第77夜 「深淵よりも下」
今日も少女は夜を歩く。
「……お前か」
深淵の父。
その存在が。
初めて。
怒りを見せた。
それだけで。
空間が震える。
最深層。
反転世界。
深淵。
その全てが。
ビリビリと悲鳴を上げた。
「お、お父様……?」
黄泉津大神が驚く。
長い長い時を生きた彼女ですら。
初めて見る表情だった。
黄泉津大神の兄も。
鎖を鳴らしながら目を細める。
「珍しい」
「怒ることもあるのだな」
「当然です」
「私にも感情はあります」
「……」
「むしろ」
「怒らないと思いましたか?」
兄は小さく笑った。
「少しだけ」
「思っていた」
その時。
深淵よりもさらに下。
誰も知らない場所。
そこから。
「やっと」
「会えた」
少女の声。
優しい。
穏やか。
しかし。
どこか空虚。
「……?」
カクリが首を傾げる。
「女の人」
「うん」
「また女の人」
『またかよ』
はっちゃんが頭を抱える。
『お前どんだけ見えるんだ』
「よくわからない」
「でも」
「泣いてる」
「?」
れいなが不思議そうにする。
「泣いてるの?」
「うん」
「笑ってるけど」
「泣いてる」
その瞬間。
黒い笑顔が震えた。
「……」
「お母さん?」
全員が振り向く。
「え?」
「お母さん?」
「お父さんじゃないの?」
夜禍が目を丸くする。
しかし。
黒い笑顔は。
震えていた。
「違う」
「違う」
「違う」
「お母さんじゃない」
「でも」
「お母さん」
「?」
皆が混乱する。
すると。
深淵の父が。
静かに目を閉じた。
「……そういうことですか」
黄泉津大神が顔を上げる。
「お父様?」
「黄泉」
「この子は」
「被害者です」
「え?」
「何を言って……」
「そして」
「彼女も」
「また」
「被害者」
その瞬間。
闇の最下層。
そこに。
一人の女性が現れた。
白い着物。
長い黒髪。
優しそうな笑顔。
まるで。
どこにでもいる。
普通の女性。
「……」
しかし。
その姿を見た瞬間。
深淵の父。
黄泉津大神の兄。
そして。
釘に貫かれた長女。
全員の表情が変わった。
「!」
長女が目を見開く。
「……あなた」
「久しぶり」
女性は微笑む。
「大きくなったね」
「……」
長女の瞳から。
涙が零れた。
「……お母さん」
「!」
全員が息を呑む。
「え?」
夜禍が固まる。
「お姉ちゃんのお母さん?」
「じゃあ」
「私のおばあちゃん?」
「違います」
深淵の父が静かに否定した。
「私の娘ではありません」
「……え?」
「ですが」
「彼女は」
「長女の母です」
全員の思考が止まった。
黄泉津大神も。
「え……?」
「お父様?」
「どういうことですか?」
「そのままの意味です」
「長女は」
「黄泉」
「お前の娘であり」
「この女性の娘でもあります」
「…………」
完全な沈黙。
『はぁ!?』
はっちゃんが叫んだ。
『待て待て待て!』
『情報量が多い!!』
総長も頭を抱える。
「わしにもわからん!」
冬華も眼鏡を押し上げる。
「整理が必要です……!」
れいなは混乱していた。
「つまり!」
「お姉ちゃんのお母さんのお母さんが黄泉津大神さん!?」
「違うような!」
「合ってるような!」
断姫もぐるぐるしている。
「わかんない!」
一方。
女性は。
ただ。
優しく笑っていた。
「ごめんなさいね」
「皆を混乱させちゃった」
その声。
カクリは。
目をぱちぱちさせた。
「……あ」
「?」
「知ってる」
「え?」
「この人」
「知ってる」
女性が驚く。
「私を?」
「うん」
「夢で会った」
「……!」
女性の表情が固まった。
「夢?」
「うん」
「前に」
「泣いてた」
「……」
「ご飯作ってた」
「……!」
長女が目を見開く。
「そんな……」
「ありえない」
「お母さんの記憶……」
「なんで……」
女性は。
しばらく呆然としていた。
そして。
涙を流しながら。
笑った。
「……そう」
「届いたんだ」
「やっと」
「この子に」
その瞬間。
深淵の最下層。
さらにその下。
誰も知らない場所。
そこから。
ドクン。
巨大な鼓動。
そして。
女性の笑顔が消えた。
「……来る」
深淵の父の黄金の瞳が細まる。
黄泉津大神の兄も。
鎖を鳴らす。
長女も。
錆びた釘を握り締めた。
「……とうとう」
女性が。
初めて。
恐怖の表情を浮かべた。
「逃げて」
「みんな」
「"あの人"が」
「起きる」
そして。
深淵よりもさらに下。
誰にも知られてはいけなかった場所で。
二つの巨大な瞳が。
ゆっくりと。
開いた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




