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冬の足音は振り出しを巡る

「スリープモードですか?」


 そう声をかけられて、 藪影冬一郎やぶかげとういちろうは目を開けた。


「寝てないよ」


 顔を上げて外界に意識を集中する。 周囲に気配は感じない。

 真っ白い世界に一人きり。 大岩に腰をかけたまま時間だけが流れていた。


「どこか不調ですか?」


 見えない相手が心配そうにたずねた。


「ちょっと昔を思い出していただけさ。 ここら辺はよく歩いたからな」

「俺の庭、 というやつですか?」

「庭にしちゃあ殺風景だけどな」


 まわりは一面の霧景色。 幻想的といえば聞こえがいいが、 変化の無い風景というのは飽きが早い。 それが日常ともなれば風情や趣など感じられるはずがなかった。

 質問者が再び口を開く。


「ここで何をしていたのですか?」

「ここでか?」


 冬一郎は空を見上げる。 変わらぬ太陽がそこにあった。


「じいちゃんが連れてきてくれたのさ。 霧の中は驚きと楽しさがいっぱいだってな」

「いっぱいありましたか?」


 羽織っているフォグコートが小刻みに震えた。 ふっと笑いが洩れる。


「あったあったいっぱいあったよ。 完全に別世界じゃんって面くらったさ。 ここは現実じゃないのか? 実は魔界や異世界なのか? 昔はそう真剣に悩んだもんさ」

「あながち間違ってませんけどね」

「そうだな。 悩むだけ無駄だった」

「いいえ、 無駄ではありません。 大いに悩むべきです。 懸念すべき点はただ一つ。 答えに辿りつけるかどうかです」

「答えねえ」

「辿りつけましたか?」

「慣れてしまえば、 どうということはない」

「それはいけない兆候です。 感性が麻痺します」

「だから世界を広げに来たんじゃないか」

「なるほど。 よい兆候です」

「調子のいいやつめ」


 冬一郎は会話を区切るとひとつ息を吸った。 十年前と変わらない霧の匂いがする。 懐かしい刺激を頼りにまた古い記憶を手繰ろうとしたら、 例の声が割って入ってきた。


「いけません。 そろそろ時間です」

「時間? 時間ってなんだ」


 今度は質問ではなく忠告。 何事かと冬一郎は問いただした。


「停車限界時間です。 速やかにここから移動せねばなりません」

「停車? なにを言ってるんだ」

「これ以上留まると駐車とみなされて道交法に抵触します」

「ドウコウホウ?」

「道路の交通ルールです。 車両で違反するとペナルティが発生します」

「お前は車じゃないだろう」

「いいえ。 車両扱いです。 ささ、 移動しますよ」


 腰の下から静かな駆動音が鳴る。 次に伸縮音と摩擦音が響くと迫り上がるように目線が一段高くなった。 大岩から鋼の四肢が生えて立ち上がったのだ。 見た目は全長三メートル近くあるゾウガメのようだが明らかに生物ではない。 無機的な金属光を放ち人為的な装甲化が施されている。 その容姿からロボット、 あるいは戦車を連想させた。 甲羅の上に冬一郎をのせたまま、 ゾウガメはのっしのっしと歩き出す。


「おいおいトクマツ、 どこに行く気だ。 俺達は待ち合わせしてるんだぞ」

「ご安心ください。 ロータリーに沿って周回運動をするだけです」


 トクマツと呼ばれたゾウガメはギアを上げた。 時速五キロに達する。


「なあ、 誰もいないんだから止まっててもいいんじゃないか」


 冬一郎は居心地が悪そうにあたりを見回した。


「いけません。 駅のロータリーは目をつけられやすいのです」

「いや、 ここ廃駅だからな。 誰もいないって言ってるだろ」

「ですが≪歴史的視線誘導標≫(ヒストリック・デリニエーター)に指定された建造物です。 霧の中を歩く目印として利用される性質上、 通行人の出現率は低くないです」


 トクマツが右カーブに進入すると、 目前に大きな建築物が現れた。 それは廃駅と一体化された商業施設跡の廃ビルだった。 そのままビル正面の乗降場にさしかかると、 車線を移るべく右のウィンカーを出した。


