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稀血の娘――私を喰らう鬼を、好きになってしまった  作者: 高八木レイナ
第二部 稀血の娘と、白い檻の帝

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第十一話 白い服の男

 御所を出るころには、空はまた曇り始めていた。

 宮城の門を出ると、外の空気が少しだけ軽く感じる。

 小夜は馬車に乗り込み、深く息を吐いた。

 澪宮の言葉が、まだ耳に残っている。

 契る。

 子ども。

 血筋。

 境守り。

 そのどれもが、自分の未来を誰かの手で形にされていくようで、息苦しかった。

 伊吹が隣で腕を組んでいる。

 不機嫌そうだった。


「小夜ちゃん」


「はい」


「さっきの話、まだ気にしてる?」


「……少し」


「じゃあ、俺も気にしてる」


 伊吹は不満そうに言った。


「小夜ちゃんと誰が契るとか、誰の子がどうとか、俺以外の口から出るの、かなり嫌」


「伊吹……」


「うん。分かってる。まだそういう話をするには早いし、小夜ちゃんが決めることだし、俺が勝手に決めたら怒られる」


「分かっているなら」


「でも嫌なものは嫌。小夜ちゃんのことを周りが勝手に決めようとするのが」


 伊吹は小夜の手を取った。

 触れる前に、一瞬だけ目で尋ねてくる。

 小夜が小さく頷くと、彼は指先を絡めた。

 その仕草に、小夜の頬が熱を持つのを感じた。

 以前の伊吹なら、きっと尋ねなかった。

 当たり前のように触れて、当たり前のように引き寄せたかもしれない。

 けれど今は、小夜の返事を待っている。

 それが嬉しくて、少し困った。


「小夜ちゃんの未来に俺がいるかどうかは、小夜ちゃんが決めていいよ」


 伊吹はそう言って、目元を緩めた。


「でも、俺はいるつもりでいる」


「つもり、ですか」


「うん。かなり強いつもり。他の男は排除する」


「それは、ほとんど決めているのでは」


「俺の中ではね。でも、小夜ちゃんに押しつけないように努力もしてる。前よりはね」


 小夜は返事に困った。

 伊吹は、繋いだ手にそっと力を込める。

 あまりにも堂々と「排除する」と言うので、小夜は呆れた。

 けれど、伊吹が冗談だけで言っているわけではないことも分かってしまう。

 彼は本当に、攫うことも、閉じ込めることも、自分のものだと言い切ることもできる人だ。

 その伊吹が、小夜の隣を歩こうとしている。

 危うさを抱えたまま、それでも小夜の意思を聞こうとしている。

 小夜は繋いだ手を見下ろした。

 伊吹は、それに気づいたように目を細めた。


「あと、今の小夜ちゃん、すごく可愛かった」


「今の、とは」


「怒ってたところ」


 小夜は瞬きをした。


「怒っていたのに、可愛いんですか」


「うん」


 伊吹は迷いなく頷いた。


「小夜ちゃんが自分の未来を取られそうになって、ちゃんと怒ったところ。可愛くて、偉くて、好きだった」


 小夜は言葉に詰まった。

 怒っていた。

 怖かった。

 恥ずかしかった。

 それでも、あの場で言わなければならないと思った。

 自分の血も、未来も、いつか生まれるかもしれない子どもさえも、誰かの役目にするためのものではないと。

 その必死さを、伊吹は見ていたのだ。


「……怒っている人に、可愛いと言うのはどうかと思います」


「どんな小夜ちゃんも可愛いから仕方ない」


「もういいです」


 小夜が視線を逸らすと、伊吹は満足そうに目元を緩めた。

 けれど、繋いだ手を引き寄せることはしなかった。

 ただ、指を絡めたまま、そこにいる。

 それだけだった。


「小夜ちゃんの未来を俺が勝手に決めるつもりはないよ」


 伊吹の声は、先ほどより少し低かった。


「でも、俺がその未来に入りたいって思ってることは、覚えてて」


