第78夜 「知られてはいけなかったもの」
今日も少女は夜を歩く。
ゆっくりと。
深淵よりもさらに下。
誰も知らない場所で。
二つの巨大な瞳が開いた。
それは赤でもなく。
黄金でもない。
色そのものが存在しないような。
見ているだけで。
脳が理解を拒む瞳だった。
その瞬間。
深淵全体が。
悲鳴を上げた。
ギギギギギ……
空間が軋む。
時間が揺らぐ。
存在そのものが不安定になっていく。
「……っ!」
冬華が膝をつく。
「なんて……圧力……!」
総長も歯を食いしばる。
「息が……できん……!」
れいなはその場に座り込んでいた。
「うぅ……」
「怖い……」
断姫は涙目になり。
夜禍とマヨイも黄泉津大神に抱きつく。
「お母さん!」
「怖い!」
「大丈夫!」
黄泉津大神は二人を抱きしめる。
しかし。
その声も震えていた。
「お父様……」
深淵の父。
その存在ですら。
険しい表情を浮かべていた。
「……目覚めてしまいましたか」
黄泉津大神の兄も。
鎖を鳴らしながら目を細める。
「面倒なことになった」
「兄さん!」
「落ち着け」
「慌てても仕方がない」
しかし。
長女の母である女性だけは。
青ざめていた。
「駄目……」
「駄目なの」
「みんな」
「目を合わせちゃ駄目!」
「声を聞いちゃ駄目!」
「思い出しちゃ駄目!」
「?」
カクリが首を傾げる。
「知ってる人?」
女性は涙を流した。
「知らない方がいいの」
「誰も」
「知らないままでよかった」
その時。
深淵の底。
さらにその下。
そこから。
声がした。
「……やっと」
「見つけた」
「……!」
全員の背筋が凍る。
声は優しかった。
怒っていない。
悲しんでもいない。
穏やか。
それなのに。
恐ろしい。
「長かった」
「本当に」
「長かった」
その声を聞いた瞬間。
黒い笑顔が震えた。
「嫌」
「嫌」
「怖い」
「お父さん」
「嫌」
すると。
深淵の父が静かに言った。
「違います」
「……え?」
夜禍が顔を上げる。
「違う?」
「お前の父ではありません」
「むしろ」
「逆です」
「?」
誰も理解できない。
「逆?」
黄泉津大神が呟く。
「お父様」
「まさか」
深淵の父は目を閉じた。
「えぇ」
「黒い笑顔」
「お前が」
「彼の父なのです」
「……?」
「……?」
「……?」
全員。
完全に固まった。
『待て待て待て!』
はっちゃんが叫ぶ。
『意味がわからねぇ!』
『子供みたいなあいつが父親!?』
「違う」
「違う」
黒い笑顔自身も混乱していた。
「僕」
「知らない」
「そんなの」
「知らない」
「……」
「そうでしょう」
深淵の父は優しく言った。
「お前は」
「生まれたことすら知らない」
「だから」
「悪くありません」
その瞬間。
最下層から。
笑い声が響いた。
「ふふ」
「ふふふ」
「相変わらずだね」
「父さん」
深淵の父の表情が曇る。
「……」
「久しいですね」
「末子」
「!」
黄泉津大神が目を見開く。
「末子……?」
兄も鎖を止めた。
「生きていたのか」
長女も。
「嘘……」
長女の母も。
「そんな……」
誰もが驚く中。
最下層の闇。
そこから。
一人の青年が姿を現した。
黒髪。
穏やかな顔。
優しい笑顔。
普通の青年。
本当に。
どこにでもいそうな。
ただの人間にしか見えない。
しかし。
彼が現れた瞬間。
深淵が震える。
空間が軋む。
存在が歪む。
「久しぶり」
「兄さん」
「姉さん」
「お父さん」
青年は笑顔で手を振った。
「皆」
「元気そうで安心した」
「……」
誰も動けない。
黄泉津大神の兄が。
初めて驚きを隠せなかった。
「お前」
「死んだはずだ」
「うん」
「死んだよ」
青年は笑う。
「でも」
「寂しかったから」
「帰ってきた」
その一言に。
長女の母が叫んだ。
「駄目!!」
「その子の言葉を信じちゃ駄目!!」
「その子は!」
「もう!」
「私たちの知ってる末っ子じゃない!!」
青年は悲しそうに笑った。
「酷いなぁ」
「母さん」
「僕は」
「僕だよ?」
「……っ!」
女性は震えていた。
涙を流しながら。
「違う……」
「あなたは」
「私の子じゃない!」
青年の笑顔。
その奥で。
何かが。
一瞬だけ。
ぐにゃりと歪んだ。
「……そっか」
「悲しいな」
「せっかく」
「家族に会いに来たのに」
すると。
今まで黙っていたカクリが。
じっと青年を見つめた。
「……」
「?」
青年もカクリを見る。
「初めまして」
「君が」
「夜を歩く子?」
「うん」
「……」
「変な人」
「え?」
「泣いてる」
「……」
「でも」
「いっぱいいる」
「?」
「一人じゃない」
「中に」
「いっぱい」
その瞬間。
青年の笑顔が。
初めて。
完全に止まった。
「……」
深淵の父が目を見開く。
黄泉津大神の兄も。
長女も。
全員が。
凍りついた。
そして。
青年の身体の奥から。
無数の声が。
一斉に響いた。
「見つかった」
「見つかった」
「見つかった」
「やっと」
「見える子が」
「いた」
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




