表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/49

試験日の朝

 本日は晴天なり。 されど霧深し。

 旧時代の幹線道路跡をひた歩く白いフォグコート姿があった。

 この道はかつて五街道を継承する一つとして知られ、 主要都市間を結ぶ重要道路として多くの車両が列を成していた。

 そして時が移り一帯が霧に包まれた現在は、 実質上の歩行者天国と化している。

 走行する車がいなくなれば街路整備する理由も無くなり、 放置された路面状態は天国とは程遠い悪路のソレであった。


「トクマツ、 ついてきてるか」


 背後を気にするように、 冬一郎がソーサリングで呼びかけた。


『後方三百メートルを追走中です』

「なんか徐々に離されてるぞ。 せっかく広いイチコクを選んだっていうのに」

『データリンクは良好です。 バックアップに支障はありません』

「だけどなあ……一旦どこかで合流するか」

『仰せのままに……それとマスター』

「わかってるよ」


 この先に人が居る。 霧で見えないが居る。

 己の存在を隠すことなく誇示するでもなく在るがままに立っている。

 人と自然の調和が保たれた品格といっても過言ではない。

 この境地に達した者は祖父のような手練れに多いが、 冬一郎は臆することなく歩み寄った。 この空気感はすでに見知っている。

 前もってフォグコートのフードを脱いだ。


「おはようさん。 調子はどうだい」


 紀伊馬から声をかけられて、 冬一郎はあわてて一礼した。


「おはようございます紀伊馬さん。 どこも問題ありません。 絶好調です」

「そのようじゃな。 結構結構」


 挨拶を交わした二人は肩に担いだ槍を並べて歩き始めた。

 道なりに北上しながら天気やニュースといった他愛のない話をしている内に、 試験の北側スタートラインである≪視線誘導標≫が見えてきた。

 時刻は八時四十五分。 試験開始まで残り十五分。


「それにしても紀伊馬さんにここまで見送ってもらうなんて恐縮です」


 冬一郎はこれまでの謝意を述べると、 紀伊馬は気にするなと手を振った。


「儂は儂の役目で来ておる。 スタートラインの安全を確保して、 お前さんが提出した登壇計画書どおりに出立したか見届けるためにな」

「そうだったんですか。 ありがとうございます」


 それでも素直に感謝するので「ゴホン」と咳払いを一つ挟んだ。


「……まあ、 それだけではない。 お前さんに一つ訊きたいことがあってな」

「なんでしょうか」

「今ここで言うべきではないのだろうが……スカウトの成り手は本当に少ない。 重要な役目を担っているにも拘わらず、 地味で危険に見合った対価を得られないのが現状だ。 故に歳ごろの男子はほとんどが、 見栄えも金も派手な戦闘専門職のファイターを志す。 しかしお前さんはスカウトを選んだ。 なぜだ?」


 紀伊馬は言葉を飾らず、 あえて厳しい現実を口にした。

 試験には複数のスタートラインを設けているが、 開始間近なのにここ北側では冬一郎一人しかしない。

 ライバルがいなかったと前向きに捉えようとも、 同じ境遇の仲間がいなかった寂寞の思いを払拭することはできないだろう。

 それだけ霧の中では孤独感が色増していくものだ。

 にもかかわらず数々のネガティブ要因をはね除ける、 彼の夢とはいったいどういうものなのか。

 弓波に薦められてからずっと、 その解答に紀伊馬は惹かれていた。


「祖父が亡くなる前に、 一つだけ悔いがあると語ったことがありました」

「それは?」

「駆け出しだった頃、 ≪二十三区≫内の深部で大変世話になった方がいたそうです。 別れ際に御礼の一つも言えなかったから、 もう一度逢うためにいろいろ手を尽くしたけれど、 とうとう叶わなかったって淋しげな顔をしていました」

「辰彦がそんなことを……儂は初耳だ」

「祖父は愚痴をこぼすことがあっても、 弱音を吐く人ではありませんでした。 だからぼくは少なからずショックを受けました。 あんなにバイタリティ溢れていたのが、 肉体に次いで精神も弱ってきていると実感として悟ったのですから。 なんとか元気づけようと思案したぼくは、 一つの約束を交わしました」