 小夜は、すぐには答えられなかった。

 窓の外では、濡れた宮城の白砂がゆっくり遠ざかっていく。

 御所の重い空気から離れている。

 顔はまだ熱く、落ち着かない。


「……覚えておきます」


 小夜が小さく答えると、伊吹は嬉しそうに頷いた。


「うん。それでいい」


 しばらく、馬車の中には雨上がりの湿った沈黙が落ちた。

 小夜は窓の外を見た。

 宮城の門が遠ざかり、石畳の道が続いている。

 澪宮の冷たい手。

 斎臣の静かな微笑。

 結界のために生まれたと言った少女の声。

 そして、自分の未来は自分のものだと告げた自分の声。

 まだ、胸の奥が震えていた。

 けれど、その震えは恐怖だけではなかった。

 隣にいる伊吹の手が、温かい。

 自分勝手で、重くて、すぐに小夜を自分のものだと言いたがる鬼。

 それでも、小夜が本気で嫌だと言えば止まろうとする鬼。

 その手を、今は離したくなかった。

 伊吹の指が、繋いだ手の甲をゆっくりとなぞった。

 それだけのことなのに、小夜の呼吸が浅くなる。

 御所で聞いた言葉が、また耳に蘇った。


 ――契る。


 ――子ども。


 小夜と、伊吹の未来。

 考えたことがないわけではない。

 けれど考えようとすると、目元が熱くなって、それ以上進めなくなる。


「小夜ちゃん」


「……はい」


「俺、小夜ちゃんのこと大事にしたいと思ってるよ」


 伊吹の声は、いつもより低かった。

 小夜は彼を見る。

 伊吹は薄く笑っている。

 けれど、その笑みはどこか困ったようでもあった。


「でも、いつもできるとは限らない」


 小夜の指先が、ぴくりと震えた。


「……伊吹」


「怖がらせたいわけじゃないよ」


 伊吹は、繋いだ手を少しだけ引き寄せた。

 小夜の手が、彼の膝の上へ乗る。

 逃げようと思えば逃げられる力だった。

 けれど、逃げなかった。


「ただ、今日みたいに、小夜ちゃんと誰が契るとか、子どもがどうとか、他のやつの口から聞くとさ」


 伊吹の親指が、小夜の手首の内側を撫でる。

 そこは血の脈打つ場所だった。


「我慢してるものまで、全部思い出す」


 小夜の心臓が、どくんと鳴った。


「……そういうことを、言わないでください」


「言わない方がいい?」


「……」


「小夜ちゃん」


 伊吹の声が甘くなる。


「俺、いつまでも我慢できるほど、いい男じゃないよ」


 呼吸が、わずかに浅くなる。


 ――怖い。


 けれど、その怖さの中に、別の熱が混じっている。

 小夜は視線を落とした。

 恋人になった。

 伊吹を選んだ。

 けれど、まだその先へ進む覚悟はできていない。

 伊吹に触れられることが嫌なわけではない。むしろ、嫌ではないから困る。嫌ではないことを認めてしまえば、もっと先を求められる気がして、怖くなる。


「俺、待つって決めたけど、平気なわけじゃないよ」


「……分かっています」


「分かってない。小夜ちゃんが思ってるより、ずっと我慢してる」


「はい……待って、もらっています」


 小夜は小さく言った。

 伊吹の指が止まった。


「何を?」


「……分かっているでしょう」


 伊吹はしばらく黙っていた。

 それから、ひどく甘い顔で笑った。


「うん。分かってる」


「……なら、聞かないでください」


「小夜ちゃんの口から聞きたかった」


「……意地悪です」


「そうだよ」


 伊吹はあっさり認めた。


「俺は優しいだけの男じゃないから」


 そう言って、伊吹の指が小夜の手を離れた。

 離れたはずなのに、今度はその指先が、小夜の膝の上に置かれた袴の端へ触れる。

 布越しだった。

 それでも、小夜の体は小さく跳ねた。


「伊吹」


「嫌?」


 短く問われる。

 小夜は、すぐには答えられなかった。

 嫌ではない。

 けれど、怖い。

