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幽世断ちのカクリ 〜宵町カクリは夜を歩く〜  作者: れんP


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第98夜 「最後の一行」



今日も少女は夜を歩く。


記録庫の最下層。


最後のページに、ゆっくりと文字が浮かび上がっていく。


最初は薄い。


インクが滲んだように見えるだけだった。


だが。


時間がたつにつれて、その文字は確かな輪郭を持ちはじめた。


『――ユ』


ユウが息を呑む。


「……ぼくの……」


「名前……?」


白面の医師が目を細める。


「いえ」


「まだです」


「これは……書かれたのではありません」


「呼ばれている」


「……呼ばれてる?」


姉がページを見つめる。


すると、そこへ白い梟が静かに降り立った。


『最終頁干渉』


『未確定真名、書き換え開始』


冬華が鋭く問う。


「真名……?」


深淵の父が低く答えた。


「記録庫の本体が」


「ようやく」


「本当に封じていたものを」


「開こうとしているのです」


記録庫の空気が変わる。


紙の匂いが濃くなるどころではない。


本の頁が一斉に呼吸を始めたようだった。


ぱら。


ぱらぱら。


棚にある無数のカルテが、風もないのにめくれる。


白紙だったはずのページに、次々と名前が浮かぶ。


『入院』


『退院』


『未回収』


『消失』


『保留』


『確認不能』


その中で、ひとつだけ。


異様に長い行があった。


空欄が続いているのに、誰かが必死にそこへ書き込もうとしている。


まるで最後の一行に、すべてを押し込めようとしているみたいだった。


白面の医師はカルテを抱きしめたまま、低くつぶやく。


「……記録の核」


「誰かが」


「ページの最後を」


「使っている」


総長が眉をしかめる。


「誰じゃ」


「記録監か」


「違います」


医師の声は静かだったが、わずかに緊張がある。


「もっと古いものです」


その瞬間。


最下層の本が、ひとりでに大きく開いた。


バサァッ。


強い紙風が吹き抜ける。


棚に貼られていた札が、次々と剥がれて舞う。


そして。


ページの中央に、ひとつの影が浮かび上がった。


白衣でもない。


子供でもない。


女でもない。


ただ、白い糸で縫い合わせたような姿。


顔がない。


けれど。


そこに“いる”としか言いようのない存在だった。


「……見つかった」


その声は、病棟の奥から聞いた足音にも似ていた。


白い梟が翼を広げる。


『真名収容体、起動確認』


『最終頁保持者、顕現』


冬華が刀を構えたまま息を呑む。


「保持者……?」


白面の医師が低く言う。


「この病院の“最後の一行”を管理していたものです」


「最後の一行……」


「はい」


「名前をすべて消しても」


「最後に一つだけ」


「残る記録があります」


「それが……」


「書き手の名」


空気が止まる。


ユウが顔を青くする。


「ぼくの……名前、じゃないの?」


医師は首を横に振った。


「違います」


「これは」


「名前を消した者の名です」


その時だった。


最終頁保持者が、ゆっくりと手を動かした。


すると記録庫全体の文字が震えだす。


空欄だったはずの白いページが、次々と黒く染まる。


「なにこれ……」


れいなが後ずさる。


「文字が増えてるのに、読めない……」


確かにそこには文字がある。


なのに。


見た瞬間から意味が削ぎ落とされる。


読む端から消える。


「記録を殺しています」


白面の医師が呟く。


「読まれる前に」


「意味を奪っている」


ユイが名札を強く握った。


「そんなの……」


「だめ」


最終頁保持者が少しだけ首を傾げる。


そして、初めてその口のような裂け目が開いた。


「名前は」


「終わらせるためにある」


「……!」


「書かれるものは」


「消えるためにある」


「残るものは」


「病院の負債」


総長が怒気を含んだ声を出す。


「ほざけ」


「命を記録から消して、何が負債じゃ」


「人をなんだと思っておる」


保持者は動じない。


「人は」


「名前に縛られる」


「なら」


「最初から無ければ」


「苦しまずに済む」


その声は静かだった。


だからこそ、恐ろしい。


白面の医師が一歩前に出る。


「違います」


「名前は縛るためにあるのではありません」


「呼び戻すためにある」


「帰るためにある」


最終頁保持者は沈黙した。


そして。


ゆっくりとユウを見る。


「……お前は」


「まだ」


「残りたいのか」


ユウは固まった。


けれど。


すぐにユイが横に立つ。


