱々しい。 無理もない。

 成人を迎えて修羅場を潜ろうとも齢は十五である。

 だからこそ今度は我々大人が指し示さねばならない。

 弓波は狼狽した目に微笑みかけて膝をつく。

 震える肩に手を置き「君にならできる」と続けてソーサリングに指示を下した。 扉のディスプレイボードから消える面会謝絶の文字。

 自由行動が許されても一向に表情は冴えない。

 そんな冬一郎に留意すべきことがあると通告した。


「今回の一件は他言無用で頼むよ。 けど守秘義務を課せられている相手なら君の判断に任せよう。 例えばこれから同じクラスメートになるであろうスカラシップ生とかね」

「弓波よ。 次のミーティングまで時間が無い。 タイムスケジュールに遅れが出るぞ」

「そうでしたそうでした。 じゃあ紀伊馬さん、 後をお願いします。 ああ藪影君、 アカデミーの手続きは日を改めて宜しく頼むね」


「……はい」


 慌ただしく部屋を出ようとした弓波が、 扉の前で足を止めた。


「できれば彼女を気にかけてやってほしい。 きっと傷ついているから」


 背中越しに語られた台詞は、 冬一郎に強く刺さった。


 とっさに訊き返そうとするも、 当の本人は開いた扉から去った後だった。



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