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稀血の娘――私を喰らう鬼を、好きになってしまった  作者: 高八木レイナ
第一部 私を喰らう鬼を、好きになってしまった

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19/50

幕間 雪の音

 雪の音がする。


 古い記憶の中では、いつも雪が降っている。

 榊恒一は、暴走現場へ向かう馬車の中で、ふと、その音を思い出していた。

 現実の空は、晴れていた。夕日は、瓦礫の残る通りを赤く染めている。遠くでは、誰かの泣き声と、建物が燃え崩れる音が低く混じり合っていた。

 なのに、頭の中だけは、雪だった。


 ――二十年前。


 まだ自分が長官に就く前。

 まだ、妹の千鶴が生きていた頃のこと。



 榊家は、代々官僚を輩出してきた家だった。

 帝都の山の手にある古い屋敷には、季節ごとに庭の色が変わる静けさがあった。春には藤が垂れ、夏には蝉が鳴き、秋には落ち葉が瓦屋根を埋める。

 恒一と、七つ下の妹・千鶴は、そこで育った。

 年が離れていたせいか、恒一にとって千鶴は、妹というより半分は娘のような存在だった。

 千鶴は、優しい子だった。

 いや、優しすぎる子だった。

 道端の犬猫を放っておけず、雨の日には必ず余分な傘を持って出かけた。学校で困っている子がいれば、自分の弁当を分けてやった。

 恒一は何度も叱った。


「お前が、全部背負う必要はない」


 すると千鶴は、決まってこう答えた。


「だって、放っておけないもの」


 その目は、いつもまっすぐだった。

 兄として諭そうとしても、恒一の方が言葉に詰まってしまう。

 千鶴は弱い子ではなかった。むしろ、恒一よりずっと芯が強かった。


 ――だからこそ、危うかった。


 恒一が封鬼寮に入ったのは、二十一の年だった。

 帝大を出たあと、父が望んだ内務省への道を断り、封鬼寮を選んだ。まだ組織としての形も粗く、隊員の数も少ない頃だった。

 恒一は、夜ごと鬼を狩った。刀の使い方を現場で覚え、仲間の死を現場で見送った。血と煙と書類の中で、眠る間も惜しんで働いた。

 その頃、千鶴には少し奇妙なところがあった。

 夕暮れになると、よく一人で庭に出ていた。藤棚の下や、古い椿の陰。屋敷の者があまり近づかない庭の奥で、誰もいないはずの場所へ向かって、話しかけていることがあった。


「千鶴」


 ある夕暮れ、恒一は廊下から声をかけた。

 千鶴は藤棚の下で振り返った。夏の終わりの薄い光の中で、白い横顔だけがぼんやり浮かんで見えた。


「誰と話していた」


 千鶴は、少し困ったように笑った。


「友だちよ」


「友だち?」


「うん。名前は、教えてくれないの」


 恒一は庭の奥へ目を凝らした。

 古い椿の陰。池の縁。濃くなり始めた夕闇。

 そこには、誰もいなかった。


「名前も教えない友だちか」


「悪いひとじゃないわ」


 千鶴は、当たり前のように言った。


「とても寂しそうなの。だから、少しだけ話を聞いてあげているの」


「千鶴」


 恒一は眉をひそめた。


「お前が、全部背負う必要はないと言っただろう」


「でも、放っておけないもの」


 また、それだった。

 恒一は深く息を吐いた。

 その時は、深く考えなかった。

 千鶴は昔から、犬や猫や、庭の花にまで話しかける子だった。庭の向こうにいる誰かというのも、近所の子どもか、使用人の知り合いか、あるいは千鶴の空想なのだろうと思った。

