第十五話 月夜の選択
地下牢へ続く階段を降りるたび、空気が一段ずつ冷たくなっていく。
石段の縁には、朝の墨で書かれた結界札が貼られていた。壁際の行灯が、薄い橙の光を石壁に揺らしている。
小夜は、足音を殺して進んだ。
懐の中で、結界札の束がかすかに鳴る。予備の札と、補助班の鈴。すべて、この夜のために持ち出してきたものだった。
二つ目の踊り場に差しかかる前に、小夜は息を潜める。
通路の奥、朱嶺が捕らえられている牢の前に、見張り役が二人立っていた。
黒の隊服。深夜帯のせいか、姿勢は少し緩んでいる。けれど、壁に立てかけられた槍の位置と、視線の配り方には隙がなかった。
(……二人)
想定よりも多い。
昼間に下見したときは、一人だった。白瀬透子の指示か、榊長官の判断か。どちらにせよ、警戒が上がっている。
(……どうしよう)
額に汗が滲む。
懐の結界札を握り直した。札で気を逸らすか、鈴の音で意識を散らすか。けれど、二人を同時に動かすのは難しい。
迷っているうちに、足がわずかに動いた。
石段の下の暗がり。見張り役の死角になる場所へ、身を沈めようとした、その瞬間だった。
「――何をしているんですか」
背後から低い声が響いた。
心臓が止まりそうになる。
振り返ると、神崎志乃が立っていた。
索敵班の制服。深夜の見回りの途中だったのか、結い上げた髪の一筋がわずかに乱れている。切れ長の目元が、暗がりの中で冷たく光っていた。
「朝霧さん」
志乃の声は低かった。
怒りではない。ただ、すでに答えを知っている声だった。
「ここで、何をしているんですか」
「……っ」
声が出ない。
頭の中が真っ白になった。言い訳が、何ひとつ思い浮かばない。
「答えてください」
志乃が一歩近づく。
石段の上で、足袋の音が低く響いた。志乃の視線が、小夜の懐に落ちる。握りしめた結界札の束。深夜の地下に、補助班の道具を持って降りてきた意味。
志乃は、すぐに察したのだろう。
「……朱嶺を、逃がすつもりですか」
声が、わずかに鋭くなった。
通路の奥で、見張り役の二人がこちらに気づく。空気が、ぴしりと張り詰めた。
「神崎さん――」
小夜は、絞り出すように言った。
「朱嶺は、実験台にされています。私の血で作った薬を、投与されようとしている。あれは、間違っているんです」
「あなたが判断することではありません」
志乃の声は冷たかった。
「組織として決まったことです」
「でも――」
「あなたが今していることは、裏切りですよ」
その一言が、刃のように胸の真ん中を刺した。
裏切り。
そう、これは裏切りだ。
封鬼寮を、榊長官を、白瀬透子を。九年間、自分を保護してくれた場所を裏切ろうとしている。
それでも、小夜は首を振った。
「……それでも」
声が震える。
「私は、間違ったままでいたくないんです」
志乃が、わずかに目を細めた。
ほんの一瞬だけ、彼女は唇を噛む。
けれど次の瞬間には、索敵班の顔に戻っていた。迷いを押し込めるように背筋を伸ばし、廊下の奥へ向かって低く声を上げる。
「――誰か、長官をお呼びして」
見張り役の一人が、即座に動いた。
石段を駆け上がっていく足音が、地上へと遠ざかっていく。小夜は、その音を聞くことしかできなかった。
志乃が、もう一歩近づく。
「朝霧さん」
その声には、わずかな揺らぎがあった。
「私は、あなたを止めたくて止めているわけではありません」
「……」
「ただ、組織の決まりは守らなければならない」
志乃の指先が、かすかに震えていた。
それだけが、彼女の本心の片鱗だった。
小夜は唇を噛む。反論する言葉が見つからなかった。どれだけ自分の中に正しさがあっても、志乃の言葉もまた間違っていない。
だからこそ、苦しかった。
やがて、石段の上で足音が響いた。
