34.怖かったのはキスじゃなかった
「だから、近づかれるだけで体が強張ってしまって、何も喋れなくなるんです。もし、あの時と同じことをされたらって思うと……。キスも嫌になりました」
思っていたよりも、過去のことはすんなりと口にできた。
もっと恐怖が蘇ると思っていた。だけど、今は一人じゃない。そう思えたからか、胸を締めつけるような苦しさは、不思議と感じなかった。
すると、アイリスが抱き着いてきた。ギュッときつく抱きしめてきた、その体は震えていた。
「そんなに辛い思いをしているって……どうして教えてくれなかったのじゃ!」
「……ごめんなさい。心配を掛けたくなくて……」
「リアナは馬鹿じゃ! そんなの気にしなくても良かったのに!」
そんな風に辛い思いをさせるから。だから、言いたくなかった。そう言いたいけれど、今はそれを言わない方がいいと思った。
「リアナ、正直に話してくれてありがとう。その辛い気持ち、伝わってきたよ」
「嫌な事を思い出させて悪かったね。少しでも、その心を癒してあげたい気分だよ」
すると、話を聞いてくれていた二人が穏やかにそう言ってくれた。あんなことを話したのに、二人は態度を変えない。それが、とてもホッとしたのを感じた。
二人がいるだけで、こんなに心強いなんて……。自分の心の変化に戸惑いつつも、感謝をしていた。
「だが、このままではセレスティア殿が増長してしまう。リアナの気持ちを考えていないそぶりだった」
「リアナ……断ることは出来る?」
……確かに私が断れば、諦めてくれるかもしれない。だけど、セレスティア様を前にして言えるかどうか不安だった。また、体が硬直して言い出せなかったら……。
不安になって俯いていると――。
「だったら、私がリアナの力になる。少しでも勇気が出るように守ってみせる」
「不安だと思う……だけど、言わないと変わらない。傍にいてあげるから、勇気を出そう」
二人の言葉は、震えていた私の心をそっと包み込むようだった。
今までずっと、一人で耐えるしかないと思っていた。怖くても、苦しくても、誰にも頼れないのだと諦めていた。
だけど、今は違う。
私が怯えて立ち止まっても、二人が隣で支えてくれる。その温かさを感じるだけで、張りつめていた心が少しずつほどけていく。
大丈夫かもしれない。一人じゃないのなら、今度こそ自分の気持ちを伝えられるかもしれない。
「ありがとうございます。その時は……お願いします」
縋るような思いで頭を下げると、胸の奥にあった重苦しい不安が、ほんの少しだけ軽くなった。今は、この二人がいてくれる。それだけで、私は心から安心することができた。
◇
だけど、それからは作戦の準備に追われていたのか、セレスティア様が私の前に姿を現すことはなかった。そのことに胸を撫で下ろす一方で、どこか肩透かしを食らったような気持ちにもなる。
そんな日々を過ごしていると、ついに魔王軍が大規模な侵攻を開始した。以前退けた六魔将軍が、さらに強力な魔物たちを率いて進軍してきたらしい。
幸い、その動きは偵察部隊がいち早く察知していたため、王都から騎士団長をはじめとする精鋭部隊が急行してきたという。
――とうとう、決戦の日が来た。
その日の教会は、夜明け前から慌ただしい空気に包まれていた。
礼拝堂には出陣を控えた騎士や傭兵たちが次々と訪れ、あちこちで足音が響き、神官たちの指示が飛び交う。少しでも早く前線へ送り出そうと、誰もが息つく暇もなく動き回っていた。
私も休む間もなく祝福を授け続ける。
一人終えれば、すぐに次の人が前へ出る。その繰り返しに精神は少しずつすり減っていく。それでも、これから命を懸けて戦う人たちのためだと思えば、立ち止まるわけにはいかなかった。
そんな慌ただしい最中だった。
「リアナ、分かっているね?」
聞き慣れた声に肩がびくりと震える。視線を向けると、セレスティア様が穏やかな笑みを浮かべながら、人混みを縫うようにこちらへ歩いてきていた。
「リアナの力が必要だ。今のリアナなら、以前よりも強い祝福を授けられるだろう。その力を使って、私が六魔将軍を討ち、その功績でリアナを王都に連れ戻そう。そうしたら、以前のように一緒にいられる。私がリアナを守れる」
誰もそんなことを望んでいないのに、さも、私が思っているように言ってきた。その強い束縛に身がすくむ。
言わなきゃ。嫌だって言って、気持ちを伝えなきゃ。そう思うのに、思うように言葉が口から出ない。
手を伸ばされ、体に触れられる――そう思った時、私の目の前にフィオナ様とシグリッドさんが立ちはだかった。
「そこまでだ、セレスティア殿。これ以上、リアナに近づくことは許されない」
「何を言っている? リアナは私を求めている。現に拒絶されていないだろう?」
「……どこを見て、言っている。明らかに怯えているじゃないか」
「私が怖がられていると? ……あぁ、そうか。あの時のキスが気にかかるんだね」
二人が制止しているのにも関わらず、セレスティア様は話を聞かない。それどころか、以前の事を蒸し返してきた。
「リアナはあの時のキスが嫌だったんだね。でも、大丈夫。上手になったから、きっと満足させられる。だから、ほら……もう一度試そう」
一体、何を言っているんだ? 話が通じなくて、怖かった。余計に言葉が出なくなる。ちゃんと言わないと、伝わらないのに……。
「それ以上、一歩でも近づいてみろ」
フィオナ様が一歩前へ出る。凛とした声が礼拝堂に響き、セレスティア様の足が止まった。
「リアナは嫌がっている。それが分からないのなら、騎士団長失格よ」
「リアナは物じゃない。自分の意思で生きている、一人の女の子なんだよ」
すると、その隣にシグリッドさんも静かに並び立つ。鋭い視線を向けて、怒りをあらわにしていた。
「拒絶しないんじゃない。怖くて拒絶できないだけ。それを都合よく解釈して、自分の望みを押しつけないで」
「リアナが望まないことは、誰であろうとさせない。私たちが守る」
二人の言葉には迷いがなかった。私の代わりに怒ってくれて。私の代わりに立ち向かってくれて。私の気持ちを、私以上に大切にしてくれている。
その背中を見つめた瞬間、胸の奥が熱くなった。どくん、と鼓動が大きく鳴る。
あぁ……そうだったんだ。今になって、ようやく分かった。
私が怖かったのは、キスじゃない。自分の「嫌だ」が届かないこと。拒絶しても受け入れてもらえないこと。
私の気持ちも意思も存在しないもののように扱われることが、何より怖かったんだ。だから、フィオナ様とシグリッドさんは違う。
二人は、私の意思を一番に考えてくれる。私が何を望み、何を嫌がっているのかを、ちゃんと見てくれる。
だから、一緒にいると安心できる。だから――勇気が湧いてきた。
もう、黙ったままではいたくない。今度こそ、自分の気持ちを、この人に伝えたい。




