名も無きモノが背を向けたもの
「ヒヨッコが問題じゃない。 連れている機械知性が問題なんだ。 あの歩く管理支配者は一部の人間には煙たがられる存在だからな」
それはわかると冬一郎は思った。
機械の目にビクビク怯えるくらいなら、 いっそ身に余るモノを抱えなければいい。
知足安分。
この境地を会得したのもトクマツに鍛えられた賜物だろうと、 若干達観めいた笑いが出た。
「かといって逃げ回るわけにもいかんでしょうに。 そこまで怖いもんですかねえ」
「まあ、 人それぞれってな。 だからウメヤシキの構内に踏み入らなかったのは正解だぜ。 後ろ盾がいないフリーをつけ狙う輩にとって、 春は絶好の狩猟シーズンだ。 狩場を乱されると余計な恨みを買いかねん」
「なるほど。 今の旬はヒヨッコってわけね」
冬一郎がため息をつくと、 その通りだとナナシは指差した。
「霧の中じゃビギナーズラックってのがなかなかどうして馬鹿にならんもんでな。 玄人には見つけられんお宝を素人が偶然手に入れることなんてままあるんだぜ」
「それを掠め取りにくると?」
「友好的に近づくヤツもいれば暴力にモノをいわせるヤツもいる。 互いが得になる提案をするヤツもいれば騙し取ろうと一芝居うってくるヤツもいる。 相手は試験だけじゃない。 声をかけてくるヤツにも十二分に気をつけなければならんのだ」
「で、 オッサンは四つの内どれなのさ」
問われたナナシは待ってましたと高笑いした。
「いいぞ、 それでいい。 もっともらしいこと言う輩に油断すんなよ……と言いつつ厚かましく答えるとだな、 オレは五つ目だ。 基本雑魚に興味ナシ。 ただジジイの後継がどんなヤツか面を見に来た。 それだけだ」
「お眼鏡に適いましたかね?」
冬一郎も厚かましく尋ねてみた。
「ハッ、 オレから見ればキサマなんぞまだ卵の殻を被ったヒヨッコよ。 いいかヒヨッコ、 自分の殻を破ろうと足掻いてこそ人間だ。 藪影だけで満足するんじゃねーぞ」
「だから俺は世界を広げに来たのさ」
殻は一枚だけではないと説いたのだろうが、 冬一郎にとっては望むところであった。 祖父を継ぐにはもっと感性に磨きをかけなければならない。
二人と一匹で禁足地を巡っていたときに得ていたあの絶対的な安心感。
それを欲しているのだから。
「いつかジジイの道を見い出せたとき、 己の往く道も見えてくるだろうさ」
「えっ」
冬一郎は思わず聞き返したが、 ニブいヤツだとナナシは応じなかった。
「半人前の内は小難しく考えずシンプルでわかりやすい目標にしとけ。 常に求めろ、 鍛えろ、 そして高みを目指し続けろ。 がむしゃらにだ。 いいなヒヨッコ」
「精進します」
「ホラ、 連れが来たぜ」
遅れていたトクマツが道の向こうから歩いてきた。
首を伸ばしてこちらをうかがっているように見えたが、 いつもの人間観察だろうと冬一郎は気に留めなかった。
そのまま甲羅の上に乗って、 ふっと思いついたことをナナシに尋ねた。
「オッサンはトクマツを怖くないんで?」
ナナシはスピアを地に衝いて立ち上がった。
「オレは任務に忠実だ。 後ろめたいことなど何も無い」
「流石だね」
「フン、 もう往け」
ターゲットはこの先にあるとナナシは脇道を指差した。
「いろいろと勉強になりました」
礼を言って去っていく背中を見送ると、 ナナシはまたガードパイプに腰を下ろした。 スピアを自分に立てかけるように抱えて辺りを見回す。
何もない光景。 誰もいない静寂。
長く親しんだ孤独感であるが、 今だけは微かに薄らいでいる気がする。
それが外面ではなく内面の働きかけだと彼はわかっていた。
「自分の殻を破ろうと足掻いてこそ人間よ……では機械になった人間はどうなんだ」
冬一郎に説いた言葉を己に問い返す。
機械の身体はとてもいい。 生身より力は出るし頑丈だ。
酒を煽るように飲んでもアルコールが残らないところが実にいい。
最初はそう思って人間という殻を破った優越感に浸っていた。
だが今は違う。 運悪く生き残ってしまったばかりに、 考える時間を得てしまったのが間違いだった。
最初に感じた違和感はスペックだ。
機械にはスペックが備わっており、 最高出力という限界仕様が設定されている。 裏を返せば絶対に破れない殻を得てしまったことになる。
それから偽名。 本来名前とは己という個を識別するためにあてがわれる物だが、 身分証に記載された文字列はなんの意味も持たないただの記号だ。
名無しの権兵衛には由来が諸説ある。
その一つに大昔の遊郭が遊女の身を隠す際、 男性名を騙らせていたという説があった。 翻って自分は何の身を隠すために騙っているのだろうかと思い悩む。
どうやら人機一体となって長く生きると、 境界線が曖昧になってしまうらしい。 酒を飲んでも酔えない身体すら、 辛い現実を直視し続けろと強いているように思えてならない。
ナナシは自分の偽名を見るたびに考える。 オレは人間か? 機械か?
「あんなヒヨッコに問おうなどと」
感傷を振り払うように頭を振る。
「今日はどうかしている」
問うべき相手はすでに霧の中だった。




