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霧の毒

 呆然としている彼の元へ、 傍観を決め込んでいたトクマツが近寄ってきた。


「お疲れさまでしたマスター。 ささ、 亀の上でおくつろぎ下さい」

「……そうさせてもらおう。 薄情者」


 甲羅の上に乗り込むのを確認して、 トクマツは海の家へと歩き始めた。

 そして寝っ転がった冬一郎へ「一つ宜しいでしょうか」と問いかけた。


「なんだい」

「マスターはグランドマスターのスカウト志望を反対ですか?」

「どうしてそう思う?」

「マスターの脳内は今ストレスがかかっています」


 心を読むまでもなく見抜かれたのなら仕方ないと、 重い身体を起こして足を組んだ。


「俺はね、 霧の中を一緒に歩く相手が欲しかったんだ」

「バディ的なものでしょうか」

「そんな大層なものじゃない。 一緒に見て、 一緒に笑って、 一緒に歩く。 いや、 何だっていいんだ。 何かを一緒に共有できる……そんな相手が欲しかったんだ」

「友達みたいなものですか」

「友達……そうだな、 最初はそんな気分だった。 霧の歩き方がなっちゃいないから一から教えてやったんだ。 そしたら飲み込みが良くってな、 面白くていろいろ仕込んでやったらアイツ簡単に俺を飛び越えていきやがった。 お前もスカレポ見ただろ。 文字通りに空を飛んじまってて唖然としたよ。 だからこそ疑問に思う。 どうしてアイツだけが飛べたのかって。 俺と……いや俺達普通の人間とアイツの違いはやっぱり生体電気なんだよ。 これは嫉妬で言ってるんじゃない。 俺は怖いんだ」

「霧中毒の二大死因ですね」

「霧の処置を怠れば生体電気の自然発電による≪通電疲労≫(スリップダメージ)が蓄積される。 身体が耐えられなくなれば全身麻痺からの呼吸不全。 もし耐えられても発電能力が暴走して人体発火による焼死が待っている」


 冬一郎はとある光景を思い出す。

 それは祖父がヒーリングを施行している姿。

 霧の中で中毒症状に苛まれる者を見つけては、 魔法のように息を吹き返してみせた。 生きる姿勢を取り戻すその瞬間が大好きだった。

 偉大な魔法の手に憧れてヒーリングの修練は特に力を入れたが、 祖父の存命中に魔法を宿すことはとうとう叶わなかった。


「体内から霧と生体電気を定期的に完全排出すれば中毒症は抑えられます。 そのための施術法がディスフォッグであり、 ディスチャージであります」


 トクマツの指摘した予防法は正しい。

 普通の者ならその処置で問題はない。


「けど英莉は普通じゃない。 生体電気に関わる能力が異常に高すぎるんだ。 楽観視はできない。 定期的ではなく常に完全排出した方が賢明かもしれない。 まだ憶測の域ではあるがこれだけは言える。 アイツにだって必ず底はある。 肉体的負荷には必ず限界があるんだ」

「マスターとしてはスカウトを諦めてほしいのですか?」

「それだけは言えない。 英莉に未来の可能性を示した俺が、 その夢を捨てろなどと言えるはずがない。 しかし、 それでも、 言うべきなのだろうか……。 今より危険がなくてより才能を生かせる道がきっとある、 と」

「それでもグランドマスターはスカウトになる道を選びますよ」

「だよな。 あれだけの才能を示せばアカデミーもスカレポも皆が期待を寄せてしまう。 もうこの流れは止められない。 今更な話だってわかってるんだ。 もうアイツとは見ている景色が違う。 飛べない俺にはどうやってもついていけないっていうのに」


 トクマツの足が止まった。


「それでも試験を受けるのでしょう? 見失うわけにはいきませんから」


 冬一郎はハッと顔を上げた。

 どこからか微かな鳴き声がする。

 はっきりしないのは音ではなく気配に近かったから。

 すぐに声の主を探したが姿はどこにも無かった。

 もう霧に紛れてしまったのかもしれない。

 でも今ならわかる。 昔、 公園で祖父に教わったあの鳥に違いない。


「……そうだな。 そうだった。 もう俺は霧に迷って立ち止まる昔の俺じゃない」


 トクマツは両目を明滅させると、 何も言わずに伸ばした首を戻して歩き出した。


「ありがとう、 トクマツ」

「これも亀の務めなれば」

「少し楽になったよ」


 冬一郎はまた寝っ転がると、 しばらく霧の夜空を眺めていた。


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