 その二つが同時に胸の中にあった。


「……嫌、では」


 言いかけて、声が詰まる。

 伊吹の目が、甘く細くなった。


「嫌じゃないなら、もっと触ってもいい?」


「……そういう聞き方はずるいです」


「うん。ずるいよ。小夜ちゃんが俺を許してくれる隙間を探してる」


 指が離れた。


「でも、今日はここまで」


 あまりにもあっさり離れたので、小夜は思わず伊吹を見る。

 伊吹は薄く笑っていた。

 けれど、少しだけ苦しそうだった。


「今の小夜ちゃん、嫌じゃないって言いそうだったから」


「……なら、どうして」


「言わせたら、俺が止まれなくなるかもしれないから」


 小夜は息を呑んだ。

 伊吹は、窓の外へ視線を向ける。


「大事にしたいよ」


 その声は、甘くも軽くもなかった。


「でも、できない時もある。だから、小夜ちゃんが怖いなら、怖いって言って」


「……はい」


「嫌なら、嫌って言って」


「はい」


「俺が聞き分けいい顔してても、信用しすぎないで」


 小夜は、胸がきゅっと痛むのを感じた。

 それは不誠実な言葉ではなかった。

 むしろ、伊吹が自分の危うさを知っているからこその言葉だった。


「でも」


 小夜は、そっと言った。


「今、止まってくれました」


 伊吹が小夜を見る。


「……褒めてくれる?」


「……偉いです」


 小夜が小さく言うと、伊吹は一瞬、目を見開いた。

 それから、困ったように笑った。


「ああ、だめだ」


「何がですか」


「そういう小夜ちゃんを見ると、もっと欲しくなる」


「伊吹」


「分かってる。今は、我慢する」


 伊吹は小夜の手を取り直した。

 けれど、その指先に少しだけ力がこもる。


「今、うっかり口づけなんてしたら、俺たぶん、そこで止まれない」


 小夜の呼吸が止まった。

 伊吹は笑っていた。

 けれど、その目は少しも笑っていなかった。


「無理やりでも欲しくなりそうな自分を、必死で押さえてる。小夜ちゃんに嫌われたくないから、ちゃんと待ってる」


 小夜は、繋がれた手を見下ろした。

 怖い。

 けれど、その怖さは、伊吹が何も考えずに踏み込んでくる怖さではなかった。

 伊吹が、自分の中の危うさを知っていて、それでも小夜の前で踏みとどまろうとしている。そのことが、怖くて、苦しくて、少しだけ胸を熱くした。


「……ありがとうございます。私の覚悟ができるまで、待っていてくれて」


「うん」


 伊吹は小夜の手を取り直した。

 今度は、ただ指を絡めるだけだった。

 けれど、しばらくして、伊吹は絡めた指先を、自分の唇のそばまで持ち上げた。

 口づけはしない。

 ただ、指先のすぐそばで、ふっと息を吐く。

 その熱だけが、小夜の指先に触れた。


「……今は、ここまで」


 伊吹は小さく笑った。

 いつもの軽さに戻った笑みだったが、その目は甘いままだった。

 小夜は、息を止めた。

 目元の熱が、引かない。


「俺、小夜ちゃんの意思を尊重したいんじゃないよ」


「え?」


「小夜ちゃんが自分から俺を選ぶところが見たいだけ」


 その言い方に、小夜は俯いて、視線を逃がした。

 馬車は、封鬼寮へ向かってゆっくり走っていく。

 雨上がりの帝都には、まだ雲が低く垂れ込めていた。

 けれど、遠くの空の端だけが、ほんの少しだけ明るくなっていた。

 しばらくして、小夜はぽつりと言った。


「澪宮さまは、きっと本当に知らなかったんだと思います」


「うん」


 伊吹は少しだけ低い声で答えた。


「だから厄介なんだよ」


「厄介……」


「悪気がないまま、小夜ちゃんの未来も、血も、子どもも、結界の話に混ぜてくる。御所って、そういう場所なんだと思う」


 小夜は黙った。

 その通りだと思った。

 澪宮も、斎臣も。

 もしかすると、冷泉も。

 血や役目や結界の前では、個人の意思が後回しになることに慣れすぎている。