「そいつは必要なものだったのか?」


 冬一郎は足下の甲羅横面にある機外取付部ハードポイントを見た。 左右対称にウィンカーとサイドミラーが増設されている。 ウィンカーはともかくサイドミラーは位置が低すぎて覗き見ることができない。 首元のナンバープレートも謎だ。 いやそもそも冬一郎は運転しておらず、 ゾウガメを模した戦闘用多脚車両を動かしているのは、 内臓された機械知性体のトクマツである。 搭載カメラで全周囲をモニターしているはずなのに、 ミラーをわざわざ取り付ける理由がわからなかった。


「言わんとすることはわかります。 確かにCMSカメラモニタンリングシステムの普及によって保安基準の改正が行われました。 ですがデジタル化による利便性の向上と共に、 新たな問題を生み出す結果にも繋がったのです。 高コスト化、 画質の問題、 故障リスク、 不備があったままでも走行が可能になる抜け穴や、 ウイルスによる画像改ざんという事件もありました。 結局はデジタルとアナログが互いを補い合うハイブリッドミラーが――」

「ミラーレスの展望なんて訊いてないし。 そもそも今までは必要無かったじゃないか」

「その通りです。 区外警戒域では必要ありませんでした。 ですがここは≪幽玄東京≫の≪禁足二十三区≫です」


 冬一郎は後ろを振り返って駅ビルの文字に目をやった。 とても古い地名で読み方はカマタだと祖父が教えてくれた。 まだこの国が日本と呼ばれていた頃は、 首都の最南端として多くの人が往来していたという。 だが世界は一変する。 未知の厄災が同時多発的に発生して人類社会はあっけなく崩れ去った。 日本も未知の厄災の一つ≪超常的な霧≫によって列島全てを覆い尽くされしまい、 外界から完全隔絶されてしまった。 特にここら一帯はどこまでも深く底が見えない有り様から≪幽玄東京≫と呼称されており、 立ち入り禁止区域として新たに≪禁足二十三区≫が設けられた。 これが≪幽玄の国≫と喩えられる所以であり、 成り立ちであった。


「創設当時は大混乱だったってネットスクールで習ったよ」


 冬一郎は向き直って言った。


「早急に対処するため諸々の法案が半ば強引に施行されました。 そのために後処理がおざなりになってしまい、 当時の旧法と現代の新法が並立している状態が続いています」

「昔と、 今か」


 現在のカマタは≪幽玄東京≫の南玄関口として、 都内を探索する者の根拠地的役割を果たしている。 冬一郎自身も雨風をしのぐためによく祖父と駅ビルを訪れていた。 そう、 ここには感傷に浸れるくらい大切な思い出がたくさんある。 だからこそ現在進行中の状況を看過できずに、 一つの提案を試みた。


「思ったんだけどさ、 俺いらなくね?」


 トクマツは頭を伸ばして首を振った。


「自分を卑下してはいけません。 亀にはマスターが必要です。 マスターがマスターであるかぎり亀は決して別れません。 ですから悲しいことは言わないで。 主従の契りを結んだあの時を思い出してください。 困っていた亀を助けてくれたあの時を」

「ああよーく覚えてるとも。 クズ鉄の山でひっくり返ってのんきにスリープモード決めこんでたよな。 恩義を感じてるならいいかよく聞け。 俺が言いたいのは、 俺を降ろしてお前だけぐるぐる周ってればいいんじゃないかってことだよ」

「それはできません」

「なぜ?」

「いかに自動運転技術が発達しても、 完全な無人化などありえないのです。 もしも、 仮に、 万が一でもアクシデントが起こった時、 責任を負う人間様が必要だからです」

