覚悟の始まり
歩くこと数時間。
平坦だった道のりが起伏に富んできた。
霧の匂いに重厚な重みを感じさせる。
これは水の匂い。
であればこの先に二つの≪視線誘導標≫があるはず。
それは対になる小池と大池。
特に大池はかつて名勝の地と呼ばれた歴史的価値が高い≪誘導標≫だが、
≪息継位置≫としては要注意と評定されている。
冬一郎は警戒を強めながら近づく。
水辺には様々な生物が集まって来る。
当然ながらその中に≪雷獣≫も含まれるのだ。
「魂の試練は、 ここに」
フィレンツェが飛び立って霧の中に消えていった。
後を追うと灰色だった霧が暗い夜の紺色を滲ませ、
道は緩やかに下方へ傾斜をなしている。
まるで洞穴にでも飛び込むかに進んだ先は、
溜め池がぽっかりと口を開けていた。
道はそのまま遊歩道と合流して池沿いに先が続いている。
どうやらトクマツを連れていけるのはここまでらしい。
そしてもう一つアクションがあるはずだと、
ソーサリングに目を向けた。
『ON-CHARGE』
トクマツがVSSで伝えてきた。
ソーサリングもその旨≪注釈バルーン≫を立ち上げている。
思った通りだと古い記憶を懐かしむ。
祖父が元は釣り堀だと語った水源地。
間違いない。
ゴールは、
小池。
冬一郎は軽く遊歩道を散策することにした。
ただ目に入るのは元水鳥の≪雷鳥≫ばかり。
そして翼を休める足場と化した、
池の中心で一際目立つ≪異形計画≫の戦跡。
「ロマンだねえ」
浸るように眺めながら冬一郎は言った。
見た目は砲を担いだ戦闘車両に見える。
しかしトクマツとは違ってパイロットが搭乗可能な、
まさに戦車という出で立ちであった。
ただし足はキャタピラでなく四本のマニュピレーター。
立ち上がれば全長八メートルもある巨体は、
戦馬のごとく駆けて蛇鶏相手に機動戦を繰り広げたという。
それも今は昔の話。
砲はマジックスピアに、
担ぎ手は戦車から人間に替わり、
自走不能となった機体はその場で打ち捨てられるが定めとなった。
だが大型の決戦仕様ともなれば、
行動不能になろうとも動力源はまだ健在な場合がある。
中枢機能さえ無事であれば空間電力伝送によって、
あらゆる機器に被接触で電力供給が可能とされる。
結果として≪禁足二十三区≫内では闘争の傷痕というべき古戦場跡が、
≪給電領域≫として往来する人々に恵みを与えうる場と化した。
ソーサリングに給電したのは、
小池の中央に擱座している充電機であった。
「なあトクマツ、 直風はなんで給電されないんだ?」
ホログラムに映る目減りした充電率を見ながら、
冬一郎は尋ねた。
「裏試験中は適応外になりますゆえ」
「また裏かよ……実技試験は実戦形式じゃなかったんかい。 例外が過ぎるだろ」
「裏試験の方が評価高いですよ」
「理由は≪給電領域≫に籠らせないため。 だから休まずに発電し続けろ、 ってハッキリ言え」
「勘のいいマスターは話が早くて助かります」
「お前のせいだからな。 何でもかんでも人を試しやがって……」
冬一郎はぶつくさとぼやきながら池の周囲を一周したが、
フィレンツェの姿はどこにも見つけられなかった。
どうしたものかと≪雷鳥≫を眺めていると、
一羽が池に打ち込まれた杭に飛び乗った。
杭は飛び石のように転々と続いていて、
目で追っていくと杭に乗っている人の姿が二つ見えた。
冬一郎は警戒心を出さず自然体に話しかけた。
「おーいキミ達ちょっと訊きたいんだけど。 ここらで酷く怪しい鳥を見なかったかい」
相手はフォグコートを着込んでフードを被っているものの、
百五十も満たない背丈は一目で幼い子供だとわかる。
まるで昔の誰か達みたいだなと苦笑いすると、
二人の子はひょいひょいと杭を飛んで向こう岸へ渡ってしまった。
「マスター、 心を平穏に」
「ああ、 もう一人いるな。 わかっている」
……大きな音をたてちゃいけないよ。
ビックリして逃げてしまうからね。
だから静かに近づきなさい……。
冬一郎は遊歩道を歩きながら、
祖父の言葉を思い出していた。
だが相手は野鳥ではない。
大きな音をたてないのは当然として、
逆に音を殺し過ぎてもいけない。
いつもの自然体で接するのだと歩を進める。
飛び杭の終点となる場所まで回り込むと、
二人の子が待っていた。
三人目も一緒にいる。
全身フォグコート姿で手にはヒルマキタイプのマジックスピア。
背丈は槍の柄長より頭一つ分高い。
おそらく百七十くらいはあるか。
深く被ったフードの下は細い顎に上品な薄い唇。
すらりと伸びた身体が自然なラインを形作る。
大人の女性で間違いない。
間違いはないのだが、
冬一郎には違ったものが見えていた。
身体的特徴など些細なものだと、
そう言わんばかりの凝縮された空気を彼女は身にまとっている。
この感覚は見覚えがあった。
百春が生体電気を体中に満たした霧の祝福だ。
しかも彼女の祝福は百春の比ではない。
淡いゆらぎがハッキリと目視できるほど濃い状態で、
蓄積された電気量がどれほどのものか想像もつかない。
確実に言えることは暴走したらこちらも一巻の終わりだろう。
それでも冬一郎は歩みを止めない。
初めから会話をできる距離までは近づくつもりでいた。
問題は彼女の能力ではなく意図だ。
近寄るまで気づけなかったのは、
彼女が隠していたからにほかならない。
なぜだ?
心の平穏が乱されるのをグッと堪える。
「人の子よ、 汝はいかんとする」
フィレンツェが羽音を立てて彼女の槍先に止まった。
赤い鳥の問いに冬一郎は思い出す――竜の話の続きを。
祖父は語った。
もしも異形の中に竜と呼べる存在がいたら、
それはとても危険な存在であるだろう。
霧の中で竜の有無を確認する術など無い。
だから心がけなさい。
危うきに近寄らず……そのために授かった鬼の眼だと、
これまでずっと信じてきた。
しかし今は違う。
目指すは≪禁足二十三区≫の深部。
そこで誰だかわからない相手を探す。
もしかしなくても祖父から継いだ願いは、
十分に危ういのではないか。
それゆえ冬一郎はこの一点において祖父の教えを背いている。
近寄らねば危うきかどうかもわからない……。
そのための鬼の眼なのだと。
だから水竜を見たときにある種の確信があった。
自分は祖父に問われている。
藪影辰彦が見定めようとしている。
藪影を継いだ自分はあのときのままか、
それとも――。
冬一郎は胸の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
闘志や勇気といった焼けるような激しさは無い。
風のない水面のようにどこまでも穏やかである。
彼女と十分に近づいた。
じいちゃん、
見ててくれ。
これが俺の答えだ。
お読みいただき、ありがとうございました。
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