「でも、小夜ちゃんが言ったから、陛下は止まった」


 伊吹は、繋いだ手を見下ろした。


「だから、今日の小夜ちゃんは偉い」


「また子ども扱いしていませんか」


「してる」


「伊吹」


「嘘。してない。たぶん」


「たぶんですか」


 小夜が少し呆れると、伊吹は目を細めた。

 けれど、その笑みはすぐに薄れる。


「斎臣殿は、止まってないけどね」


「斎臣様……」


「あの人は、陛下のためって言いながら、陛下を閉じ込めてる。たぶん本人は、それを悪いことだと思ってない」


 小夜は斎臣の顔を思い出した。

 整った微笑。

 澪宮に血を差し出した時の、甘すぎる声。


『陛下が口にしてよい血は、私のものだけです』


 あの言葉は、今も耳に残っている。


「澪宮さまは、斎臣様を信頼しているようでした」


「信頼と依存って、似てるよね」


 伊吹の言葉に、小夜は何も言えなかった。

 封鬼寮へ戻ると、白瀬が玄関の前に立っていた。

 珍しく、外套も羽織らずにいる。

 その表情を見た瞬間、小夜の胸がざわついた。


「白瀬先生」


「春日惣一の意識が戻りました」


 小夜は息を呑んだ。

 昨夜から意識の戻らなかった鬼子の少年。

 彼が、ようやく目を覚ました。


「話せるのですか」


「短時間なら。ですが、混乱しています」


 白瀬は小夜と伊吹を見た。


「あなたにも聞いてほしいことがあります」


 診察室へ向かう廊下は、いつもより静かだった。

 結界札の貼られた扉の前に隊士が二人立っている。小夜が近づくと、扉の向こうからかすかな呻き声が聞こえた。

 春日惣一は、寝台の上に半身を起こしていた。

 牙はまだ完全には戻っていない。

 爪も黒いままだった。

 けれど瞳には、人としての怯えがあった。

 小夜を見ると、彼はびくりと肩を震わせる。


「……あ」


「怖がらせてしまったら、すみません」


 小夜は寝台から少し離れた場所で足を止めた。


「朝霧小夜です。あなたが倒れた時、そばにいました」


 春日惣一は、しばらく小夜を見ていた。

 やがて、掠れた声で言う。


「僕は……何を……」


「無理に思い出さなくていいです」


 白瀬が静かに言った。


「ただ、あなたが聞いた音について確認したいんです」


 春日惣一は、両手を見下ろした。

 黒く変色した爪を見て、息を詰める。


「……僕は、人間です」


 小さな声だった。


「人間だったんです」


「はい」


 小夜は答えた。


「あなたは、人間として暮らしていたんですね」


 その言葉に、春日惣一の目が揺れる。

 涙が浮かんだ。


「……声が、聞こえたんです」


 白瀬が筆を取る。

 小夜は、首筋を押さえた。


「御声が聞こえた」


 春日惣一は、震える声で続ける。


「御所へ行けって」


「御所へ……」


「戻れって。血を捧げろって。僕は、行かないといけないと思った。でも、怖くて、体が勝手に動いて、喉が渇いて……」


 彼は自分の喉を押さえた。


「人の匂いが、して。気持ち悪いのに、美味しそうで。僕は、そんなこと思いたくなかったのに」


 小夜の中に、彼の恐怖が薄く流れ込んでくる。

 食べたい。

 食べたくない。

 人間でいたい。

 何になったのか分からない。

 あの時と同じ混乱だった。

 小夜は手を握りしめる。


「御所には、行ったのですか」


 白瀬が尋ねた。

 春日惣一は首を横に振った。


「入れてもらえなかった」


「誰に」


「門の近くまで行ったんです。たぶん、御所の近く。そこに、白い服の男がいた」


 小夜の呼吸が止まった。

 白い服の男。

 その言葉だけで、ひとりの顔が脳裏に浮かぶ。

 白い狩衣。

 整った微笑。

 澪宮のそばに控える側近。

 鷹司斎臣。


「白い服……」


 白瀬の筆が止まる。

 伊吹も、小夜の隣で目を細めた。


