19.その時が来たら……
ちゅっとリップ音が鳴った。それは唇――ではなく、頬に触れていた。
「ふぇ?」
思わず間抜けな声が出て、目を開けた。フィオナ様の顔が頬の横にある。ということは、唇へのキスはされなかったってこと?
私はてっきり唇へキスをされると思っていた。……た、助かった? 良かった? えっと……。
そうして、ゆっくりとフィオナ様の顔が離れる。こちらを向く顔は嬉しそうな様子だけれど、どこか寂しそうに笑っていた。
「……リアナが好きな人じゃないと唇のキスをしたくないって言ってたでしょ?」
「えっ……それを守ってくださったんですか?」
「無理やりして、リアナに嫌われたくなかったからね。だから、頬で我慢」
まさか、あの状況で私のことを考えてくれていたなんて……思ってもいなかった。私はてっきり、フィオナ様は勢いのまま唇を奪おうとしていたのだと思っていた。けれど、本当は違った。
私が「好きな人じゃないと唇のキスはしたくない」と言った言葉を、ちゃんと覚えていてくれた。そして、自分の気持ちよりも、私の気持ちを優先してくれていた。
その事実が胸の奥へじんわりと染み込んでいく。私の気持ちをこんなにも大切にしてくれたことなんて……あったかな。
聖女になってからは祝福のためのキスばかり。私が嫌でも、恥ずかしくても、「聖女だから」で済まされてきた。私の気持ちなんて、後回しなのが当たり前だった。
だからこそ、たった一言。
『嫌われたくなかったから』
その言葉だけで、胸がいっぱいになる。
私を傷つけたくない。嫌われたくない。そんなふうに思ってくれる人がいる。それだけで、心の奥に張りつめていたものが、ふっとほどけていくようだった。
「……随分と嬉しそうだね。どうして?」
「えっ、その……私のことを考えてくれたのが、嬉しくて……」
「そんなことで? だったら、いつも嬉しい顔をして欲しいけれど」
素直に言うと、何故かフィオナ様は不機嫌顔。私……何か気に障ることを言った?
ずっと、ムッとした顔をするから心配になる。やっぱり、私は余計な事しか言わないんだ! と、とにかく謝らないと!
「あの、あの……ごめんなさい。嫌な思いをさせてしまって……」
「あっ、いや……。リアナが気にすることないよ。ただ、拗ねていただけだから」
「……はぁ。……フィオナ様でも拗ねるんですね」
なんだか、思ったよりも子供っぽくて可愛い。自然と笑みが零れると、フィオナ様がジッと顔を見てくる。
「やっぱり、その笑った顔も好きだよ」
「えっ!? な、何を突然!?」
「それはそうと。さっき、頬にキスをしたんだけど、あまり反応がないみたいだね。もう少ししても、大丈夫ってこと?」
そういえば……はっ! そうだ、頬にキスされた!
それを思い出すと、顔も体もカーッと熱くなる。突然鼓動が高鳴って、止まった時が動き出したみたいだ。
「あれはっ、そのっ、あのっ!」
「ようやく反応してくれた。私の気持ち、分かってくれた?」
「わ、わ、わ……分かりたくありませんっ!」
ド陰キャには告白はキャパオーバーです! もう容量が足りなくて、受け止めきれません!
それに、告白なんてド陰キャの人生設計に入っていません! 私は一般ド陰キャ聖女なんです! もっと段階というものがあるでしょう!?
いや、段階があっても困りますけど! その前に関所がありますので、まずをそこの許しを得てからですねぇ……!
「ふーん……」
その時、低い声が聞こえて、体がびくついた。
恐る恐る見上げると、フィオナ様はいつもと変わらない柔らかな笑みを浮かべていた。
……なのに。その瞳だけは、少しも笑っていなかった。
冗談も悪戯もない。真っ直ぐに私だけを映す真剣な眼差し。その熱量だけが笑顔から切り離されたようで、胸がどくりと鳴る。笑っているはずなのに、どうしてこんなに緊張するんだろう。
その温度差に頭が追いつかず、私は戸惑っていると――頬に手を添えられた。
「結構、決心をしてからの告白だったんだけど……分かりたくない、ね」
「そ、それには理由があってですね……。私のキャパオーバー的な要素が――」
「だったら、分からせるしかなくない?」
――は? 今……なんて?
「そうか、まだ私の努力が足りなかったっていう事なんだね。だから、リアナは分かりたくないって言ったんだ」
「いや、そうじゃなくて――ひっ!」
するりと頬に添えられた手が顔を撫でる。そして、どんどんフィオナ様の笑顔が深くなっていく。
「じゃあ、分かってくれるまで――キスするね」
――は? 今……なんてって……!
有無を言わさずフィオナ様の顔が落ちてくる。頭に近づくと、触れるだけのキスを落とす。そして、何度も続けて。
「フィ、フィオナ様!? い、いや……こ、困ります!」
「だって、分からないなら仕方ないじゃない。分かって欲しいから、分かるまで教えるだけだよ」
「それは、そのっ! 私の心の問題があって、分かりたくないっと言っているだけでしてっ……キス、止めてください!」
「何を言っているの? リアナだってこんな風に私にしてくれたじゃない。だから、お返し」
そう言って、私の顔にキスを落としていく。部屋の角に追い詰められた私は雨のように降るキスを受け止めさせられた。
……わーーーーーーーっ、私の馬鹿ーーーっ! また余計なことを言って、余計な事をして、自分を追い詰めてるーーーー!
第二章、完。