「俺は生け贄かよ」

「いいえ、 残機です」

「余計にタチ悪いわ!」

「ですがご安心ください」


 トクマツはノーブレーキでカーブに切りこんだ。

 インコースを縁石ギリギリで攻める亀歩きは、 霧のキャンバスに美しい孤のラインを描く。 それは機械のように隙のない見事なコーナーワークだった。


「で?」


 冬一郎はうながすように訊いた。


「今ご覧になったように、 亀のドライビングテクニックは完璧です」

「ただのウォーキングだよね」

「人工知能ならいざしらず、 技術的特異点シンギュラリティに達した機械知性体の辞書に過失という言葉はございません。 オプション付属の電子辞書は除きますがネ」

「んな補足いらんよね」

「つまりです。 ドンと大亀に乗ったつもりでいてください」

「もう乗ってるし。 むしろ降りたいんだけどね……ハァ」


 説得を諦めた冬一郎は力無く甲羅の上に寝そべった。 まっさらな空を眺めながら、 冬一郎は今までのやりとりを思い返す。 どうもはぐらかされている気がしてならない。


「なにかご懸念でも?」


 胸中を探るような声に、 背中がビクッと動いた。


「なにもないよ」

「マスターの声紋に乱れを検知。 マスターの呼吸回数が増加しました。 マスターの心拍数が上昇しました。 マスターの抱えている不安がアップ! 焦りがアップ!」

「勝手に血圧を測るんじゃない! 皮膚電気を見るな! 脳波もだ!」

「残り少ない人間様を手厚く管理的支配するのも機械知性体の務めなれば」


 トクマツの目が明滅した。 新たな並列処理を走らせたシグナルだ。


「勝手に聞いたことも無い支配を足すな。 あと俺の思考を読むんじゃない」

「読んでるのではありません。 トレースして予測してるのです」

「どっちも一緒だろうが。 このナンデモ量子馬鹿!」

「あっ、 なるほど」


 一瞬だった。 トクマツが積んでる量子コンピュータの前では、 人間一人の頭の中など五秒とかからずに解析されてしまう。 冬一郎はこれを恐れていた。 機械知性体は許可なく土足で人の中に踏み入ってくる。 そして大暴露大会をおっぱじめるのだ。


「マスターはご自身が旧時代の遊園地ではしゃぐ子供のようだと思われたのですね」

「あーあ言っちゃったよバラしちゃったよコイツ!」


 冬一郎は叫びながら飛び起きると、 甲羅を叩きながらまくしたてた。


「ああそうだよそうだとも! アーカイブに載ってたよなあゴーカートとかメリーゴーランドとかさあ! ちっちゃい子供達が楽しそうに乗っちゃってる昔の映像がさあ!」

「若い男女のペアも散見しますね」

「見てるぶんはいいよ? いいですよ? とても幸せそうで微笑ましいですよ? けどこうして独りで乗っていると、 なんかこう……いたたまれなくなってくる……」


 尻すぼみになった非難の声に、 トクマツはうんうんとうなずいた。


「こう考えてはいかがでしょう。 今のご時世、 遊園地など一つも残ってはいません。 つまりマスターは誰もが望んでも叶えられない夢のような体験をなされているのです。 それこそ世界で一人だけかもしれません。 とても幸運なことだとは思いませんか。 ささ、 気分を直してください。 割り切ってごゆるりとお楽しみくださいませ」

「つまり諦めろって言ってんだな?」

「誰も見てないから大丈夫ですよ」

「それ俺のセリフ!」

「BGMいります?」

「いらねーよ!」


 徒労感のこもったやりきれない声が、 ロータリーに空しく響いた。


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― 新着の感想 ―
二話まで読ませていただきました! まず何より、世界観の作り込みが本当に素晴らしいと感じました。霧に包まれた世界や独特な設定がとても魅力的で、最初から「この世界にはどんな秘密があるんだろう」と一気に引…
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