第81夜 「目覚めの兆し」
今日も少女は夜を歩く。
眠り続けていた姉の指が。
わずかに動いた。
それはほんの僅かな変化だった。
しかし。
その場にいた全員が息を呑む。
「……動いた」
カクリがぽつりと呟く。
少女は静かに頷いた。
「うん」
「始まった」
黄泉津大神が険しい表情になる。
「つまり」
「現実側で何かが起きているのですね」
「そう」
少女は深淵の遥か上を見上げた。
「もう時間がない」
その言葉に。
深淵の父が目を細める。
「予想より早いですね」
「かなり」
「誰かが意図的に動かしてる」
黄泉津大神の兄が鎖を鳴らした。
「黒幕か」
「たぶん」
少女の表情から笑みが消える。
先程までの柔らかな雰囲気ではない。
どこか緊張していた。
「相手はずっと待ってた」
「ずっと」
「ずっと」
「夜を壊せる子を」
静寂が落ちる。
れいなが不安そうに尋ねる。
「夜を壊すって……」
「どういうこと?」
少女は答えなかった。
代わりに。
カクリへ視線を向ける。
「ねぇ」
「なに?」
「君はどうして夜を歩くの?」
突然の質問だった。
カクリは少し考える。
そして。
ゆっくり答えた。
「探してるから」
「誰を?」
「お姉ちゃん」
少女は静かに頷いた。
「うん」
「そうだよね」
「それだけ?」
「……」
カクリは少し黙る。
そして。
もう一つの答えを口にした。
「迷子がいるから」
少女が笑った。
「そう」
「それ」
深淵の父が目を閉じる。
「やはり」
「そうでしたか」
黄泉津大神が尋ねる。
「お父様」
「何が分かったのですか」
「この子は」
「夜に選ばれた存在ではありません」
「?」
「この子自身が」
「夜を選んだ」
誰も言葉を発しない。
深淵の父は続ける。
「怪異を恐れない」
「神を崇めない」
「人を見捨てない」
「善悪より先に」
「相手を見る」
「だから」
「夜はこの子を拒絶できない」
はっちゃんが腕を組む。
『要するに』
『変人ってことか』
「うん」
カクリが即答した。
『認めるな』
総長が吹き出す。
「確かに変人じゃな」
れいなも苦笑した。
「否定できないかも」
その時だった。
青年の身体に宿る無数の魂たちがざわめく。
「来る」
「来る」
「近い」
「近い」
冬華が振り向く。
「何です!?」
すると。
深淵全体に巨大な振動が走った。
ドゴォォォンッ!!
空間が揺れる。
地震のような衝撃。
夜禍が悲鳴を上げた。
「きゃっ!?」
マヨイも転びそうになる。
黄泉津大神が二人を抱き寄せた。
「大丈夫!」
しかし。
揺れは止まらない。
ゴゴゴゴゴ……
深淵の壁が軋む。
空間そのものが悲鳴を上げていた。
長女が顔を上げる。
「現実側……」
「始まった」
長女の母も青ざめる。
「そんな」
「早すぎる……」
少女が空を見上げる。
「もう開いてる」
「開いた?」
れいなが聞き返す。
その瞬間。
深淵の上空。
漆黒の天井に。
一本の亀裂が走った。
ピシッ。
全員が見上げる。
そして。
ピシッ。
ピシピシッ。
亀裂は広がる。
まるでガラスが割れるように。
「まずい」
深淵の父が立ち上がる。
それだけで周囲の空気が変わった。
黄泉津大神の兄も鎖を握る。
「まさか」
「現実と繋がったのか」
「えぇ」
深淵の父の声は重かった。
「境界が破られています」
「誰かが」
「こちらへ来ようとしている」
ドゴォォォォン!!
ついに。
天井の一部が砕け散った。
その向こう。
見えたのは。
夜空だった。
本物の夜空。
星が輝く現実世界の空。
「繋がった……」
冬華が息を呑む。
深淵と現実。
本来交わらないはずの場所。
それが今。
無理やり接続されていた。
そして。
砕けた亀裂の向こうから。
ゆっくりと。
何かが落ちてくる。
人影。
一つ。
二つ。
三つ。
いや。
もっと。
大量。
無数。
黒い影たちが。
深淵へ降りてくる。
れいなが震える。
「なに……あれ……」
少女の表情が消えた。
「……やっぱり」
「間に合わなかった」
「知ってるの?」
カクリが聞く。
少女は静かに答えた。
「うん」
「知ってる」
そして。
初めて。
彼女は恐怖を滲ませた。
「だって」
「一番最初に夜を壊した怪異だから」
深淵に降り注ぐ無数の影。
その中心で。
誰かが。
ゆっくりと目を開いた。
そして。
笑った。
まるで。
カクリの姉を襲った怪異と同じように。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