駆け上がっていった見張り役のものとは別に、ゆっくりとした、確かな歩みが近づいてくる。
榊長官だった。
榊は、小夜の前で静かに立ち止まった。
黒の隊服のまま。深夜の呼び出しにも、表情にはいつも通り揺らぎがない。ただ、その目だけが、いつもより深く沈んでいた。
「朝霧」
短く名前を呼ばれる。
「……はい」
「神崎の言うことは、聞いたか」
「はい」
「君のしたことは、隊規に違反している」
淡々とした声だった。
けれど、その奥に、わずかな疲れのようなものが滲んでいた。
「申し訳ありません」
小夜は頭を下げた。
反論はしなかった。反論する立場ではなかった。
榊は、しばらく小夜を見ていた。それから、ゆっくりと言う。
「……君を、しばらく拘束する」
「……はい」
「事態が落ち着くまでだ」
「抵抗するつもりはありません」
「分かっている」
榊は低く答えた。
「だが、君は自分の正しさのためなら、もう一度動く」
「……」
その言葉に、小夜は何も返せなかった。
榊の手が、小夜の肩に触れる。
優しいとは言えない。けれど、痛めつけるための手でもなかった。
その指先から、ほんのわずかな青白い光が走る。封鬼寮独自の、結界術の一種だった。
(……あ)
何かを言おうとした。
けれど、声にはならなかった。
視界がゆっくりと暗くなる。体から力が抜けていく。倒れる前に、榊の腕が支えてくれたのが、かすかに分かった。
「……すまない、朝霧」
遠くで、榊の声が聞こえた気がした。
謝っているのか、責めているのか。
判別する前に、意識は深く沈んでいった。
*
目を開けたとき、最初に見えたのは白い帳だった。
浅く息を吸う。
石ではなく、畳の匂いがした。知らない畳の、まだ青い匂い。
ゆっくり視線を動かす。部屋はそれなりに広かった。六畳ほどの畳敷き。壁際には小ぶりな寝台があり、その縁に白い帳がかかっている。文机には墨壺と筆が整然と並べられ、壁の行灯が淡い橙色の光で畳の縁をぼんやりと照らしていた。
牢というには、清潔すぎる部屋だった。
けれど、手が上がらない。
(……っ)
小夜は、自分の手を見上げた。
両手が、天井から伸びる金属の鎖につながれている。
手錠だった。
革と鉄でできた、装飾的な造り。手首には白い布が巻かれていて、肌を傷つけないよう配慮されている。
(……拘束具)
ゆっくりと、状況を理解する。
(……ここ、地下牢)
けれど、想像していた地下牢とは違った。
石の床。冷たい壁。結界の文字。そういう場所ではない。畳敷きで、寝台があり、文机まで置かれている。
(……貴人用の牢屋)
封鬼寮の記録で読んだことがある。
罪人として裁く前に、重要人物を一時的に留め置くための部屋。地下にありながら、罪人扱いではなく、身分の高い者にも対応できる造りになっている。
牢であって、牢ではない場所。
(……榊長官は、私をここに)
罪人として扱わなかった。
処分の前に、まず穏やかに収容したのだ。
その配慮が、かえって胸の奥に重く沈んだ。
(……当然だ)
小夜は長く息を吐いた。
怒りはない。ただ、納得していた。組織の決まりを破ったのだから、拘束されるのは当然だった。
目を閉じる。
朱嶺は、結局逃がせなかった。志乃に見つかり、榊に止められ、ここへ連れてこられた。
今頃、朱嶺はどうしているだろう。
白瀬の研究室で、また何かを採取されているのだろうか。抑制剤を投与されているのだろうか。
(……ごめんなさい)
心の中で、朱嶺に詫びた。
助けに行ったつもりが、結局、何もできなかった。逃げられない自分の身を、どうすればいいのかも分からない。
それでも、不思議と後悔はしていなかった。
動かずに、知らないふりをしていたら、もっと苦しかったと思う。動いた結果、ここにいる。それが、自分の選択の結果だった。
