息継位置で軽食を
オニタビを北上した冬一郎は、
横道に入ってとある公園跡に行き着いていた。
周囲を遮蔽物に囲まれつつも、
脱出の邪魔になりそうな障害物は無い。
警戒さえ怠らなければ一時休憩に最適な場所を、
≪息継位置≫と呼ばれている。
難点は一つ。
環境上≪雷獣≫との遭遇もありえるので、
安全を確認しなければ利用できない。
ゆえに敷地外から辺りの探りを二度入れる。
気配は無し。
更に敷地内を一回りして隠形を排す。
待ち伏せも無し。
念入りに三重チェックを終えた冬一郎は、
手頃のベンチでようやく一息ついた。
おもむろにフォグコートの内ポケットへ手を伸ばす。
取り出したのは栄養補助のブロック菓子。
それを一欠片つまんで口へと運ぶ。
カリカリしっとりと慣れ親しんだ食感が、
体力を回復しているという実感を与えてくれる。
ただ懐に忍ばせていたもう一つには手をつけなかった。
それはアルミパウチの携帯飲料水。
こまめな水分補給はとても重要だ。
日常生活や運動時と同様、
霧中行軍のパフォーマンス維持にも貢献される。
だが一部のスカウトは≪超常的な霧≫を体内に取り込む際、
≪不透明な物質≫とは別に水分として吸収できる者がいた。
彼もまた祖父から仕込まれた呼吸法の一つ、
露飴を用いて脱水症状を抑制していた。
そして飲まない理由がもう一つ。
冬一郎は煙るような月にふぅと息を吹く。
祖父が他界した日もこんな朧月夜だった。
悲しみに堪えきれず家から飛び出したのを、
つい昨日のことのように覚えている。
いつもと変わらぬ霧なのに足取り重く当てど無く、
感情に流されるまま彷徨ってるとうずくまっている人影を見つけた。
大人の女性だ。
辛そうに肩を上下させていて、
息を吐くたびに白い稲光が閃いている。
間違いなく霧中毒の症状。
消耗具合から脱水症の気もある。
これはかなりの重症だと診断を下したときだった。
――おやおや、 どうしたんだい?――
どこかで声がした。
情味のある老成した語勢。
もう二度と聞けないはずの心配り。
耳を澄ましても出どころは掴めない。
それもそのはず。
声の主はもうここにいないのだから。
そう頭ではわかっているのに、
どこかで認めようとしなかった。
すがるように手を当てたのは心の在る場所。
確かにここから聞こえた。
しかし掌に届くのは高鳴りの響きばかり。
もう声はしない。
なのにハッキリとわかった。
自分がこれからすべきことを。
そして……これが最後の授業であることを。
淋しいという気持ちは正直あった。
しかしそれに勝る託されたバトンの重みが、
独り立ちを強く後押ししてくれた。
そして運命は終鈴と共に訪れる。
≪エモテットアイル≫レポートが報告されたのは、
僅か半年後のことであった。
「……それにしても遅い」
食べ終えた菓子はすでに二本を数えている。
三本目の誘惑はとても甘美なもの。
熾烈極まる葛藤に苛まれていると、
ようやくトクマツがやって来た。
トロトロと機体を出入り口へ横付けし、
ノロノロと脚を畳んで乗降姿勢をとった。
「お待たせいたしました、 マスター」
「まったくだ」
待ちぼうけをくらって不満を口にする冬一郎。
その声色に含むモノを目ざとく見つけて、
機械の目は瞬くように光った。
「なにか思案を巡らせていたご様子。 なにを考えていたのでしょう」
「当ててごらん」
目が赤くなった。
レッドシグナル。
心の中を正しく読み取ったようだ。
「なにゆえ、 なにゆえここで、 グランドマスターが出てくるのでしょう」
「最近のお前は独断が過ぎると思ってな。 ここらで一つ再調……調整しようかなと」
「見え透いた言い直しです。 調教しようとしてますね? 亀虐待です!」
「おかしなことを言う亀だねえ。 英莉が虐待なんてするわけないし」
「わたくしめはマスターのためによかれと思って事を成したのです。 マスターが優れた力量を示したのは事実であり、 亀は評価を上げるのに貢献したではありませんか」
「うるさい」
「はい」
すっかりしょぼくれたトクマツは甲羅の中に隠れてしまった。
「……まあ、 いい。 ここまでは大目に見てやる。 だが次はわかってるな?」
「イエス……イエス、 マイマスター」
亀の首がニョキニョキと生えて大蛇のごとく冬一郎に巻き付いた。
首ってこんなに伸びるものなのかと感心しつつ、
モデルがゾウガメって嘘だよなと頭の片隅で思った。
そして即思考停止。
無の境地で身を守った。
合流を果たしたふたりは今後の予定を立てることにした。
冬一郎にとって一回目の逃げ切りで、
蛇鶏が一羽も追ってこなかったのが誤算だった。
二回目も追ってこなかったらノーカウントになると、
トクマツが忠告してきたのだ。
三回キッチリ逃げ切るには熱心に追いかける蛇鶏が望ましく、
そのためには新たなコロニーを見つける必要が出てきた。
しかしもう目星はついている。
ここから北東のウメヤシキを上った地、
オオモリに大きな建築群があった。
そこなら蛇鶏の巨体をも覆い隠すことが可能なはず。
問題は三つ目だ。
危険は増すがオオモリから更に北へ上るか、
広範囲に手つかずの西へ伸ばすか……。
いずれにしても試験初日でノルマ一つをこなしたのだから、
このまま手ぶらで休息に戻るのはもったいない。
冬一郎は後々のためにも布石だけは打っておきたかった。
両の拳を握って開く。
指先に痺れは無い。
霧の中毒量に達するまでだいぶ余裕がある。
方針は決まった。
行先は、 西。
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