35.自分の気持ち
「リアナ。君の気持ちを聞かせてくれ。もちろん、私の側に帰ってきたいよな?」
セレスティア様は、穏やかな笑みを浮かべながらそう問いかけてきた。その表情には、私が今でも自分を慕っているという疑いが、欠片もなかった。
……本当は、もう違うのに。私の気持ちは、とっくに離れてしまっている。
それなのに、セレスティア様は何も気づいていない。そのことが悲しくて、胸の奥がちくりと痛んだ。
本当の気持ちを伝えるのは怖い。誰かを傷つけるような言葉を口にするのは、昔から苦手だった。
だけど――もう逃げたくない。隣にはフィオナ様がいる。シグリッドさんもいてくれる。二人の存在が、震える心を支えてくれる。
だから私は、小さく息を吸い込み、ゆっくりと顔を上げた。そして、もう逸らすことなく、真っすぐセレスティア様を見つめた。
「……セレスティア様」
震える声で名前を呼ぶと、セレスティア様は穏やかに微笑んだ。私を慕っているような顔だ。
「まず、伝えたいことがあります」
私は胸の前で両手をぎゅっと握りしめる。
「昔の私は、誰にも必要とされていないと思っていました。祝福のことを否定されて、居場所もなくて、毎日が苦しくて……そんな私を助けてくれたのが、セレスティア様でした」
一度言葉を切り、ゆっくりと息を吐く。
「あの時、庇ってくれたことも、祝福を認めてくれたことも、寄り添ってくれたことも、本当に感謝しています。あの優しさがあったから、私は少しずつ前を向くことができました」
その言葉に、セレスティア様は安心したように口元を緩めた。だけど、それはもう昔の話だった。
「……だけどそれは、昔の話です。今の私は、違います」
私は真っ直ぐにセレスティア様を見つめ続けた。震えていた声が、少しずつはっきりとしていく。
「私……キスが嫌だったんです」
セレスティア様の表情から感情が抜け出る。まるで、そんなことを言われるとは思わなかった様子だ。
「祝福のためのキスじゃありません」
私は首を横に振った。
「私が嫌だったのは、私の気持ちを知ろうともせず、勝手に決められてしまうことでした。嫌だと思っても、それを伝える前に話が進んでしまうことが、本当に苦しかったんです」
セレスティア様は目を見開き、信じられないものを見るような顔をした。
「ま、待ってくれ。リアナ……君は同意していただろう?」
困惑した声だった。まるで、本当に分からないと言いたげだった。
私は静かに首を振る。
「違います」
その一言だけで、胸の奥につかえていたものが少しだけ軽くなった。
「私は、人を拒絶するのが苦手なんです。強く言われると、本当の気持ちを言えなくなってしまいます」
本音を言うのは心が痛くなる。止めてしまいそうな自分に喝を入れるように、自然と拳に力が入れた。
「本当は、同意なんてしたくありませんでした」
今まで一度も言えなかった言葉が、ようやく口から零れ落ちる。胸が苦しくなると思ったが、逆に軽くなった。
これなら、言えるかもしれない。
「それなのに、セレスティア様は私が何を思っているのか聞こうともせず、ご自身の気持ちだけを押しつけてきました」
あの時を思い出すと、涙が滲む。だけど、もう俯かなかった。
「私は、何度も苦しかったです。何度も怖かったです。なのに、それを伝えることすらできませんでした」
今までこんなにはっきりと自分の気持ちを伝えてこなかった。だからだろうか、セレスティア様は言葉を失い、呆然と立ち尽くしていた。
「そんな……リアナは、私を慕っているんだろう? ずっとそうだったじゃないか」
まるで、自分自身に言い聞かせるような声だった。私が嘘を言っていると思っているような態度を前に、少しだけ心が傷つく。この人は私の事なんて見ていなかったっていうのが良く分かった。
昔の私なら、この顔を見たら何も言えなくなっていただろう。だけど、今は違う。私には、支えてくれる人たちがいる。だから、もう自分の気持ちから逃げない。
私はセレスティア様を真っ直ぐ見つめ返し、震えることなく、はっきりと言った。
「……いいえ。私は、セレスティア様が嫌いです」
強い眼差しを向けて伝えた気持ち。その言葉にセレスティア様はさらに目を見開き、呆然とした。
「そ、そんな……リアナが、私を……嫌い?」
「はい」
私は、もう迷わなかった。
「セレスティア様は、一度も私の気持ちを知ろうとしてくれませんでした」
静かに言葉を重ねる。
「私は嫌でした。怖かったです。それなのに、私が何を感じているのか聞こうともせず、『王国のため』『研究のため』『私のため』と、ご自身の考えだけを何度も押しつけてきました」
礼拝堂は水を打ったように静まり返っていた。だけど、不思議と怖くなかった。
「私が断れないことを知っていて、何度も同意したことにされました。私が何も言えないことを、『受け入れている』と決めつけられました」
一つ一つ、胸の奥に押し込めてきた想いを吐き出していく。
「私は、ずっと苦しかったんです」
その一言に、すべての想いを込めた。
「セレスティア様は、私を守ると言ってくれました。でも、本当に守ってほしかったのは、私の気持ちでした」
その言葉を聞いた瞬間、セレスティア様の顔から血の気が引いていく。
「違う……私は、そんなつもりでは……」
震える声で否定しようとする。だけど、私は静かに首を横へ振った。
「つもりじゃありません。私が、そう感じていたんです」
その一言が決定打になった。セレスティア様は大きく目を見開いたまま、その場で力が抜けたように膝をつく。
「そんな……私は、リアナのためを思って……」
呆然と呟く声には、先ほどまでの自信はもうなかった。自分が信じていたものが、音を立てて崩れていくような表情だった。
周囲にいた王都騎士団の団員たちも、その姿に動揺を隠せない。
「団長……」
「だ、大丈夫ですか……」
駆け寄った部下たちがセレスティア様の肩を支える。セレスティア様はなおも私を見つめ続けていたが、その瞳にはもう先ほどまでの確信はなく、ただ深い衝撃と戸惑いだけが浮かんでいた。
「……一度、お下がりください」
部下に促されると、セレスティア様は抵抗することもなく、力なく立ち上がる。そして何度も振り返りながら、そのまま礼拝堂を後にしていった。
その背中が見えなくなった瞬間――私は、小さく息を吐いた。胸の奥にずっと沈んでいた重たい石が、すっと消えていくような感覚だった。
怖かった。苦しかった。それでも、逃げずに最後まで伝えることができた。初めて、自分の気持ちを、自分の言葉で守ることができたのだ。
その小さな達成感が、胸の奥をじんわりと温めてくれる。もう、私は昔の私じゃない。そう思えた。