「残るよ」


「一人にはしない」


「……」


「名前があるなら」


「ちゃんと」


「一緒にいる」


その言葉を受けて、ユウの瞳に少しだけ光が戻る。


「……ほんと?」


「うん」


「ほんと」


カクリも頷いた。


「僕もいる」


ユウはカクリを見て、少しだけ笑う。


「……名前、取り戻したら」


「お外に出られる?」


白面の医師が静かに答える。


「出られます」


「ただし」


「条件があります」


冬華が問う。


「条件とは」


医師は最終頁保持者を見据えたまま言った。


「最後の一行を」


「書き換えることです」


「……書き換える?」


「はい」


「この本は病院の記録であると同時に」


「閉じ込められたものを固定する檻でもある」


「このままでは、誰かの名前が完成した瞬間に」


「別の誰かが消える」


その言葉に、場が静まる。


つまり。


ユウが戻れば、別の空白が生まれるかもしれない。


全員が理解した。


記録庫は“消失”を埋めることでしか保てないのだ。


白い梟が短く鳴く。


『二者択一回避案、限定提示』


『最後の一行の主語を書き換えればよい』


冬華が息を呑む。


「主語……」


「つまり」


「誰が消えるかを変えるのではなく」


「消える理由そのものを変える?」


白面の医師は頷いた。


「ええ」


「記録の最後に」


「“失われた”ではなく」


「“帰った”と書く」


「それができれば」


「この本は閉じます」


総長が刀を下ろす。


「できるのか」


医師は少し黙った。


「本来なら」


「できません」


「……」


「ですが」


彼はユウとユイを見た。


「この子たちなら」


ユウは不安そうにページを見つめた。


「ぼくが書くの?」


「いえ」


白面の医師は首を振る。


「書くのは、あなたを覚えている者です」


「……覚えてる者」


ユイが名札を持ち上げる。


「わたし」


「うん」


「私も」


カクリが鋏を握る。


「姉ちゃんもいる」


病室の夜を越えた姉は、少しだけ笑った。


「もちろん」


「私も覚えてる」


その時、最終頁保持者が初めて大きく動いた。


ページの影のような身体が伸び、最終頁へと腕を突き入れる。


「させない」


書かれない文字が、空白となって周囲を荒らし始める。


冬華が叫ぶ。


「防御!」


札が飛ぶ。


総長の刃が閃く。


白面の医師は一歩も引かず、カルテを開いた。


白い梟が空中で回転し、記録庫全体へ白い光を広げる。


『書き換え開始』


『最後の一行、固定』


ユイが名札を胸に当てた。


「……ユウ」


「おかえり」


ユウははっと目を上げる。


そして、小さく泣いた。


「……ただいま」


その一言で、最終頁の文字が揺れる。


黒い線が白く塗り替えられていく。


『失われた』の文字が消える。


代わりに。


『帰った』が浮かぶ。


最終頁保持者が苦しげに声を漏らした。


「……やめろ」


「それは」


「書いてはいけない」


白面の医師が静かに答える。


「いいえ」


「書かれるべきです」


その瞬間、最終頁が完全に閉じた。


バンッ!!


記録庫全体が大きく揺れる。


棚のカルテが一斉に静まる。


空白だった紙面に、いくつもの名前が戻り始める。


ユウ。


ユイ。


病室で眠っていた姉の名前も。


消えかけていた患者の記録も。


一つずつ。


一つずつ。


白いページへ帰っていく。


最終頁保持者は、最後にカクリを見た。


「……夜を歩く子」


その声には、驚くほど静かな疲れがあった。


「お前は」


「最後まで」


「書かれないままでいろ」


そう残し、紙の影はほどけるように消えた。


記録庫に静寂が戻る。


白面の医師は深く息を吐き、カルテを閉じた。


「……終了です」


ユウは自分の手を見つめる。


「ぼく」


「ほんとに」


「名前、ある……」


ユイは頷く。


「あるよ」


「ちゃんとある」


カクリも笑った。


「よかった」


その時だった。


記録庫の最奥、最終頁のさらに裏側から。


まるで誰にも気付かれないように。


小さく一行だけ、黒い文字が浮かんだ。


『まだ』


『終わっていない』


白い梟が、はっと顔を上げる。


『隠し頁反応』


『未捕捉』


冬華が振り向く。


「まだ……?」


白面の医師の表情が、初めて完全に崩れた。


「……まさか」


「奥に」


「まだある」


その一行は、どこか優しい字だった。


だからこそ、ひどく怖かった。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

次回もお楽しみに

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