 だが、その夏の終わり。

 千鶴が高熱を出して倒れた。屋敷の障子の外では、蛍がぽつぽつと光っていた。

 医者を呼んでも原因は分からない。

 数日、生死の境を彷徨ったあと、千鶴の体から奇妙な匂いがするようになった。

 甘く、深く、鼻の奥に残る匂い。

 恒一は、その匂いに覚えがあった。

 封鬼寮の書庫で、何度も読んだ記録。


 ――稀血。


 鬼を引き寄せ、鬼を鎮める、特殊な体質。

 そして、長くは生きられないと記された血。

 千鶴は熱を乗り越えた。

 けれど、恒一の中には小さな疑いが残った。

 あの庭にいた、名もない友だちは、本当に人だったのか。

 千鶴が稀血になったあと、恒一は何度も庭を調べた。藤棚の下。古い椿の根元。千鶴がよく立っていた池のそば。

 結界の綻びも、鬼の痕跡も、はっきりしたものは見つからなかった。

 屋敷に出入りした者の記録も洗った。近隣の子どもや使用人にも、それとなく話を聞いた。

 だが、千鶴が言っていた「名前を教えてくれない友だち」に当たる者は、誰もいなかった。

 それでも、疑いだけは消えなかった。

 ただ病に倒れただけで、あそこまで血が変わるものなのか。名もない友だちが、千鶴に何かをしたのではないか。あれは本当に、人だったのだろうか。

 その答えを、榊は今も知らない。

 千鶴は、稀血になってから少しずつ変わっていった。

 夜になると、何かを聞き取るように耳を澄ませる。誰もいない庭を見つめ、風の中に声を探すような顔をする。


「お兄ちゃん」


 ある夜、千鶴は障子の向こうを指差した。


「あの植木の暗がりに、誰かが立ってるの」


 恒一には、何も見えなかった。

 だが、千鶴が見えていると言うなら、それは「いる」ということだった。

 稀血の娘は、鬼の気配を拾う。書物にそう記されていた。

 その夜、恒一は決めた。

 屋敷では、もう守れない。千鶴を外の世界に置いておくことはできない。封鬼寮の中に、稀血を保護するための場所を作るしかない。

 恒一は、上司に直訴した。


「稀血を保護するための、独立した区画が必要です」


 当然、難色を示された。

 予算がない。政治的に扱いが難しい。下手に囲い込めば、利用されかねない。

 恒一は引かなかった。書庫の記録を持ち出し、稀血の危険性と重要性を説いた。

 稀血は、鬼を斬るのではなく、鎮める可能性を持っている。だが、その力を扱うためには、安全な保護と研究が必要だ。

 書類を書いた。却下された。また書いた。

 半年が過ぎた。

 ようやく、許可が下りた。

 封鬼寮本館の北側。結界を幾重にも張り、外部からの干渉を遮断する独立区画。


 ――特別区。


 恒一は、設計の最後まで関わった。千鶴を守るためだった。その第一の住人として、千鶴を迎えるためだった。

 父も母も、最初は反対した。だが、恒一はすべてを話した。

 稀血のこと。鬼に狙われる危険。屋敷の結界では、もう守れないこと。

 最後には、両親も折れた。

 千鶴自身は、何も言わなかった。ただ、いつもの穏やかな笑みで頷いた。


「お兄ちゃんが決めたなら、いいよ」


 その従順さが――今になって、ひどく痛い。



 千鶴が特別区に入ってしばらくした頃、恒一は一人の医官を紹介された。


「白瀬透子と申します」


 白衣を着た、若い女性だった。帝大の医学部を出たばかりで、封鬼寮の医官に配属されたばかりだという。

 長い黒髪を後ろでまとめ、細い眼鏡の奥に静かな瞳をしていた。口調は当時から淡々としていた。


「稀血の研究と管理を担当します。よろしくお願いいたします」


 恒一は、頭を下げた。

 千鶴を託せる相手が必要だった。医官として稀血の体質を理解できる人間。そして、同じ女性として、千鶴の話し相手になれる人間。

