第53夜 「呼び声の中で」
今日も少女は夜を歩く。
「逃げて……来ちゃだめ……」
姉の声が、怪物の奥から響いていた。
宵町カクリの全身が凍り付く。
目の前の存在は、理解を拒む怪異。
千の目を持ち、無数の身体を繋ぎ合わせたような異形。
その中心に――姉、宵町ユズキが眠っている。
「……なんで」
声が震える。
『落ち着けカクリ!!』
はっちゃんの叫びが響く。
『今のは罠かもしれねぇ!!』
「罠でもいい」
即答だった。
カクリの目は怪物から離れない。
姉の声が聞こえる。
確かにそこにいる。
それだけで十分だった。
冬華が叫ぶ。
「全員、後退!!防御陣形を維持!!」
霊能者達が一斉に動く。
しかし。
怪物の千の目がゆっくりと瞬く。
ギョロリ。
その瞬間。
空気が変わった。
「……っ」
霊能者の一人が膝をつく。
「頭が……」
「痛い……!」
再び記憶の侵食。
村。
食卓。
笑い声。
そして。
「おかえり」
声が重なる。
「おかえり」
「おかえり」
「おかえり」
住民達の声と重なり、意識が溶けていく。
冬華が札を地面に叩きつけた。
「結界展開!!」
バチィン!!
光の壁が広がる。
その瞬間だけ、思考が戻る。
だが長くは持たない。
怪物はゆっくりと動いた。
千の腕が伸びる。
地面を這い。
木々を折り。
空間そのものを掴むように広がっていく。
『やべぇな……』
はっちゃんが低く言う。
『あれは“取り込み型”だ』
「取り込み?」
『記憶ごと喰ってる』
カクリは歯を食いしばる。
「姉ちゃんは?」
『中核だ』
その言葉が重かった。
つまり。
中心であり。
核であり。
逃げられない場所。
カクリは一歩踏み出した。
「行く」
「待ちなさい!!」
冬華の声。
「危険です!!」
「でも」
カクリは振り返らない。
「姉ちