第70夜 「錆びた釘の少女」
今日も少女は夜を歩く。
「……もう少し」
「もう少しだけ」
「待っててね」
「お母さん」
暗闇の中。
誰にも届かない声。
少女は静かに涙を流していた。
その足元。
一本の巨大な錆びた釘。
それが。
少女の影を。
世界そのものへ縫い付けるように。
深く。
深く。
突き刺さっていた。
◇
最深層。
「……」
黄泉津大神は暗闇を見つめていた。
「お母さん?」
夜禍が心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「……うん」
「大丈夫」
しかし。
その声は震えていた。
はっちゃんがため息をつく。
『大丈夫な声じゃねぇな』
「……」
『知ってんだろ』
『さっきの奴』
黄泉津大神は黙る。
総長も冬華も。
誰も口を挟まない。
長い沈黙。
やがて。
黄泉津大神は。
小さく呟いた。
「……長女」
「え?」
れいなが目を丸くする。
「長女?」
「……」
「私の」
「最初の娘」
全員が息を呑んだ。
夜禍ですら目を見開いていた。
「お姉ちゃん……?」
マヨイも驚いている。
「僕」
「お姉ちゃんいたの?」
「……いた」
黄泉津大神は。
遠くを見るように目を閉じた。
「優しい子だった」
「泣き虫で」
「怖がりで」
「でも」
「誰よりも優しくて」
「誰よりも強い子」
「怪異が泣いていれば」
「駆け寄って」
「迷子がいれば」
「手を繋いで」
「みんなを助けようとした」
「……」
カクリは静かに聞いていた。
なんだか。
少し。
誰かに似ている気がした。
「名前は?」
冬華が尋ねる。
「……」
黄泉津大神の顔が曇る。
「思い出せない」
『はぁ?』
はっちゃんが目を見開く。
『名前を忘れたのか?』
「違う」
「消えたの」
「……」
「名前も」
「存在も」
「記憶も」
「全部」
「失われた」
「……」
「私が」
「壊してしまった」
夜禍が泣きそうになる。
「お母さん……」
「ごめんなさい」
「私は」
「愛し方を知らなかった」
「誰も失いたくなくて」
「誰も一人にしたくなくて」
「だから」
「閉じ込めた」
「全部」
「……」
「その子は」
「怒らなかった」
「泣きもしなかった」
「ただ」
「笑って」
「言った」
『お母さん』
『外に行ってくるね』
『みんなを助ける』
『大丈夫』
『ちゃんと帰ってくるから』
黄泉津大神の瞳から涙が溢れる。
「そして」
「帰ってこなかった」
静寂。
誰も言葉を発せない。
「私が」
「追いかけた」
「連れ戻そうとした」
「でも」
「……」
「気付いた時には」
「釘が」
「刺さっていた」
「釘?」
断姫が首を傾げる。
『まさか』
はっちゃんの顔色が変わる。
『呪年樹の……』
「え?」
「知ってるの?」
『あぁ』
『五寸釘』
『呪い』
『怨念』
『人の悪意』
『それを集め続けた釘だ』
『だが』
『一本だけ』
『別格の化け物がある』
「……」
『世界そのものを呪い殺すための釘』
『神すら殺す』
『最悪の呪具』
『"終焉の釘"』
冬華が青ざめる。
「そんなものが……」
『伝説だ』
『存在しちゃいけねぇ』
黄泉津大神は震えていた。
「……あの子は」
「その釘に」
「触れてしまった」
「そして」
「消えた」
「私は」
「見送った」
「……」
「だから」
「ありえない」
「ありえないのに」
「声がした」
「泣いてた」
「……」
「生きてる」
「まだ」
「生きてる」
夜禍が泣き出した。
「お姉ちゃん!」
マヨイも。
「会いたい!」
「お姉ちゃん!」
その時。
カクリが。
ぽつりと呟いた。
「会える」
「……え?」
「生きてるなら」
「会える」
「迷子なら」
「探す」
「困ってるなら」
「助ける」
「家族なら」
「帰る」
「……」
黄泉津大神が。
呆然とカクリを見る。
「あなたは……」
「本当に」
「変な子」
「うん」
「よく言われる」
すると。
ニコッ。
夜禍が笑った。
「カクリ」
「大好き」
「……うん」
「私も」
マヨイも笑う。
「僕も」
れいなが飛びつく。
「私もー!」
断姫も。
「私も!」
総長も苦笑した。
「まったく」
「騒がしい家族じゃ」
冬華も小さく笑う。
「ですね」
『へっ』
はっちゃんも笑う。
『人数増えすぎだろ』
その時だった。
ゴン。
最深層のさらに奥。
誰も知らない暗闇。
再び。
釘を打ち込む音が響いた。
ゴン。
ゴン。
ゴン。
そして。
少女の悲しそうな声。
「……だめ」
「まだ」
「来ちゃだめ」
「お母さん」
「みんな」
「お願い」
「ここは」
「すごく」
「怖いから」
その直後。
少女の声とは別の。
低く。
不気味な笑い声が。
暗闇の向こうから。
響いた。
「――――ヒヒッ」
その笑い声に。
黄泉津大神の顔から。
血の気が消えた。
「……嘘」
「なんで」
「なんであいつまで」
「そこにいるの……?」
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