 白瀬透子は寡黙だったが、冷たい人ではなかった。千鶴の体調を細かく記録し、検診の合間には短い世間話もした。

 最初は緊張していた千鶴も、すぐに馴染んだ。


「透子さん」


 千鶴は、いつの間にか白瀬を名前で呼ぶようになっていた。


「お兄ちゃんは、いつも忙しいの。だから、透子さんが来てくれると嬉しい」


「……そうですか」


 白瀬は少しだけ笑った。

 ほんのわずかに、口元を緩めただけだった。だが、それは千鶴の前でだけ見せる表情だった。

 恒一は、その光景を一度だけ見たことがある。

 障子の隙間から、千鶴が何かを話して、白瀬がかすかに笑っているのが見えた。ただそれだけの、些細な場面だった。

 それでも、なぜか深く記憶に残っている。

 あの頃の白瀬は、まだ若かった。今のように、徹底した冷静さを身にまとってはいなかった。

 千鶴もまた、笑えていた。



 千鶴が亡くなったのは、彼女が二十一歳になった年の冬だった。

 特別区での生活にも慣れ、体調も安定していた。白瀬の研究によって、稀血の体質に対する対処法も、いくつか確立され始めていた。

 恒一は、思ってしまった。

 もう大丈夫だ、と。

 千鶴は安全だ、と。

 その油断が、すべての始まりだった。

 冬の入口。

 千鶴が里帰りを望んだ。


「お父さんとお母さんに会いたい」


 千鶴は、ぽつりと言った。


「お正月だけ、お屋敷に戻りたいの」


 恒一は迷った。

 特別区に入ってから、千鶴は二年間、一度も外に出ていなかった。

 一晩だけなら。屋敷には結界を張り直している。信頼のおける隊員を護衛に付ければいい。

 恒一は、二十名の隊員を手配した。通常の任務なら過剰なほどの数だった。念には念を入れたつもりだった。

 その夜、帝都には珍しく、深い雪が降っていた。石畳も、瓦屋根も、すべてが白く埋もれていた。

 恒一は封鬼寮にいた。長官就任に向けた準備で、大量の書類があった。翌朝、屋敷に顔を出すつもりだった。

 報告が届いたのは、深夜だった。


「屋敷の結界が破られました」


 使いの者の声は、雪の冷気に震えていた。


「鬼が、入りました」


 恒一は刀を掴み、駆け出した。

 雪の中を走った。息が白く濁り、足元の雪が何度も崩れた。

 屋敷に着いたとき、門の外には護衛の隊員たちが並んでいた。ほとんどが無傷だった。


「申し訳ありません」


 隊員の一人が、深く頭を下げた。


「鬼は、結界をすり抜けました」


 すり抜けた。

 その言葉で、恒一は理解した。

 屋敷に入ったのは、堕ち鬼だったのだ。元は人間だった鬼。人間の姿のまま屋敷へ近づき、結界の網目を通り抜けた。


 ――稀血を求めて。


 恒一は、千鶴の部屋へ走った。

 障子は破れ、畳には鬼の爪痕が深く刻まれていた。開け放たれた窓から、雪が部屋の中まで降り込んでいる。

 血の匂いがした。冷たい空気の中で、その匂いだけが生々しく濃かった。

 恒一は、震える手で奥の襖を開けた。

 千鶴は、窓辺に立っていた。雪を見ていた。

 白い肌が、月明かりに照らされている。その足元には、堕ち鬼の体が横たわっていた。すでに絶命している。

 千鶴の手には、懐刀があった。恒一が護身用に持たせたものだった。


「……お兄ちゃん」


 千鶴が振り返った。

 笑っていた。いつもの、優しい笑みだった。

 けれど、その瞳の奥には、別の色が混じっていた。


「……ごめんね」


 短い言葉だった。


「鬼が、来たの」


 声は震えていなかった。淡々と、事実だけを語っている。


「私の匂いを、嗅ぎつけたみたい」


「千鶴」


「自分で止めたの。護衛の人たちは、無事よ」


「千鶴、お前――」


「でも」


