23.弱る気持ち
「祝福は唇にくれませんか?」
「す、すいません……唇への祝福は行っておりません」
「唇が最強って聞いたんだけど、そこにしてくれない?」
「……それは、出来ません。ごめんなさい……」
「唇に祝福してよ! 私は平気だからさ!」
「わ、私がへ……ごほん。その祝福は現在使われておりません」
次から次へと飛んでくる、「唇に祝福してください」のお願い。そのたびに断って、謝って、また断って、また謝って。
……もう、心が限界です! どうして、みんなそんなに平気で言えるのぉ……!?
唇だよ? キスだよ? 私の中では人生最大級のイベントなんだけど!? 人生で一度切りかもしれないイベントだよ!
それを「じゃあ唇でお願い」「最強なんでしょ?」「私は平気だから」くらいの軽いテンションで言われると、陰キャの心は毎回、木っ端みじんに砕け散るんだけど!?
しかも、断るのも辛い。勇気を出してお願いしてくれた人を断る罪悪感と、「どうして?」という困った顔を向けられる気まずさで、私の精神力は毎回ごりごり削られていく。
これ、一日に何回も繰り返すんだよ? もう祝福じゃなくて、私のメンタルを削る儀式になってるよ。
というか、誰ですか! 「唇への祝福が最強」なんて噂を流した人! 出てきてください! お願いだから、その人が代わりに私の業務をやってください!
私はもう、知らない人と目を合わせるだけでもライフが半分になるのに、そのうえ「キスしてください」なんてお願いまで受け止めろとか、陰キャへの当たり判定が大きすぎるよ!
女神様ぁ……。もし今、天界から見ているなら、一つだけお願いがあります。祝福の効果を変えてください。
せめて握手。いや、ハイタッチ。なんなら会釈でも発動する仕様にしてください……。もう私の陰キャライフは、限界です。
心も体もへとへとで、今にもその場へ溶けてしまいそうだった、その時――。
バァンッ!
礼拝堂の扉が勢いよく開かれ、静まり返っていた空気が一瞬で張り詰める。
「急患だ! 聖女様、急患だ!」
切羽詰まった声が礼拝堂中に響き渡った。飛び込んできたのは、見覚えのある傭兵たちだった。その顔には余裕など一切なく、焦りと動揺がありありと浮かんでいる。
「ど、どうしたんですか!?」
慌てて駆け寄ると、先頭の傭兵が息を切らしながら叫ぶ。
「強い魔物が現れたんだ! 完全な不意打ちだった。本当なら部隊は壊滅していてもおかしくなかった!」
その言葉だけで、嫌な予感が胸を締め付ける。
「で、でも……こうして皆さんは……」
「ああ。シグリッドが一人で食い止めてくれた。あいつが前に出てくれなきゃ、誰も生きて戻れなかった」
その続きを言い淀む傭兵の表情を見て、心臓が嫌な音を立てた。
「……ですが」
数人の傭兵がゆっくりと脇へ退く。その奥で担架に横たわっていた人物を見た瞬間、私の思考は真っ白になった。
「シグリッドさん……!」
いつも堂々と立っていた大きな体が、今は力なく横たわっている。右肩から胸にかけて黒い靄が絡みつき、まるで生き物のように蠢いていた。
「っ……ぐ……」
苦しそうに眉を寄せ、荒い息を繰り返すシグリッドさん。顔色も悪く、額には脂汗が浮かんでいる。
「回復魔法を何度も試した! でも駄目だった!」
傭兵の一人が焦りを隠せない声で叫ぶ。
「この黒い靄が回復魔法を弾くんだ! 傷は治らないし、どんどん苦しそうになっていく……! 聖女様、どうにかならないか!」
「黒い、靄……」
その禍々しい瘴気を見つめた瞬間、脳裏に一つの光景がよみがえった。
あの日のフィオナ様。あの時も、同じように黒い呪いが体へまとわりつき、回復魔法を拒み続けていた。
「……呪い」
間違いない。これは、あの時と同じだ。
「皆さん、少し離れてください!」
