21.削れていく精神だけどすぐに癒やされる
「あの……唇のキスが最強って聞きました。……そこにしてくれますか?」
もじもじと恥ずかしそうにしながら、目の前の女性がそう言った。その一言だけで、血反吐を噴き出して心臓が圧縮機で押し潰されたように苦しくなる。
「く、唇のキスは……その、大切なものですし……。大切な人に……残した方が……」
「で、でも……大切な人に下手なキスをしたくないじゃないですか」
そ、それって、どういう意味ですかーーーーーっ!?
まさか、私を練習台にするってことですかーーーーーっ!?
私は唇のキスの練習台じゃありませんよーーーーーっ!
そもそも、なんで私なんですか! もっといるでしょう!? 恋人とか、幼なじみとか、好きな人とか! よりにもよって、こんなド底辺ド陰キャ聖女を選ぶ理由が分かりません!
陰キャ相手なら緊張しないとか、断れなさそうとか、そういう理由じゃないですよね!? だったら泣きますよ!? 私のメンタルは紙より薄いんですから!
何を、何を考えているんですか、この人はっ! 祝福を受けに来たんですよね!? まさか、本当に本命のためのキスの練習なんですか!?
ここ、どこかご存じですか!? 教会ですよ、教会! 神聖な場所でそんな私利私欲のキスを求めたら、天罰が下りますよ!それに、私みたいな陰キャ聖女を巻き込まないでぇぇええっ!
「ちょっと待って、聖女が嫌がっているから。そういうことはここではご法度って知らない?」
その時、傍で見守っていたシグリッドさんが前に出てきてくれた。長身で体が大きなシグリッドさんが前に出ると、その女性は分かりやすいように怖がった。
「聖女は、みんなを支えるために毎日身を粉にして頑張っているんだ。だから、その聖女にこれ以上無理をさせたら、困る人が増えるだけだよ」
「は、はい……すみません。じゃあ、手の甲でお願いします……」
シグリッドさんが穏やかな口調で諭すと、女性は申し訳なさそうに肩を落とした。そして、自分から一番負担の少ない祝福の方法を申し出てくれる。
「リアナ。無理はしなくていい」
そう言って、シグリッドさんは優しく微笑んだ。
「あなたはいつも誰かを支えている。でも、本当に大切なのは、あなた自身の心だ。あなたの心が壊れてしまったら意味がない。……だから、一番救われなきゃいけないのは、リアナなんだよ」
「あ……ありがとうございます」
その言葉に心が救われた思いだ。シグリッドさんが近くにいてくれるだけで、安心感が違う。
感謝を伝えて顔を見ると、目が合って、優しく微笑んでくれる。それだけで、この苦行も少しは気が楽になるから不思議だ。
もう少し頑張ろう。そう思い直した私は祝福作業を続けていった。
◇
「今日も祝福業務お疲れ様。ずっと立ちっぱなしで大変だったでしょ? はい、これ。果汁炭酸を買っておいたんだ。飲んで欲しい」
「えっと、ありがとうございます。ここまでしてもらって、申し訳ないです」
「全然そんなことないよ。リアナの体が心配だから、少しでも疲れが癒えてくれれば嬉しいから」
私に蓋つきのカップを渡してきて、にこやかに言った。その気遣いと優しさにやさぐれた私の心は次第に癒えていった。
貰った飲み物を飲むと、一息付けた感じがした。小さな幸せを感じたように。
「それにしても、シグリッドさんが無事に戻ってきてくれて安心しました。これから、しばらくは町にいるんですか?」
「やることをやってきたからね。後は騎士団が整えてくれるでしょう。今はフィオナの方が忙しくなっているね。一度、王都に戻るみたいだけど……」
そっか、フィオナさんは仕事で王都に戻るんだ。いなくなるのは寂しいけれど、これは仕方がない。
「今、フィオナがいなくなって寂しいって思った?」
「えっ? あー……そのー……少し……」
それをはっきりシグリッドさんに言ってもいいのか不安になって、歯切れの悪い返答をする。言わない方が良かったんじゃ。でも、それだと嘘を吐くことにあるから、精神的にキツイし……。でも、それでシグリッドさんが嫌な思いを――。
その時、シグリットさんは私の手を掴んだ。
「だったら、あたしがその寂しさを埋めるよ。リアナが毎日笑ってくれるように、傍にいるから」
「えっ……」
突然の言葉に思考が止まる。
「リアナが寂しい思いをするくらいなら、その時間くらいはあたしが隣にいる」
「し、シグリッドさん……」
「業務の間とか一緒に町を歩ける? 美味しい店も見つけたんだ。疲れた日は甘い物でも食べに行こう。きっと、楽しいよ」
まるで明日の予定を話すみたいに、自然な口調だった。何かを押し付けるわけでもない。こうしてほしい、と求めるわけでもない。
ただ、私が少しでも笑える時間を増やそうとしてくれている。その優しさが胸にじんわりと広がっていく。
「リアナは、一人で頑張りすぎるから。見ていないと、倒れてしまそうだから。だから、傍にいさせて。あたしを頼ってくれる?」
その一言は、今まで何度も聖女だから、と我慢を重ねてきた私の心に、静かに染み込んでいった。
この人の隣にいると、不思議と肩の力が抜ける。包み込まれるような安心感に、私は小さく頷いた。
「……はい」
その返事を聞いたシグリッドさんは、満足そうに微笑んだ。
このフワフワする気持ち、小さな幸せみたいだ。ずっと、このまま浸って――って、私……絆されてない? このままだったら、シグリッドさんの言う通りにならない?
……それって大丈夫?




