16.聖女の仕事
「では、女神様の御名のもとに祝福を捧げます。どうか、その願いが叶いますように」
あぁ、今日もこの時間がやってきた。……おぅふぅっ、今日も数十人の女性がいますね。どうしてみんな、ほいほい百合キスなんて求められるの? 私なら近づくのにも躊躇してしまうというのに。
というか、私なんかが顔を近づけていい相手じゃないでしょうに……。皆さん綺麗な方ばかりなのに、ホコリみたいな私が至近距離まで接近するとか、景観を損ねる案件では? 普通だったら「ホコリっぽいです」って一歩下がられても文句は言えないよね。
……それに今日はもっと気が重い。数日振りにフィオナ様に祝福を授ける日だから。最近、色々ありすぎてこっちの情緒が可笑しくなっているのに、そんな状態で百合キスをするってどんな拷問!?
あぁ、今の情緒で百合キスをしたら、心臓がストライキを起こしちゃうよ! ストライキが起きて欲しいのは、私の存在だというのに! あぁ、私の存在を抹消してください!
……それに、一番怖いのは嫌じゃないことだ。前だったら、フィオナ様が近づいてきただけで頭の中が真っ白になって逃げたくなっていたのに、最近は隣にいても不思議と落ち着いてしまう。
抱きしめられても、お姫様抱っこされても、膝枕をしても、髪にキスをされても――もちろん恥ずかしくて死にそうにはなる。でも、嫌だとは思わなかった。
こ、これって危険信号では!? 気づいたら少しずつ外堀を埋められて、気づいた時には「はい、攻略完了です」なんてことになっていたらどうしよう!
私は絶対に流されない、流されないぞ……! そう何度も心の中で言い聞かせる。……言い聞かせている時点で、もう負け始めているような気がするのは、きっと気のせいだ。気のせいであってほしい。
……やっぱり、心臓さん……ストライキを起こして! 「祝福中に昇天した聖女」として歴史に名を刻みますから!
「次の方、どうぞ」
はっ……! つい、百合キスが嫌すぎて現実逃避しながら業務をしていた。流れ作業でやっちゃったけど、ちゃんと祝福つけられたかな。うぅ、百合キスをするのは嫌だけど、ちゃんと仕事が出来ないのも嫌なんだよ……生き地獄だ、これ。
気を取り直して、ちゃんと仕事をしなくちゃ。嫌だけど。みんな、祝福を求めてきているんだから。私は嫌だけど。
「……ど、どのような祝福をお望み……ですか?」
そう言って顔を上げると、そこに立っていたのは傭兵の恰好をした女性だった。今、一部の傭兵団は魔王軍の偵察に行っているから、この人は町を守るために残った人だとすぐに分かった。
「筋力、体力、魔力……。戦うことに関する事全てを上げて欲しい」
「えっと……そこまでたくさんの能力を上げようとすると、祝福の力が足りずに少ししか上げられませんが……。それで宜しいですか?」
「それなら、解決する策がある」
そ、そんな策があったの? 私も知らないんだけど……。
すると、その傭兵は私に近寄り、顎に手を当てて上を向かせる。
「唇のキスは最強なんでしょ? だったら、それを希望するわ」
「――えっ」
その言葉に体が固まった。ま、まさか……本当に唇のキスを要求する人が出てくるなんて!
だけど、司教様からは無理をしなくてもいいと言われている。流石に嫌な思いをしてまで仕事はさせたくない、という優しい気持ちのお陰だ。
だから、ここは遠慮なく断ることが出来る。
「す、すいません……唇へのキスは現在行っておりません。ですので、他の部位でお願いします」
私が率直に断ると傭兵の女性は眉をひそめ、不満そうに舌打ちした。
「なんでだ。最強の祝福があるなら、それを使えばいいだろ」
「そ、それは……教会の方針で……」
その言葉に女性の目が険しくなる。
「今は魔王軍との戦いの真っ最中でしょ。仲間は命を懸けて戦っている。少しでも生き残る確率が上がるなら、出し惜しみしている場合じゃないと思うけど」
「で、ですが……」
「私は強くならなきゃいけない。今回の偵察には選ばれなかった。次こそは功績を上げて、重要な場面で必要とされたい。そのためには力が必要なのよ」
その瞳には焦りが滲んでいた。そういう人を何度も見てきたから分かる。その焦りがどれだけ苦しいかも。
「だから、お願い」
真っ直ぐな眼差しに、胸が痛む。戦場へ向かう人たちが命懸けなのは知っている。少しでも力になりたい気持ちもある。
だけど――。
「ご、ごめんなさい……。それでも、唇への祝福は、お受けできません」
小さな声で断ると、女性の表情が険しく歪んだ。
「……聖女でしょ? 戦う人たちを支えるのが祝福係でしょ? だったら、ちゃんと仕事をしてよっ」
「み、皆さんに祝福はしています……!」
「中途半端な祝福じゃ意味がないって言っているのよ! 最強の祝福があるのに使わないのは、仕事をしているって言えないでしょ!?」
声が礼拝堂に響く。その様子に異常を感知した係の人が女性を止めに入る。だけど、力の差があるのか、係の人は突き飛ばされてしまった。
「早くキスをしなさい!」
怒鳴り声を上げて、傭兵の女性が手を伸ばしてくる。――嫌っ!
そう思って目を閉じると――何もなかった。何があったんだと、恐る恐る目を開けてみると――フィオナ様がその女性の手を捻り上げていた。
「大事な聖女に手を上げるなんて、見過ごせない。君は祝福を受ける資格がないようね」
「ぐっ……放しなさい!」
女性が腕を振りほどこうともがく。だが、フィオナ様の手はびくともしない。
礼拝堂の空気が一変する。先ほどまで静かに祝福を待っていた人たちも、息を呑んでこちらを見つめていた。
フィオナ様は女性を真っ直ぐ見据え、冷え切った声で告げる。
「戦場へ向かう覚悟があるのは理解している。功績を上げたいという想いも否定しない」
その声には怒鳴り声などない。けれど、その静けさがかえって恐ろしかった。
「だが、その覚悟を理由に、聖女へ暴力を振るうことは決して許されない。聖女は戦場で剣を振るわない。だからといって、戦っていないわけではない」
フィオナ様はよく聖女のことを理解してくれた。それが、本当に嬉しかった。
「毎日何十人、時には何百人もの祝福を授け、人々の願いを背負い続けている。その働きがあるからこそ、人々は営みを守ることが出来る」
礼拝堂にいた人々が静かに頷く。
「聖女がいなければ、この国は戦えない。だからこそ、私たちは聖女を守る」
その言葉には、一片の迷いもなかった。私の前へ庇うように立つその背中は、大きくて、頼もしかった。
女性はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑う。
「……綺麗事ね。魔王軍との戦いがどれだけ厳しいか、一番知っているはずよ。最強の祝福があれば、勝てる可能性も上がる」
女性はフィオナ様にゆさぶりをかけるように、強く言い放った。
「あなたも本当は欲しいんでしょう? 聖女の最強の祝福を。そのために、良い恰好をして絆しているんじゃない?」
その言葉は私の心に深く刺さった。