迷う暇なんてなかった。私はシグリッドさんの傍へ駆け寄ると、その冷たくなり始めた手をぎゅっと握る。
「リア……ナ……」
薄く開いた瞳が、私を映した。
「大丈夫です。今、私が助けますから」
私は胸の前で両手を組み、震える指先に祈りを込めながら、女神様へ必死に祝福を捧げていく。
どうか、この人を助けてください。どうか、この人を連れていかないでください。
そんな願いを心の中で何度も繰り返し、そっとシグリッドさんの額へ唇を寄せ、優しく口づけを落とした。
けれど――。
「……っ!」
黒い靄は、ぴくりとも揺らがなかった。まるで祝福そのものを拒絶するように、禍々しい瘴気は右肩から胸へ絡みついたまま、不気味に蠢き続けている。
「そんな……」
額への祝福で浄化できない。ということは、それだけ強力な呪いということだ。
それに――私の祝福……弱くなってる? 祈りを捧げた瞬間、自分でも分かってしまった。
最近ずっと落ち込み続け、祝福が十分に発動していないと司祭様から叱られ、自分を責め続けてきたせいで、心が擦り減り、祈りに込める力まで弱くなっている。
こんな時に。どうして、こんな時に限って……!
私は唇を噛み締め、もう一度女神様へ祈りを捧げる。心を落ち着かせようと深く息を吸い込み、震えを押さえながら、再びそっと額へ口づけを落とした。
それでも、黒い靄は消えない。私は何度も祈り、何度も祝福を捧げる。一回。二回。三回。
それでも呪いは少しも揺らぐことなく、逆にシグリッドさんの呼吸だけが苦しそうに乱れていく。
「いや……」
喉が締めつけられる。頭の中が真っ白になっていく。どうしよう……このままじゃ。このままじゃ、本当に――。
シグリッドさんが、死んじゃう……!
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥から恐怖が一気にあふれ出し、視界が滲んだ。私が、助けなきゃ。私しか、助けられないのに。なのに、どうして……!
震える手を握り締めた、その時だった。ふわりと、温かな感触が指先へ伝わる。
「……え?」
見ると、苦しそうに荒い呼吸を繰り返していたシグリッドさんが、ゆっくりと私の手を握っていた。力なんてほとんど残っていないはずなのに、その手だけは不思議なくらい温かかった。
「リア……ナ……」
掠れた声が、静かに響く。
「……大丈夫」
息をするだけでも辛いはずなのに、それでもシグリッドさんは笑おうとしていた。
「リアナなら……できる」
優しく。どこまでも優しく。
「あたしが……ついているから……大丈夫」
「――っ」
その一言が、胸の奥へ真っ直ぐ届いた。不安で押し潰されそうだった心が、大きく震える。
泣きそうになる。今すぐ泣いてしまいたい。でも、泣いている場合じゃない。
シグリッドさんは、こんな状況でも私を信じてくれている。だったら――今度は、私が応えなきゃ。
「……はい」
私は涙をぐっと堪え、もう一度静かに両手を組む。女神様……どうか、この人を救ってください。私の大切な人を。
心の底からそう願った瞬間、不思議と胸の中から温かな光があふれ出してきた。恐怖でも、自己嫌悪でもない。誰かを助けたいという、真っ直ぐな願いだけが心を満たしていく。
私はそっとシグリッドさんの額へ口づけを落とした。その瞬間だった。ぱあっと眩い光が額から広がり、春の日差しのような優しい輝きが黒い靄を包み込んでいく。
ジュゥゥ……。黒い瘴気が苦しむような音を立て、少しずつ、少しずつ光に呑み込まれていく。
「消えてる……!」
誰かの驚いた声が礼拝堂に響いた。禍々しかった黒い靄は跡形もなく消え去り、シグリッドさんの苦しそうだった表情も、ゆっくりと穏やかなものへ変わっていった。