 千鶴の手が、自分の胸を押さえた。


「鬼の感情が、流れ込んできたの」


 恒一の足が止まった。


「あの鬼……元は、人間だった人。家族を亡くした女の人だったみたい」


 千鶴は、静かに言った。


「悲しみと、絶望が、私の中に入ってきて」


 息が、かすかに乱れる。


「気づいたら、自分の感情と、区別がつかなくなってた」


 恒一の目の前で、千鶴の体が揺らいだ。肌が、わずかに青みを帯びていく。目の奥に、別の光が宿り始めていた。


「……お兄ちゃん」


 千鶴の声が、低くなる。


「私、もう止められない。鬼になってしまう」


 その意味を、恒一は理解した。


 ――堕ち鬼。


 強い感情に引きずられ、自我を鬼に飲まれる者。書物には、まれな例だと記されていた。まさか千鶴が、と信じたくなかった。

 だが、千鶴の目を見て分かってしまった。


 ――もう、間に合わない。


 雪が、開け放たれた窓から舞い込んでくる。

 千鶴の髪に、白い結晶がひとつ、ふたつ、落ちた。


「……お兄ちゃん」


 千鶴が近づいてくる。恒一は動けなかった。


「お願い」


 千鶴は、自分の喉元に指を当てた。


「私が誰かを傷つける前に、殺して」


 恒一の頭が、真っ白になった。


「……無理だ」


 乾いた声が出た。


「無理だ、千鶴」


「お願い」


「そんなこと、できるわけがない」


「お兄ちゃんしか、いないの」


 千鶴は笑った。


「他の人にやらせるのは、嫌」


 その笑みを、恒一は今でも覚えている。

 優しくて。穏やかで。覚悟が決まっていた。

 千鶴の方が、よほど強かった。


「ごめんね、お兄ちゃん」


 千鶴は、自分から恒一の腕の中に入ってきた。

 恒一は、最後まで腕を引こうとした。刀を落とそうとした。逃げようとした。

 けれど千鶴の手は、驚くほど強かった。兄の刀を、自分の胸へ導いた。

 ほんのわずか、刃が沈む。それだけで、取り返しはつかなくなった。


「……ありがとう」


 最後の声だった。

 雪が、二人の上に降り積もる。

 血が、雪を赤く染めた。


 白の中の、赤。


 その色が、いつまでも消えなかった。

 恒一は千鶴を抱きしめたまま、動けなかった。涙は出なかった。ただ、白い息だけが、夜に立ち昇っていた。

 屋敷のどこかで、屋根の雪が滑り落ちる音が、低く一度だけ響いた。



 その夜、白瀬透子も屋敷に駆けつけていた。

 医官として、千鶴の里帰りに備え、封鬼寮で待機していたのだ。到着したときには、すべてが終わっていた。

 白瀬は、千鶴の体を見下ろしていた。眼鏡の奥の瞳が、わずかに揺れていた。

 涙は流さなかった。ただ、しゃがみ込み、千鶴の頬に指先で触れた。


「……死亡を、確認しました」


 淡々とした声だった。

 だが、その指先は震えていた。

 立ち上がったとき、白瀬はもう、いつもの淡々とした顔に戻っていた。そして二度と、千鶴の前で見せていたような柔らかい笑みを見せることはなかった。

 あの夜から、白瀬は変わった。

 稀血の体質を根本から解明する。堕ち鬼の発生条件を、科学的に検証する。鬼の暴走を、薬によって抑制する。


 ――もう誰にも、千鶴と同じ死に方をさせない。


 そのためなら、何でもやる。

 白瀬は、そう決めたのだろう。

 恒一は、その変化を止めなかった。止められなかった。

 自分も、同じだったからだ。



 千鶴の葬儀は、内輪だけで行われた。

 その夜から、恒一も変わった。

 封鬼寮での仕事に、すべてを注いだ。眠らずに書類を読み、現場に出た。仲間が死に、仲間が傷ついても、立ち止まらなかった。

 動機を、誰にも語らなかった。

