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あなたにも一杯のお茶を

 弓波は合格通知書を当人に転送すると、 返す刀でアカデミーへ意思確認を了と返送した。

 これで名実ともに彼女はアカデミー生となった。


「いいかい百春君。 これからの予定だけどね。 スカレポ頑張ってくれた分、 入学式までスケジュールを空けておいたよ。 羽目を外さない程度に心身共々リフォレッシュして準備を整えておいてくれ」

「わっかりましたー」

「アカデミーの話は後日やろう。 君もその方がいいだろう?」

「あははー、 できれば」

「そうしよう。 さて、 本題に移ろうか」


 話を振られた冬一郎は、 和んだ心を引き締めて姿勢を正した。


「そんなにかしこまらなくていいよ。 そうだね……とりあえずソファーにどうぞ」


 勧められるがまま二人がソファーに腰を下ろすと、 紀伊馬が眉をひそめた。


「話は長くなるんじゃないのか? 儂らはともかく彼は来客だぞ」

「とっとっと。 今日は僕だけでしたね。 話の前にお茶を出すからちょっと待っ――」

「だったら、 わたしが淹れます」


 弓波が言い終えるより早く、 気を回した百春が立ち上がった。


「いや悪いよ。 君だって藪影君と同じ客人なんだから」

「わたしは弓波枠のアカデミー生になりました。 もうお客さんじゃないですよ。 それにこう見えてお茶淹れは得意ですから。 道具一式はわたしが頂いた時と同じ場所で?」


 百春は戸棚を開けると慣れた手つきで茶器を取り出し、 リビングテーブルに並べていく。

 ステンレス製ポットタイプの急須に、 瓢型、 竹型、 駒型、 八角とバラエティ豊かな湯呑が置かれた。

 それを見た弓波が苦笑いを浮かべている。


「おいおい。 柄はともかく形くらいは統一せんか。 ニ客用でもかまわんから」


 ものぐさな上司に呆れる紀伊馬の横で、 お湯を用意してきた百春は次々と湯呑に注ぎまわした。

 彼女はただ沸騰したお湯を使っているのではない。

 沸騰してから少し冷ます一工夫で、 湯呑を人肌で触れられる丁度よい温度に保たせている。

 この手法は本物の茶葉で淹れる際に用いられるもので、 弓波が常備していた抹茶風味のフレーバーティーには必要のない手間だった。

 代用茶は香料の濃淡でしか味の調節ができないからだ。

 それでも彼女が本物の淹れ方にこだわったのは理由があった。


「温もりを楽しんでいただければ」


 そう言うと湯呑のお湯を急須に集めて再び注ぎ回した。


「どうぞ」


 百春に勧められて三人は目前に置かれた湯呑を手に持った。

 見た目はいつもと変わらない、 やわらかな黄緑色をしたお茶だ。

 しかし湯呑が違う。

 手のひらで触れた表面は優しい熱を帯びており、 包むように握った指先からじんわりと温めてくれた。


「いただきます」


 冬一郎は一口流し込んで熱が沁み込む感触を楽しむ。

 冷えた身体との温度差が心地よい。 続けて紀伊馬も口に運んだ。


「ふむ。 一煎目にしては熱めに淹れておるな。 これは彼のためか?」

「すみません。 冬一郎さんは長い時間かけて霧の中を歩いてきましたから。 次からはもう少し冷ましますね」

「いや、 それでいい。 相手をおもんばかる……いいお茶だ」

「確かにいつもと違う旨さだねぇ」


 ちびりちびりと飲んでいた弓波が、 椅子の背もたれに体を預けた。

 よく見ると目の下にうっすらと隈ができている。

 疲労の原因は一目瞭然で、 執務机の上にこれでもかと自己主張していた。

 いまどき珍しい紙の書類が積み上げられ、 まるで壁に囲まれているようだ。

 上司が小休止の構えをとったので、 紀伊馬は話題を振ることにした。


「それにしても嬢ちゃんはこだわりを持った淹れ方をするのう。 最近じゃ珍しい」


 二煎目の準備をしていた百春は、 手を止めてコホンと咳払いをした。


「代用茶の味は偽物でも、 湯冷ましで淹れた温もりは本物ですから」

「ほほう」


 紀伊馬は予想外の返しに思わず感嘆した。

 百春の言葉は湯冷ましを現代的に再解釈したものであり、 ただ作法を身につけたのではないという証左であった。

 歳に似合わぬことを言うと老人は彼女の評価を改めた。


「これは冬一郎さんの言葉なんですよ」

「違う違う。 じいちゃん……いや、 祖父の受け売りですから」

「よさげな話を持ってそうだね藪影君。 君のエピソード聞きたいなあ」

「わたしもわたしも」


 話に加わった弓波へちゃっかり乗っかる百春。

 紀伊馬に至っては言うまでもない。

 冬一郎は湯呑に視線を落として、 在りし日の思い出を語り始めた。


「小さい頃、 よく祖父と霧の中を歩き回りました。 最初は子犬の散歩から始まって古都の散策や馴染みの店の食べ歩き。 慣れてくると街を離れて蛇鶏を観察したり秘密の絶景スポットを巡ったり……なにかと理由をつけてはぼくを外に連れ出してくれました」


 最後の一口を流し込み、 口を湿らせる。


「目的を終えて家に帰ると、 いつもお茶を淹れてくれたんです。 熱過ぎずぬる過ぎず。 芯まで冷えた身体を内側と外側からゆっくりと染み入るような旨さでした。 ビバークしたときに飲んだ熱いスープも旨かったけど、 このお茶だけは別格だった」


 顔を上げて百春の顔を見た。


「お前に教えた言葉はね。 じいちゃんが一杯目に必ず添える口癖だったんだ」


 そう言い終えると空になった湯呑をテーブルに置いた。

 他愛のない話であったが、 ルーツを知れた百春は満足すべき喜びを見出せた。 しかし紀伊馬は違った。


「そうか……あやつがな」


 藪影冬一郎の祖父、 藪影辰彦。

 懐かしい名だと、 記憶の糸を手繰るように湯呑を摩る。

 ざらざらとした粗い手触りが、 過ぎ去りし感情を喚起させる。

 現役時代、 辰彦とは共に槍を並べて戦った仲だった。

 相手は蛇鶏を主とする異形から、 霧の祝福によって動物が変異体化した≪雷獣≫、 そして身に余る力に溺れた人間、 それら全ての上に君臨する上位存在。

 掘り起こした思い出は必然と苦いものばかりで、 口の中に残った偽物の渋みが得もいえぬ不快感を掻き立てる。 だが――。


「二煎目はいかがですか」


 百春の朗らかな声が暗く澱んだ迷霧を散らしていった。

 紀伊馬は声の主へ顔を向けると、 早春の陽射しのように暖かい笑顔がそこにあった。

 己の内に秘めていた過去の後悔も未来への不安も、 全てかき消されていくのを感じる。

 そして紀伊馬は思い直す。 大切なのは今なのだと。

 ゆえに今を生かされた者として、 今を生きようとする者に問わねばならない。 お前は私の後継なのか、 と。


「そろそろいいかな。 お互い打ち解けたところで本題に戻そうか」


 弓波は書類の束を掴んで机上を数回叩いた。


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