33.過去の記憶
日に日にセレスティア様との距離が近くなる。手が届かない範囲から手が届く範囲に。手だけに触れていたのに、肩や頬を触るようになり。腰に手を当てて、引き寄せようとしてきた。
どんなことをされても、声が出なかった。嫌だと言えばいいのに、言えなかった。怖くて堪らなくて、いつもフィオナ様やシグリッドさんに助けられていた。
このままじゃダメ。だけど、どうすればいいか分からない。そんな葛藤をしていると――耐えかねたアイリスが鬼気迫る顔で詰め寄ってきた。
「一体、騎士団長と何があったんじゃ? それが分からん限り、騎士団長を引き離すことが出来ない」
アイリスの言葉にフィオナ様とシグリッドさんも同意するように頷いた。
「どんな悪行をして、そこまでリアナを嫌がらせたの? それを知らないと、非難出来ない」
「辛いことを思い出させてしまうのは、申し訳ない。だけど、その理由を知りたいんだよ」
……やっぱり、そう思うよね。もう、何を言ってもセレスティア様は距離を縮めくるだろう。もう、一人の力でどうこうできる状況ではなくなってしまった。
言うしかない。その決意をして、私は口を開いた。
◇
あれは、私が聖女に選ばれた頃のこと。祝福が百合キスでしか発動しないと判明した瞬間、礼拝堂にいた人たちの視線は一斉に冷たく変わった。
「欠陥品」「そんな聖女に価値はあるのか」――そんな言葉が次々と飛び交い、誰一人として私の味方をしてくれる人はいなかった。
私はただ俯き、小さく震えながら、その言葉を受け止めることしかできなかった。不安で胸が押し潰されそうになっても、反論する勇気なんてなく、聖女とは認められないのだろうかと、孤独の中で怯えていた。
そんな私を、ただ一人だけ庇ってくれた人がいた。その人こそ、騎士団長のセレスティア様だった。
「どんな祝福であれ、神の力には変わりない。私がその力の有用性を証明しよう」
誰もそんな祝福を受けたくない。そう、周りが言っていたのに、セレスティア様だけは私を庇ってくれた。
そして、私はしばらくの間、セレスティア様と行動を共にするようになった。そんな時にいつも、優しい言葉をかけてくれた。
「両親が亡くなって、妹を養わないといけない環境はとても心穏やかにはなれない。少しでも、その力になれればいいと思っている。私の事を姉のように慕ってくれて構わない」
そう言って穏やかに笑いかけてくれたセレスティア様は、とても優しくて、いつも私の気持ちを気遣いながら寄り添ってくれた。
その温かさに、両親を亡くしてから誰かに甘えることも、頼ることも諦めていた私は、気づけば自然とその人を頼るようになっていた。
もともと私は人付き合いが苦手で、自分から誰かに助けを求めることなんてほとんど出来ない性格だった。それでも、セレスティア様は決して急かすことなく、私の歩幅に合わせるように少しずつ距離を縮めてくれた。
私も少しずつ心を開き、少しずつ笑って話せるようになり、いつしか一緒にいることが当たり前だと思えるほど打ち解けていった。
すると、セレスティア様も以前より柔らかな表情を見せるようになり、お互いに他愛もない話をして笑い合える時間が増え、騎士団長と聖女という立場を忘れてしまうくらい、自然な関係になっていった。
そうして、肝心の祝福の検証も始まった。
「まずは手にしてみよう。それで、力が発動するか確かめる」
初めての祝福は、手の甲へのキスだった。
人にキスをするなんて初めての経験だったから、緊張で胸がいっぱいになり、心臓が壊れてしまいそうなくらい激しく鼓動を打っていたのを、今でもはっきりと覚えている。
震える唇でそっと手の甲へ触れるように口づけると、その直後、セレスティア様は自分の体を確かめるように拳を握ったり、腕を動かしたりして、その変化を確かめ始めた。
「これは……かなりの力が付与されてきたように思う。リアナの祝福は、他の聖女の祝福に比べても相当強い」
そう言って、自分のことのように嬉しそうな笑みを浮かべながら、私の祝福を初めて認めて、褒めてくれた。あの時の私は、その言葉が本当に嬉しくて、胸の奥に張りつめていた不安が少しだけ溶けていくような気がしたのだった。
それから、セレスティア様と一緒に祝福の検証をした。私は色々なところにキスをした。そうして、祝福が発動する箇所を搾り、その力の強さも実証していった。
そうすると、周りの目が変わった。他の聖女よりも強い力が発動するとあって、様々な人に利用されるようになった。