「なんと?」

「じいちゃんの代わりに御礼を言う、 と」


 冬一郎は今でも忘れない。

 寝たきりになって床から離れられなくなった祖父が、 やせ細った手を必死に伸ばして自分の頭をくしゃくしゃに撫でてくれた……あの笑顔を。

 だから冬一郎は問われる度に決意を語る。


「ですからぼくは、 ありがとうを伝えるためにスカウトを目指してます」


 そうだったのか。 紀伊馬の感想はその一言に尽きた。

 極めて個人的な理由であるが、 顕示欲みたいな嫌悪感はない。

 ありのままの我を見せられてなお、 どこか心温まる気持ちにさせる。

 なるほど確かに直接話をしなければ、 彼が秘めていた情緒を得ることはできなかっただろう。

 この心延えの清々しさこそが、 藪影冬一郎なのだと紀伊馬は解し得た。


「おっそーい! 三十分前行動!」


 咎めていながらどこか茶目っ気のある声がした。

 手にはマジックスピア。

 着込んだフォグコートはフロントがしっかり閉じられている。

 辿り着いたスタートラインには物々しい雰囲気の百春が待っていた。


「これはこれは百春さん。 わざわざお見送りに来て下さるとは恐縮の至り」

「オハヨウゴザイマース。 ヤブカゲくぅーん」


 彼女は機械的な喋り方で応える。 含みがあるのは間違いなかった。


「お、 おはようございます……どうしたんですか今日は」

「だーって冬一郎さんってば、 朝起きたら居なくなってたんだもん」

「ほーぅ」


 紀伊馬の眉がピクリと動いた。 思わずたじろく冬一郎。


「寝るときは二人一緒だったのに朝になったら置き手紙が一枚だけ。 ううん別にいいの、 広いベッドは冷たくて淋しいけど我慢する。 いつかきっとわたしに振り向いてくれるその日まで、 お茶を淹れながらずっとずーっと、 独りで待ち続けますからヨヨヨ」

「なにがヨヨヨだ! 違うんです紀伊馬さん何もしてないですよ本当です信じて下さい! てかなんでそんなドロドロに喩えるんだよお前は!」

『スタート一分前です』


 会話を遮るようにVSSが発せられた。

 これは試験開始の秒読みアナウンス。

 トクマツがデータリンクで引っ張ってきたのだ。

 時間は刻一刻と迫ってきている。


「そろそろだな。 お別れだ、 英莉」


 突き放すような言葉に、 百春は表情を強張らせた。


「待って」


 彼女らしからぬ不安が雑じった声色。


「じっとしてて」


 冬一郎の前に立った百春は、 フォグコートが乱れてないか確認していく。

 フードを被せて、 襟を立たせて、 裾を伸ばす。

 最後に汚れやめくれがないかくるりと一回り。

 フォグコートを整えるのは霧迷彩の同化率低下を防ぐためで、 冬一郎を送り出すときに必ず行う安全祈願の儀式でもあった。

 触れるたびに言いようも無い渇望が渦巻く。

 最後の確認を終えたら彼は遠くへ行ってしまう。 わかっている。

 自制しなくてはと理性が囁くも、 本能がそれを許さない。

 飢餓感にも似た言葉が口から零れてしまう。


「ねえ、 わたしもついていっちゃだめかな。 邪魔しないから」

「……お嬢ちゃん」


 思わず声をかける紀伊馬。

 冬一郎は薄く微笑んで「だめだよ」と言った。


「だめ……かな」

「だめ」


 冬一郎は言い聞かせるように百春のフォグコートを整えていった。

 うつむく彼女の顔を見ながら諭すように話す。


「これは俺の試験だ。 俺だけでやらないと意味がない。 そうだろう?」

「そう……だよね、 ごめんなさい。 何言ってるんだろう……わたし」


 冬一郎が手を離す。 二人の儀式が全ての細目を終えた。

 もう時間がない。 三、 二、 一……。


『ゼロ。 試験開始時間です』

「それじゃ行ってくる。 紀伊馬さんもありがとうございました。 来いトクマツ」

『はいマスター』


 相棒を呼びかける後ろ姿に、 百春は小さく手を振った。


「気をつけてね」


 遠ざかる背が振り返った。

 左右に揺れてた手が止まる。 淡い期待を抱いてしまう。


「お前もな、 英莉」


 そう言って冬一郎は手を挙げると、 二度と振り向くこと無く霧の中に消えていった。


「儂らは信じて待とう」

「はい」


 紀伊馬の言葉にうなずきながら、 百春は胸にそっと手を当てて、 そして思う。

 期待していた言葉とは違ったけれど、 今この瞬間だけは彼の想いと重ねることができた、 と。

 ささやかな慰めであるが、 今の彼女はそれだけで十分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