「その男は、何をしましたか」


 白瀬の声は冷静だった。

 春日惣一は、苦しそうに眉を寄せる。


「分からない。顔も、よく見えなかった。ただ、入ってはいけないって。まだ早いって」


「まだ早い?」


「そう言われた気がするんです。御声は行けって言うのに、その人は入れてくれなくて。鈴の音が、頭の中でずっと鳴っていて」


 春日惣一は震え始めた。


「それで、僕は、どこへ行けばいいのか分からなくなって……」


「もういい」


 白瀬が筆を置いた。


「これ以上は負担になります」


 春日惣一は荒い息を繰り返している。

 小夜は、そっと声をかけた。


「春日さん」


 彼が小夜を見る。


「あなたが望んで人を襲ったのではないことは、分かりました」


 春日惣一の目から、涙が落ちた。


「――僕は、人を食べたくない」


「はい」


「僕は、鬼なんですか」


 小夜はすぐには答えられなかった。

 けれど、嘘はつきたくない。


「鬼の血が、混じっているそうです」


 春日惣一は顔を歪める。


「でも、それだけであなたの全部が決まるわけではないと思います」


「僕は、人間に戻れますか」


 小夜は答えられなかった。

 白瀬も黙っている。

 春日惣一は、その沈黙で察したように目を伏せた。

 小夜は表情を歪める。


「戻れるかは、わかりません」


 小夜は正直に、言った。


「でも、安全に生きていける方法を探します」


 春日惣一は小さく頷いた。

 診察室を出ると、廊下の空気が冷たく感じた。

 小夜はしばらく何も言えなかった。

 白い服の男。

 御所へ入れてもらえなかった。

 まだ早い。

 その言葉が、頭の中で何度も響く。

 斎臣の顔が浮かぶ。

 彼には、分かりやすい動機がある。

 澪宮を守るため。

 澪宮の秘密を隠すため。

 小夜を御所へ呼ぶため。

 そして、鬼子暴走事件と御所の関係を、自分の都合のいい形で動かすため。


「小夜ちゃん」


 伊吹が小夜の顔を覗き込んだ。


「今、斎臣殿のこと考えたでしょ」


「……はい」


「俺も」


 伊吹は薄く笑った。

 けれど、その目は冷えている。


「白い服の男。御所に入れない。まだ早い。いかにも斎臣殿が言いそうだよね」


「でも、まだ決めつけるのは」


「うん。決めつけはしない」


 伊吹は小夜の手を取った。


「でも疑うのは自由だよ」


 白瀬が診察室の扉を閉める。


「春日惣一の記憶は混乱しています。白い服の男が誰か、断定はできません」


「分かっています」


 小夜は頷いた。

 それでも、疑いは消えない。

 斎臣は澪宮を守りたい。

 それは確かだ。

 けれど、守るためなら何をするのか。

 小夜は、まだ知らない。

 その時、廊下の先で小さな音がした。


 ――りん、と。


 小夜は息を止める。

 伊吹も同時に顔を上げた。


「聞こえた?」


「はい」


 白瀬は眉をひそめる。


「私は聞こえませんでした」


 小夜の首筋で、刻印が熱を持つ。

 遠くで、また誰かが呼ばれている。

 その瞬間、伊吹の指が、小夜の手をぎゅっと握った。

 冷たい指。

 けれど、その体温は、いつもより熱かった。


 ――御所へ。


 ――戻れ。


 ――血を捧げよ。


 そんな声が、雨の名残のように、帝都のどこかから滲んでくる。

 小夜は震える手を握った。

 その手を、伊吹がもう一度、強く握り返した。


「また、鳴っています」


 伊吹の目が、静かに細くなる。


「じゃあ、まだ終わってないね」


 小夜は頷いた。

 御所の奥深くで泣く澪宮。

 白い服の男。

 そして、目覚め始めた鬼子たち。

 すべてが、ひとつの鈴の音で繋がっている気がした。




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