だけど、その頃から、セレスティア様は少しずつ変わり始めた。最初は、本当に些細なことだった。
「祝福を求める者が増えてきた。リアナは人付き合いが苦手だからな。私が間に立とう」
そう言って、私に近づく人たちを整理してくれた。最初はありがたかった。大勢の人に囲まれるだけで息が苦しくなる私にとって、セレスティア様は頼れる存在だったから。
だけど、それは少しずつ形を変えていった。
気づけば、誰と会うかまでセレスティア様が決めるようになっていた。教会の人たちも、相手は王国騎士団長だ。逆らえる人なんて誰もいない。
だから、私は何も言えなかった。違和感はあった。でも――私のためを思ってくれているのだと、自分に言い聞かせていた。
そんなある日のことだった。祝福の検証を終え、一息ついていると、セレスティア様が静かに口を開いた。
「次は、唇にしてみよう」
一瞬、意味が分からなかった。
「手や頬でこれほどの力があるのなら、より特別な部位なら、さらに大きな祝福になる可能性がある」
確かに、検証としては筋が通っている。だけど――嫌だった。どうしても嫌だった。
唇へのキスだけは、大好きな人としかしちゃいけないものだと、ずっと思っていたから。
「安心しなさい。私はリアナを傷つけたりしない」
その言葉に、小さく頷いてしまった。これまで何度も助けてもらった。誰よりも信じていた人だった。だから、私は断れなかった。
逃げたい。でも、逃げられない。覚悟を決めて私は震える唇を、そっと重ねた。
ほんの一瞬。それだけだったはずなのに、全身が熱くなり、恥ずかしさで涙が滲んだ。胸の奥がざわつき、どうしようもない居心地の悪さが残る。
唇が離れると、セレスティア様は目を見開いていた。
「……少し強いぐらいか? まだ検証をしないといけないな」
少し興奮気味に言っていたのに、言葉とは合わない様子に違和感を覚えた。何か隠しているような、そんな感じが……。
その日を境に、検証の名目で唇への祝福を求められることが増えていった。
「もう一度だけ」
「確認したいことがある」
「また、しよう」
そう言われるたびに、私は断れなかった。断ろうとしても、「王国のためだ」「祝福の研究に必要なんだ」と諭されると、私には何も言い返せなかった。
それどころか、少しでも躊躇すると、セレスティア様は寂しそうに笑うようになった。
「……私のことは、もう信じられないのか?」
そんな顔を見せられると、私が悪いことをしているような気持ちになってしまう。
だから私は謝って、また唇を重ねた。その回数は、一度、二度では終わらなかった。
気づけば、それは検証ではなく、当たり前のように繰り返される日常へと変わっていた。私の中で嫌な気持ちがだけがどんどん溜まっていき、それは祝福に影響を及ぼした。
祝福が弱くなっている。そう囁かれ始めた。祝福の弱くなった聖女はいらない、と私を王都から追放する話が浮上してきた。
祝福しか取り柄のない私から、その祝福までなくなってしまったら――私はもう必要とされなくなる。その恐怖に胸が締めつけられ、どうすればいいのか分からなくなってしまった。
そんな時、私の不安な心を突くようにセレスティア様が囁いてきた。
「私に身を任せれば、きっと追放の話もなくなる。だから、私に任せなさい」
一体、何の話なのかよく分からなかった。だけど、追放されたくない一心で私は頷いてしまった。
頷くと、すぐにセレスティア様が距離を詰めてきた。私の頬を両手で包み込み、動かせないようにした。
一体、何を? そう思っていると――キスが降ってきた。だけど、ただのキスじゃなかった。口の中に舌を入れて、深いキスをし始めた。
突然のことで驚いて体を離そうとするが、騎士団長の力に抗えるはずもない。生暖かい舌が口の中を犯して、気持ち悪かった。
何度も手で押し返しても、叩いても、止めてくれない。嫌だ、やめて、離して。頭の中で叫んでも届かなかった。
そんなキスをしたからだろう――私の祝福は発動しなくなった。
聖女として致命的な欠陥がある。そう判断され、私は王都を追放された。
追放を告げられた時、本当なら悲しむべきだったのだと思う。居場所を失い、聖女としての役目も失い、これまで積み重ねてきたものが全部なくなったのだから。
それなのに、胸の奥では安堵している自分がいた。
――もう、セレスティア様と二人きりにならなくていい。
そう思ってしまった自分に罪悪感を覚えながらも、その安堵だけは、どうしても消すことができなかった。




