フィレンツェの誘い
赤い鳥の目的を問い質す前に、 自己紹介も兼ねて名乗らせてみた。
「我が名はフィレンツェ。 夜に謳うものなり。 人の子を導くためこの地に来たりし。 偽りの躯をもって我は汝と赤き世へ旅立たん」
「なるほどわからん」
いや名前だけはわかったのだが、 それ以外がさっぱりだった。
「まだ早いです」
珍しくトクマツが食い下がって具申してくる。
聞き届けてやりたいのは山々だが、 フィレンツェの企みをうやむやにしておく方が不味い気がした。
「……時は来たれり……汝、 彼の者の呼び声に応えよ。 応えし瞳だけが偽りの世を越えて赤き地へ至る道を知る。 人の子よ、 目覚め、 そして見よ」
「見せたいものがあるからついて来いてこいって意味でいいか?」
この機械知性体はトクマツより面倒だと思ったが、 思考を読まれたらもっと面倒だと思い直し、 すぐに心を無にして大人しく従った。
フィレンツェに連れて来られた場所は、 住宅街にポツンと開いた小さな公園跡だった。 この≪息継位置≫なら何度か立ち寄ったことがある。
しかしこれといって特別な印象は無い。
ずっと飛び続けていた赤い鳥がようやく水飲み場に止まった。
「水の祭壇に借り染めの槍を捧げよ。 杯に汝の証を満たせ。 そして、 見よ。 今再び古き竜は甦らん」
「ほほぉ……竜ときたか」
フィレンツェの言葉に従って、 水が集まる器へ直風を近づけた。
「ブレード」
マウントユニットが回転してブレードカートリッジをアクティブに切り替えた。
だがスピアが刃を形成するよりも早く、 排水口内から白銀のスピリルが噴き出して一つの形に錬成されていく。
大きな丸い頭に太い胴。 短い四肢に長い尻尾。
「見よ。 恵みの水枯れようとも、 水竜は大地の一部となってあり続ける」
錬成された古き竜はオオサンショウウオだった。
これには冬一郎も苦笑いをするしかなかった。
祖父が健在だった頃に冬一郎は尋ねたことがある。
霧の中には様々な化け物がいたが竜はいないのか、 と。
祖父は「この気候じゃあどんな化け物でもヘンオンはちょっとキビシイかもなあ」と答えた。
そうなのかとガッカリする自分に祖父は一つの生物を錬成してみせた。
そして言った。 「こいつなら水の中にいるかもな」と。
「なるほどなるほど……そうだったか」
冬一郎は笑った。 笑わずにはいられなかった。
祖父の意志を継ぐにあたって、 願いを果たすのに生涯をかけるつもりでいた。
そのためのスカウト・プログラム志望であったはずなのだ。
まずはスカウトになって≪禁足二十三区≫内の立ち入り許可を得る。
そして祖父が現役時代に潜ったとされる都心深部で足跡を探す。
祖父が半生を賭けて見つけられなかったのだから、 それぐらいの行程と覚悟はするべきだと思っていた。 なのにこれはどうしたことか。
まさか試験の最中で祖父の痕跡を見つけてしまうとは。
いやあの祖父が見つけられなかったのだからいきなり当たりは引かないだろう。
それでもヒントくらいはあるかもと期待は持てる。
この瞬間、 冬一郎の中にあった今すべき優先度は逆転してしまった。
「マスター試験に戻りましょう」
察したトクマツが諫めてくる。
「すまん。 これだけは見過ごせない。 まだ時間もあるし、 俺は確かめたいんだ」
冬一郎は器から離した直風を肩に担ぎ直した。
オオサンショウウオが砂のようにさらさらと排水口へ流れて消えていく。
そのまま祖父の痕跡は跡形も無くなってしまい、 役目を終えた水飲み場は以前のまま静かに佇んでいる。
「人の子よ、 汝はいかんとする?」
「案内しろフィレンツェ」
「仕方ありません。 お供しますマスター」
「……ありがとうトクマツ」
「これも亀の務めなれば」
フィレンツェは再び直風の先端に止まった。
スピアのフレームがズシリと肩に食い込んでくる。
まるで原始的な巨大ハンマーでも振りかぶっている気分だ。
無造作に振り下ろして地の構えを取ると、 今度は頭のてっぺんに止まった。
首がめり込みそうな冬一郎はずっと気になっていたことを重たい鳥に尋ねてみた。
「なあフィレンツェ。 お前いったいどんな理屈で飛んでるんだ? 羽ばたきだけでその重量はちょっと持ち上げられないだろ」
「情報制限がかかっています。 人間様は開示条件を満たしていません」
二機の機械知性体が口をそろえて拒んだ。
さっきの口喧嘩は茶番なのかと訝しむ冬一郎。
そしてもう一つの懸念が脳裏に浮かぶ。 それは登壇計画書からの逸脱。
「……すまない。 帰りが遅くなりそうだ」
カマタで待つ少女へ詫びるように呟いた。




