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睦幻行路

 残りの足で這い上がるためにも、 まずはできることをやろうと決めた。


「ちょっと待ってろ。 鑑別のノルマ残り二つを手早く終わらせるからさ」

『やってもいいですけど三回きっちり逃げ切ってもらいますよ』


 二羽目に挿し込もうとした手が止まる。


「……なんで?」

『そういう決まりですので』

「三羽を鑑別すればいいって弓波さん言ってたじゃん」

『それ表試験なんで忘れて下さい』

「今から表へ戻すにはどうすれば?」

『できません。 難易度は強制上昇の一方通行です』


 トクマツの敷いたレールには一糎もの抜け出す隙間がなかった。

 同時に三回を強いる理由も理解できてしまった。

 要はビギナーズラックを排したいのだろう。

 おそらく一度のトライに三回鑑別できそうな受験生をそれとなく裏に誘導する。

 二段構えの意図をくみ取ってしまった冬一郎はもう抗えないと観念したが、 この亀を後でどうしてくれようかと策謀せずにいられなかった。

 とにもかくにも逃げ出すと決めたら下準備をしなければいけない。

 着崩れたフォグコートをなおして低視認性を確保、 それから直風を折り畳んで取り回しを良くする。 次は脱出口を探すのだが、 その前に……。


「直風をいじりたい。 機械知性体トクマツに上位権限申請」

SUDOスーパーユーザー・ドゥ受理』

「ユーザーリスト参照。 名前だけでいい」


 直風がホログラムでウィンドウを開いた。

 使用可能者の一覧が表記されている。


CATコンカチネイト展開。 新規登録者が追加されています』

「地の構えのときに仕込まれたな……まあいい、 削除しろ」

『よろしいので?』

「マジックスピアは外部提供する環境情報の一つに現在位置情報があるはずだ。 あのオッサンが本当にじいちゃんの弟子だったのなら、 俺の判断を正しいと認めるはずだ」

『わかりました。 USERDEL完了』


 冬一郎は気を取り直して壁伝いに歩いていく。

 開きっぱなしのシャトルドアをくぐると通路を遮る白羽の壁が現れた。

 巣箱の中にいる雛鳥を護るために、 親鳥が外側から出入口を蓋しているのだろう。 それでも羽装の厚みによって完全に塞げてはいない。

 人一人分の隙間を見つけた冬一郎は羽毛をかき分けて通り抜けた。


 屋外に出ると昼間とはうってかわって透明感の無い灰色の世界だった。

 夜霧が星の光を拡散させて淡く照らしている。

 夜目の利かない蛇鶏にとってプラスに作用する環境下、 逃げ出したことがバレる前にできるだけ距離を稼ぎたいところ。 ただし焦りは禁物。

 寝ている親鳥達の間を縫いながら、 音を殺してゆっくり歩を進める。

 レンガ造りの門へ差しかかった時、 背中越しに擦れるような羽音がした。

 反射的に門の陰へ隠れて視線を切る。 追手の有無を確認する暇はない。

 とにかく道路に出ると全速力で駆け出した。


 蛇鶏相手に真っ当な駆け競べでは分が悪い。

 その上、 行く先で交差しているオニタビという通りは、 蛇鶏の脚力を生かすのに申し分ない広さと長さを持つ。

 この二点を踏まえて登壇計画書に逃走エスケーププランを記した。

 もしも追跡されたら右折して一旦オニタビを北上する。

 カマタから十分に引き離したら横道に逸脱。

 細い道を選びながら本格的に追手を撒く。

 当然ながら跳躍力の警戒も怠らない。

 コロニーからオニタビまでの距離は一息で届く。

 二羽目が飛翔してきたら着地点を見極めて躱す。

 そして躱した後は足を止めないように留意すること。

 普通の人間はここまで行程を計算しなければいけない。

 だが百春は一行程で解決する離れ技をスカレポで披露した。

 とても稀有な才能だと冬一郎も認めてはいる。

 しかし霧の鬼ごっこであれば誰にも負ける気はしなかった。

 なぜなら祖父を相手に逃げ回って追い回した稀有な経験こそが、 己の確固たる自信の証であったから。


 冬一郎は走りながら登壇計画書を反芻する。

 マップで下調べした通り直線は短い。 すぐに交差点だ。

 後方へ流れていく左右の建造物が途切れた。 今だ!

 右へ曲が――ろうとして、 足が止まった。


 後方から地鳴りと風音がしてこない。

 追手を振り切ったにしてはあまりにも静かすぎる。

 確かに羽音はしたのだが、 また眠ってしまったのだろうか。

 コロニーのある方向に意識を向けて耳を澄ます。


「……哭き声がする」


 それは初めて聞く声だった。 喉の奥から絞り出すような深い悲し気な声。

 それは坊やを呼ぶ母親の声みたいに聴こえた。

 ならばなぜ呼ぶだけなのか。

 コロニーから出て探し回ってもよさそうなものなのに。


「なぜ俺を追いかけてこない」


 トクマツは答えない。 無言の意味が、 頭でなく心でわかってしまった。


「俺が迷子じゃないって……初めから知ってたのか」


 トクマツは答えない。


「知ってて、 招き入れて……受け入れてくれたのか」


 なにも答えない。


「それなのに、 俺は……」


 冬一郎はフォグコートのフードを脱いだ。


「ごめん……本当にごめんよ」


 下げた頭は悔恨で重く、 良心の針がチクリと咎めた。


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