行灯の灯が、わずかに揺れた。
地下では、時間の感覚が曖昧になる。夕方なのか、夜なのか。日の光が届かない部屋の中で、行灯の橙色だけが時を支えていた。
――どのくらい経っただろう。
扉の向こうで、足音がした。
いくつかの、慌てた音。次に、何かが倒れる低い音。短い呻き。
そして、しんと静まり返る。
小夜の心臓が跳ねた。
外で、何かが起きている。
扉の前まで足音が近づいてきた。今度は、軽い、馴染みのある足音だった。
鍵が外から回される。錠前の金具が、かちゃりと低く響いた。
扉が、ゆっくりと開く。
「……助けにきたよ〜」
軽い声がした。
夜の冷気と一緒に、その声が部屋へ流れ込んでくる。
扉の向こうに、伊吹が立っていた。黒の隊服のまま、いつもと同じ軽い笑みを浮かべている。ただ、左の頬には、ほんのわずかに薄い赤が滲んでいた。見張り役を倒したときに、すりむいたのだろう。
「まさか牢屋に入ってるなんて、びっくりしたよ」
扉の縁にもたれて、伊吹は楽しそうに小夜を見た。
「どんな悪いことしたの? 小夜ちゃん。仲間に入れてよ」
「伊吹……!」
声が震えた。
怒っていいのか、安堵していいのか、自分でも分からなかった。
伊吹は、ゆっくりと部屋に入ってくる。草履が畳を踏む音がした。
小夜の前で立ち止まり、手錠で吊り上げられた腕を視線でなぞる。それから、口の端を上げた。
「……いい眺めだね」
甘い声だった。
「こんな状態じゃ、何されても文句言えないね」
「……っ」
顔が、かっと熱くなる。
悪い笑みだった。いつもの軽さの中に、どこか含みがある。
伊吹は文机に近づき、そこに置かれていた細い筆を手に取った。乾いた筆先を、自分の指で軽く撫でながら戻ってくる。
(……っ、何)
小夜は身を引いた。
けれど、手錠のせいでほとんど動けない。
「ねえ、小夜ちゃん」
伊吹は笑顔のまま、筆先を小夜の首筋へ近づけた。
「ちょっと、いたずらしていい?」
「や、やだ……っ」
「だめ?」
答えは聞いていなかった。
筆先が、すっと首筋を撫でる。
「ひゃっ……」
体が跳ねた。
くすぐったいだけのはずなのに、手首を吊られているせいで逃げられない。感覚ばかりが、やけにはっきり伝わってくる。
「そこ、やめっ」
「えー、なんで」
筆先が、鎖骨の上をゆっくり這う。
「いじわる、しないで……」
声が上ずった。
顔が熱い。悔しいのに、逃げられない。
脇腹に筆先が触れた瞬間、小夜はとうとう声を上げて笑ってしまった。
「あはっ、あははっ!」
「お、そこ弱いんだ」
「も、もう! やめてってば!」
「えー、可愛い反応だなぁ」
伊吹は本気で楽しそうだった。
「あはははっ、あ、あはっ……っ」
(どうしてこんな目に……)
手錠で吊られたまま、笑い続けるしかない自分が情けない。
伊吹はしばらく筆先を遊ばせていたが、ようやく満足したのか、くすくす笑いながら筆を文机に戻した。
小夜は息も絶え絶えだった。肩を揺らして深く息を吸い、涙の名残を瞬きで散らす。
「……ごめんごめん」
伊吹はまだ笑っている。
「こんな状態、なかなかないからさ。悪いことしたくなっちゃって」
「……最低です」
絞り出すように言った。
でも、声にはもう怒気が残っていなかった。力が抜けて、ただ伊吹を見上げることしかできない。
伊吹はそれを見て、もう一度笑った。
それから、すっと真顔になる。
「……これ、邪魔だよね」
軽い声で、小夜の手錠に手を伸ばした。
普通の鬼なら、触れた瞬間に力を削がれる拘束具だった。結界術が刻まれた鉄と革の鎖は、外側から力任せに壊せるものではない。
けれど伊吹は、眉ひとつ動かさなかった。
次の瞬間、手錠が砕けた。
