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幽世断ちのカクリ 〜宵町カクリは夜を歩く〜  作者: れんP


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第90夜 「病室の夜は終わらない」



今日も少女は夜を歩く。


「それでは」


「ここから先は」


「病院ではなく」


「あなたの夜です」


白面の医師の声が落ちた瞬間、病室の窓の外で白い梟が翼を広げた。


ホゥ。


短く、澄んだ鳴き声。


その一声で、病室を包んでいた重苦しい圧がわずかにほどける。


白衣の女たちは一斉に後ずさった。


「……?」


れいなが目を瞬かせる。


「いま、何か変わった?」


冬華は札を握りしめたまま、窓の外を見やる。


「ええ」


「境界の流れが変わりました」


深淵の中でも同じ反応が起きていた。


空に裂けた現実の夜。


そこへ止まった白い梟が、静かにカクリを見つめる。


『接続状態変更』


『対象再選択』


『病棟内個別夜空間を形成』


総長が眉を寄せる。


「個別夜空間?」


深淵の父が静かに頷いた。


「つまり」


「この病室だけを“夜”として切り離したのです」


「病院全体に引きずられる前に」


「ここだけを守る」


黄泉津大神の兄が鎖を鳴らした。


「ずいぶん手慣れている」


白面の医師は少しだけ目を伏せた。


「慣れなければ、ここでは生き残れませんでした」


その返答には、長い年月の疲れが滲んでいた。


病室。


床の黒い線が、一度大きく波打ったあと、ぴたりと止まる。


白衣の女たちが、その変化に気付いてざわついた。


「病棟夜域、分離」


「分離失敗」


「再統合不能」


まるで壊れた機械のように、同じ言葉を繰り返す。


白面の医師は姉を見た。


「あなたは」


「こちらへ残る覚悟をしましたか」


姉はまだ少しふらつきながらも、まっすぐ彼を見る。


「うん」


「でも」


「一人では決められない」


「……?」


姉はカクリへ視線を向けた。


「カクリと話したい」


カクリは驚いて、それから小さく頷いた。


「うん」


白面の医師は静かに一歩引いた。


「では、少しだけ時間を」


そう言った瞬間、病室の扉がすっと閉じる。


カチャリ。


鍵のかかった音。


だが外から閉じられたのではない。


病室が、外へ向かう道を拒んだのだ。


白衣の女たちが一斉に扉へ手を伸ばす。


「開ける」


「患者を返せ」


「返せ」


しかし扉は動かない。


びくともしない。


冬華が札を飛ばす。


「結界補強!」


札が何枚も扉へ貼りつくが、次の瞬間、白い霧となって消える。


「効かない……!」


白面の医師は廊下側を見た。


「まだ来ます」


その言葉に、梟が短く鳴く。


『病棟外縁に異常反応』


『再侵入体接近』


カクリの姉が顔を強張らせた。


「まだいるの?」


「何が」


白面の医師は答えた。


「病院に残った“迎え”です」


「さっきの白衣の女たちは、回収のためのもの」


「ですが今から来るのは」


「違います」


深淵の父が目を細める。


「本体ですか」


白面の医師は小さく頷いた。


「病棟の夜を作る核」


「記録上、ずっと姿を見せなかったもの」


「病院が病院であるために必要なものを」


「欲しがる存在」


れいなが青ざめる。


「病院が病院であるために必要なもの……?」


白面の医師は静かに答えた。


「迷う患者」


「泣く家族」


「戻れないまま眠る者」


「そして」


「戻れないことを受け入れた者」


その時、姉が息を呑んだ。


「……私」


白面の医師は彼女を見る。


「はい」


「あなたはもう、十分に見てしまった」


「だからあれは、あなたを連れ戻したいのではありません」


「?」


「あなたを」


「病院の一部にしたいのです」


病室が静まり返る。


姉の顔から血の気が引いた。


「……一部」


「ええ」


「戻れない人を、眠りの役割に変える」


「そうして病棟を安定させる」


冬華が息を呑む。


「そんなことが……」


「起きていたんですか」


白面の医師は疲れたように目を閉じた。


「ここでは、珍しくありません」


「だから私は」


「ずっと止めてきました」


窓の外。


白い梟が翼を一度大きく振った。


深淵でも同じように、空間が淡く光る。


『接続維持』


『病棟夜核照射』


『本体反応接近』


その一言で、皆が身構える。


廊下の奥。


暗闇の中から、足音が聞こえた。


コツ。


コツ。


コツ。


今までの“複製された足音”とは違う。


ひとつ。


ひとつ。


確かな重みがある。


そして。


白衣の女たちが、同時に頭を下げた。


まるで。


王を迎えるように。


「……来た」


白面の医師が呟く。


扉の向こうから、ゆっくりと声がした。


「患者を」


「返しなさい」


その声は。


どこか優しかった。


だからこそ。


一番怖かった。


病室の空気がひび割れる。


床の黒い線が再び伸び始める。


壁には病室番号が浮かび上がった。


存在しないはずの番号。


「七七七」


「七七七」


「七七七」


白面の医師が目を細める。


「病棟最深部」


「それが姿を現したようです」


姉が小さく息を呑んだ。


「……最深部?」


白面の医師は頷く。


「病院の“眠り”を管理する部屋です」


「そこで眠れば、もう目は覚めない」


カクリの握る鋏に力が入る。


「姉ちゃんを連れていくの?」


「連れていこうとしています」


「でも」


「私は渡しません」


白面の医師は静かに言い切った。


そして白い紙束を開く。


そこに書かれているのは、病室でも薬の名前でもない。


無数の名前。


無数の“戻れなかった人達”。


その最後の一枚に、姉の名前がなかった。


「あなたはまだ、こちら側です」


「だから」


「選んでください」


姉は唇を震わせる。


「……帰る」


「え?」


「私は」


「帰る」


カクリの目が見開かれる。


姉は続けた。


「でも」


「ただ帰るんじゃない」


「夜に」


「もう一度、会いたい」


白面の医師は静かに笑った。


「それが、あなたの答えですか」


姉は頷く。


「うん」


「まだ、あそこに行かなくちゃいけない」


「それは」


「自分の足で」


そう言った瞬間、病室の床の黒い線が一瞬で消えた。


白衣の女たちがざわめく。


「選択」


「拒絶」


「拒絶」


「拒絶」


だが、もう遅い。


白面の医師が静かにカルテを閉じた。


「では」


「この病室は」


「今日のところは」


「あなたのものです」


その言葉と同時に。


窓の外の白い梟が、現実の病室へ向かって一度だけ深く羽ばたいた。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

次回もお楽しみに

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