第55夜 「割れたもの」
今日も少女は夜を歩く。
ピシッ。
怪物の中心。
宵町ユズキの眠る場所から、確かに何かが割れる音が響いた。
「……!」
宵町カクリは顔を上げる。
怪物も。
周囲の住民達も。
一瞬だけ動きを止めていた。
「今のは……」
篠崎冬華も息を呑む。
すると。
千の目の怪物の胸部。
そこに浮かぶ巨大な目の一つに亀裂が走っていた。
そして。
その奥。
黒い泥のようなものに飲まれていたユズキの身体が僅かに動く。
「姉ちゃん!」
カクリが叫ぶ。
ユズキの指先が震える。
しかし。
次の瞬間。
怪物全体が激しく震え始めた。
ゴォォォォォォォォ!!
山全体を揺るがす咆哮。
無数の目が一斉に見開かれる。
ギョロギョロギョロ。
「帰れ」
「帰れ」
「帰れ」
「帰れ」
「帰れ」
無数の声。
だが。
今までとは違う。
そこには焦りがあった。
『へっ……』
はっちゃんが笑う。
『効いてるじゃねぇか』
「うん!」
『嬢ちゃんの声が届いたんだ!』
その時。
怪物の内部から。
「カクリ!」
今度は。
はっきりと。
間違いなく。
宵町ユズキの声が響いた。
「姉ちゃん!」
「まだ……来ちゃだめ!」
「なんで!?」
「この子が……苦しんでる!」
カクリは目を見開く。
「……この子?」
ユズキの声。
「この怪異……悪い子じゃない!」
「え?」
冬華も総長も驚く。
怪物は今も暴れている。
村を飲み込み。
人を取り込み。
霊能者を狂わせてきた存在。
それが。
悪い子ではない?
『待て』
はっちゃんの声が低くなる。
『ユズキの嬢ちゃん』
『そいつは何なんだ』
しばらく沈黙。
そして。
ユズキが答える。
「……泣いてる」
「ずっと」
「何十年も」
「寂しくて」
「苦しくて」
「一人ぼっちで」
「泣いてる」
ゴォォォォォ!!
怪物が叫ぶ。
千の目から涙のような黒い液体が流れ落ちる。
住民達も。
同じように泣いていた。
「お父さん」
「帰りたい」
「寂しい」
「帰れない」
「助けて」
今まで笑っていた住民達。
その顔から笑顔が消えていた。
初めて見せる。
悲しみ。
「……」
カクリは巨大な怪物を見る。
あまりにも大きい。
あまりにも歪。
しかし。
その声は。
泣いていた。
その時。
白い少女が俯いた。
「……ごめんなさい」
「?」
「私のせい」
少女は泣いていた。
「全部」
「私のせいなの」
「どういうこと?」
少女は震えている。
「私が……」
「帰りたいって言ったから」
「お父さんを呼んじゃった」
「……!」
冬華の目が変わる。
「まさか……」
総長も顔色を変える。
「白髪……」
「少女……」
「五十年前……?」
冬華が震える声で尋ねる。
「あなたの名前は」
少女は涙を流しながら答えた。
「……夜哭」
「夜哭……ミコ」
その瞬間。
総長の顔から血の気が失せた。
「そんな……」
「馬鹿な……」
冬華も信じられない顔をする。
「ありえません……」
「夜哭ミコは」
「夜哭村消失事件で死亡したはずです」
カクリは目を瞬かせる。
「知ってるの?」
冬華は頷いた。
「霊能者の間で伝わる未解決事件です」
「五十年前」
「夜哭村の住人百三十七人が一夜にして消失」
「そして中心人物とされたのが」
「村長の娘」
「夜哭ミコ」
少女は泣きながら首を横に振る。
「違う」
「違うの」
「お父さんは悪くない」
「みんなも悪くない」
「私が」
「寂しいって」
「帰りたいって」
「お願いしたから」
「だから……」
「お父さんが……」
ゴォォォォォォォ!!
怪物が咆哮する。
いや。
泣いていた。
大地を揺らし。
空を震わせ。
まるで子供のように。
悲しみに耐えきれず。
泣いていた。
『……そういうことか』
はっちゃんが小さく呟く。
『神格持ちじゃねぇ』
『もっと厄介だ』
「?」
『願いだ』
『願いそのものが怪異になりやがった』
「願い……」
『あぁ』
『帰りたい』
『寂しい』
『一人は嫌だ』
『その願いが村人全員と混ざって』
『あの化け物になった』
『誰かを憎んでるわけでも』
『世界を壊したいわけでもねぇ』
『ただ』
『帰りてぇだけなんだ』
その時。
チリン。
カクリの持つ鈴が鳴った。
そして。
怪物の中心。
ユズキがゆっくり目を開く。
「カクリ」
「……姉ちゃん」
「思い出した」
「え?」
「昔」
「私達」
「ここに来たことある」
「……!」
カクリの脳裏に。
断片だった記憶が繋がる。
夏祭り。
山道。
鳥居。
白い着物の少女。
そして。
幼い自分。
幼い姉。
二人の前で。
嬉しそうに笑う。
夜哭ミコ。
「遊ぼ!」
その笑顔。
その声。
カクリの瞳が大きく見開かれる。
「……思い出した」
「ミコちゃん」
白い少女。
夜哭ミコも驚いた顔をする。
「……カクリちゃん?」
「ユズキちゃん?」
五十年の時を越えて。
忘れられていた再会が。
ようやく。
果たされた。
そして。
怪物の中心で。
さらに大きな亀裂が走った。
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