鈍い音と、金属が割れる音が重なる。伊吹の指先が、わずかに光ったのが見えた。
封鬼師としての力ではない。鬼としての力を、封鬼師の術で無理やり押し通したのだ。
手首から鎖が落ち、畳の上で低い音を立てた。
自由が戻った手を小夜が見ようとする前に、伊吹がその体を抱き上げる。
「……っ」
突然のことに、息が止まった。
伊吹は当然のように小夜を腕に抱えた。
「行こ」
短く、それだけ言って扉へ向かう。
部屋を出ると、廊下の床に見張り役が二人倒れていた。息はしている。ただ、気を失っているだけだ。
(……伊吹がやったんだ)
石段を、伊吹が軽々と上がっていく。小夜は、ただ運ばれることしかできなかった。
地下の冷気が、一段ずつ薄れていく。
地上に出ると、深い藍の夜空に月が高く澄んでいた。
秋の夜気が肌に冷たい。封鬼寮本館の大きな影が、月光の中に静かに浮かび上がっている。
伊吹は小夜を抱えたまま、軽く膝を曲げた。
次の瞬間、体がふわりと浮く。
「……っ」
小夜は思わず伊吹の首にしがみついた。
空が近い。
風が強くなる。
伊吹は本館の屋根の上へ、軽々と着地した。瓦の上で小夜をゆっくり下ろす。けれど、すぐ隣に立って肩を支えてくれていた。
屋根の頂に近い場所だった。
風が強く、二人の隊服の裾が夜気の中で揺れる。
「……さて」
伊吹が口を開いた。
声は軽かった。
「どこ行こっか?」
「え……?」
小夜は伊吹を見上げる。
月光の中で、蜂蜜色の瞳が青く澄んでいた。
「もう、こんなところ用ないでしょ」
伊吹は屋根の下を見下ろした。
「小夜ちゃんを、こんな目に遭わせる場所なんて」
その声には、ほんの少しだけ温度がなかった。
「……」
小夜は答えられなかった。
伊吹の目が、屋根の下へ向く。
本館。医務室。長官執務室。白瀬透子の研究室。それから、地下牢へ続く石段。
「ああ」
伊吹が薄く笑った。
「せっかくだから、全部壊してから出て行こっか?」
その目は、本気だった。
軽い口調なのに、目だけが深く沈んでいる。月光の中で、その瞳の奥に別のものが見えた気がした。
壊しかねない、本気の鬼の目。
小夜は息を呑み、慌てて首を振った。
体ごと伊吹の胸にすがりつく。
「……やめて」
声が震えた。
「壊さないで」
伊吹は、しばらく黙って小夜を見下ろしていた。
それから、ふっと笑う。
「分かったよ」
軽い声に戻った。
「どうしたい? 小夜ちゃんの言うとおりにするよ」
その言葉は、不思議と優しく聞こえた。
でも、本気で言っていることも分かる。
小夜は伊吹の胸に額を押しつけたまま、屋根の下を見下ろした。
九年間、見慣れてきた封鬼寮。
本館。医務室。補助班の研究棟。夜勤明けに皆で食べる食堂。特別区。
月光の中で青く沈んでいる、自分の場所。
(――出ていきたいのだろうか、私は……)
仲間になれたと、思っていた。
九年間、自分の血で鬼を鎮め、封鬼寮の一員として戦ってきた。
なのに、その血は知らないところで利用されていた。朱嶺のような鬼を、実験台にするために。
ぎゅっと、伊吹の衣を握りしめる。
返事はできなかった。
でも、伊吹は急かさずに待っていた。
風が頬を撫でていく。
「……俺はここに未練なんてないから」
伊吹がぽつりと言った。
「小夜ちゃんが選んでいいよ」
「……」
「鬼を倒すのに便利だから、いただけだし」
軽い声のままだった。
けれど、続く言葉は、どこか違った。
「小夜ちゃんさえいるなら、俺はどこでもいいからさ」
その一言で、心臓が強く跳ねた。
風の音が、一瞬だけ遠くなる。
(……今、伊吹は)
まるで、愛の告白のようだった。
でも本人は軽い顔のままで、自分の言葉の意味に気づいていないようにも見える。
(……気づいていないの? それとも、気づかないふりをしているの?)
