第73夜 「兄という鎖」
今日も少女は夜を歩く。
「……兄さん」
その一言で。
最深層の空気が変わった。
誰もが息を止める。
黄泉津大神が。
震えている。
怪異の母。
神すら産み落とした存在。
その彼女が。
ただの「妹」の顔をしていた。
「……起きてたの?」
暗闇の奥。
鎖に縛られた巨躯。
黄金の瞳。
その存在は静かに瞬いた。
「起きていたとも」
「ずっと」
低い声。
しかしそこには怒りも敵意もない。
ただ。
長い時間の沈黙だけがあった。
『おいおい……』
はっちゃんが歯を食いしばる。
『神話級どころじゃねぇぞ』
冬華が震える声で問う。
「黄泉津大神……あれは」
「兄……と言いましたね」
黄泉津大神は答えない。
ただ。
目を逸らせないまま。
「……兄」
小さく繰り返す。
マヨイが首を傾げる。
「お姉ちゃんの」
「お兄ちゃん?」
「違う」
夜禍が震えながら答える。
「たぶん……もっと上」
その言葉に。
空気がさらに重くなる。
鎖が鳴る。
ジャラ……ジャラ……
「久しいな」
暗闇の存在が再び言う。
「黄泉」
「お前は」
「まだ母をやっているのか」
その言葉に。
黄泉津大神は唇を噛んだ。
「……違う」
「私は」
「もう」
「母なんかじゃない」
「そうか」
「だが」
「お前の周りは」
「母を求めているようだが?」
視線が。
夜禍へ。
マヨイへ。
そしてカクリへ。
「……!」
れいなが後ずさる。
「見られてる……!」
断姫が震える。
「お兄ちゃん……やばいよ」
『あぁ』
はっちゃんが目を細める。
『こいつは格が違う』
総長が唸る。
「神話の外側か……!」
冬華が冷静に分析する。
「存在階層が異常です」
「黄泉津大神の上位……」
「いえ」
「それ以上」
黄泉津大神がつぶやく。
「兄さん」
「やめて」
「この子たちは」
「関係ない」
鎖が鳴る。
「関係ない?」
「そうか」
「ではなぜ」
「この場所にいる」
「……!」
黄泉津大神は言葉を詰まらせる。
「それは……」
カクリが一歩前に出た。
「迷子」
「……?」
鎖の存在が沈黙する。
カクリは続ける。
「みんな迷子」
「だから一緒」
「それだけ」
「……」
沈黙。
長い沈黙。
そして。
ふっと。
鎖の奥の存在が。
わずかに笑った。
「面白い」
「実に」
「面白い」
『カクリ!』
はっちゃんが叫ぶ。
『下がれ!』
だが。
遅かった。
ジャラッ!!
鎖が一本伸びる。
しかしそれは攻撃ではなく。
カクリの目の前で止まる。
まるで。
触れて確かめるように。
「お前」
「何者だ」
「ただの人間ではないな」
「……」
カクリは首を傾げる。
「カクリ」
「そうか」
「名前か」
「うん」
「変」
「よく言われる」
再び沈黙。
その時。
黄泉津大神が叫んだ。
「兄さんやめて!」
「この子に触らないで!」
その声に。
初めて。
鎖の存在の感情が揺れた。
「……お前が」
「そこまで言うとはな」
「黄泉」
「この子は」
「特別か?」
「違う!」
「違う!」
黄泉津大神は必死に叫ぶ。
「ただの子供!」
「ただの!」
「迷子で!」
「優しくて!」
「だから!」
「だから……!」
言葉が詰まる。
鎖の存在は静かに言う。
「ならば」
「見せよ」
「その“優しさ”が」
「どこまで通用するか」
その瞬間。
空間が裂けた。
最深層ではない。
そのさらに上。
現実と幽世の境界そのものが。
剥がれ落ちるように崩れ始める。
冬華が叫ぶ。
「空間崩壊です!」
総長が構える。
「全員退避じゃ!」
だが。
逃げ場はない。
鎖が空間そのものを縛っている。
はっちゃんが舌打ちする。
『クソが……兄貴分ってレベルじゃねぇぞ』
そして。
鎖の存在は。
ゆっくりと目を閉じた。
「では」
「始めよう」
「黄泉」
「お前が守るものが」
「本物かどうか」
その瞬間。
世界が。
反転した。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