 鬼への復讐ではなかった。鬼を憎めば楽だったのかもしれない。だが、千鶴は最後まで鬼を憎まなかった。

 恒一に残されたのは、ひとつだけだった。


 ――二度と、千鶴のような子を出さない。


 稀血の存在をなくすことができないのなら、安全に守る。守るだけでは足りないのなら、鬼の暴走そのものを制御する。

 そうしなければならないと思った。

 もう千鶴は救えない。だから、未来の千鶴を救うしかない。

 それでも時折、恒一はあの庭を思い出した。

 藤棚の下。古い椿の陰。名を教えなかった、千鶴の友だち。

 千鶴の稀血は、本当に偶然生じたものだったのか。何者かが、千鶴の血を変えたのではないか。

 その疑いは、証拠のないまま二十年、恒一の中に残り続けた。

 だが、疑いだけでは誰も救えない。今、目の前にある命を守るしかなかった。

 封鬼寮の長官になったのは、三十を過ぎてからだった。

 その頃、ある鬼の子供と出会った。

 伊吹だ。

 鬼でありながら、鬼を狩る少年。その存在を知ったとき、恒一は震えた。

 もし、千鶴の隣にこの男がいたら。もし、千鶴を守れる存在が、もっと早く現れていたら。

 そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。

 だが、過去は変えられない。未来を変えるしかなかった。

 恒一は、伊吹を特務封鬼師として迎え入れた。あの男は自由気ままで、扱いにくかった。命令には従わず、規律も無視する。

 だが、誰よりも強かった。

 いつか再び稀血の娘が現れたとき、伊吹の力なら守れるかもしれない。

 そう考えた。


 ――守るために、使う。


 その境目が、いつから曖昧になったのか、恒一自身にも分からなかった。



 数年後、その娘が現れた。


 ――朝霧小夜。


 伊吹が連れてきた少女を見たとき、恒一は千鶴を思い出した。同じ匂いがした。優しすぎる眼差しをした、稀血の娘。

 また同じことが起きるのではないかと恐れた。

 だから、特別区に迎えた。千鶴のために作った、結界の中へ。外の鬼から守るために。稀血を管理するために。そして、研究を進めるために。

 白瀬透子は、二十年かけて稀血の研究を続けてきた。稀血を用いれば、鬼の暴走を鎮められるのではないか。血そのものを加工し、薬として安定させられないか。

 理論はあった。希望もあった。

 だが、結果は思うように出なかった。

 投与された鬼は、暴走を鎮めることもあれば、逆に激しく乱れることもあった。失敗例は、隠すべきではなかった。

 それでも白瀬は言った。


「調整すれば、抑制に転じるはずです」


 恒一も、それを信じたかった。

 信じなければ、千鶴の死から始まったすべてが、無意味になる気がした。

 白瀬も、止まれなかった。恒一も、止まれなかった。

 千鶴のような子を、もう出したくなかった。その一念が、いつしか判断を歪ませていた。


(……間違えた)


 今なら、そう思う。

 道を間違えた。

 だが、それでも止まれなかった。

 千鶴の最後の声が、まだ耳の奥に残っている。


『ありがとう』


 その声に、応えなければならなかった。応えなければ、千鶴の死が無駄になる気がした。

 だから、走り続けた。

 間違っていても。血を流しても。誰かを傷つけても。

 白瀬も同じだった。

 あの夜、千鶴の頬に触れた指先の震えを、二十年、隠して生きてきた。眼鏡の奥の瞳の冷たさは、本当の冷たさではない。

 あれは、自分を律するための仮面だ。

 それを知っているのは、恒一だけだった。

 そして、同じ仮面を、自分もまた、二十年かけて被り続けている。




 

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