判別がつかない。
月光の中で、伊吹の横顔はいつもと同じ軽さで笑っていた。けれど、その目だけは深く澄んでいる。
風が強くなり、二人の影が瓦の上でわずかに揺れた。
小夜は、伊吹を見上げる。
(……このひとは)
軽い口調で、本気のことを言う。
軽い口調で、倫理感のずれたことを言う。
その両方が、ひとつの体の中に共存している。
九年間、ずっと隣にいたのに。今夜初めて、その輪郭が見えた気がした。
でも、その先まで追いかけるのは、まだ怖かった。
答えを出したくなかった。
答えを出さなければいけないことが、怖かった。
そのとき、屋根の下で慌ただしい足音が響いた。
「伊吹様! 朝霧さん!」
息を切らした隊員の声だった。
伊吹が屋根の縁から下を見る。月明かりの下、隊員がこちらへ駆けてくるのが見えた。
「市街地で、鬼の暴走確認!」
声が、夜の風に乗って届く。
「被害拡大中です! 先日捕らえた鬼が逃走し、暴れているようです!」
空気が、一気に切り替わった。
小夜は息を呑む。
(……朱嶺)
あの鬼が。
逃走して、暴れている。
それは、投与された結果なのか。
拒絶反応なのか。
あるいは、別の何かなのか。
胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
伊吹が、ゆっくりと小夜を見る。
その目は、軽さの奥で深く澄んでいた。
判断を、小夜に委ねている目だった。
逃げるなら、逃げる。
戦うなら、戦う。
どちらでもついて行く。
そう言っているような目だった。
小夜は一瞬、躊躇した。
唇を強く噛む。
逃避行。
伊吹と、二人で。
それは、確かに魅力的に思えた。九年間の重みを全部置いていける。誰の駒でもなくなれる。
でも――逃げたら、朱嶺は誰が止めるのか。
市街地で、何人が犠牲になるのか。
自分の血で作られた薬の結果なら、自分にも責任があるはずだ。
小夜は、ゆっくりと頷いた。
「……行きましょう、伊吹」
声に、震えはなかった。
伊吹は、しばらく小夜を見ていた。
それから、軽く笑う。
「あーあ」
残念そうな声だった。
でも、目はすでに闘争心に満ちている。
「小夜ちゃんと逃避行するのもいいかと思ったけど」
大げさに肩を竦める。
「お預けかぁ」
冗談か、本気か、分からない声。
いつもの伊吹だった。
屋根の縁に、軽く足をかける。
「行こっか」
小夜の腕を、ぐっと掴む。
いつもの距離。
いつもの温度。
でも、その手の力は、いつもよりわずかに強かった。
「……はい」
小夜は頷いた。
屋根の上から、月光の中に沈む帝都が見えている。
遠く、市街地の方角の空が、わずかに赤く滲み始めていた。火の手が上がっているのかもしれない。
風が強く吹く。
二人の影が、瓦の上でひとつに重なった。
伊吹が、軽く空を蹴る。
体が、ふわりと浮いた。
月光の中を、二人で滑空していく。
帝都の夜が、目の前に広がっていた。
遠くで、また街の鐘が低く一つ鳴る。
誰かが、危険を告げる音だった。




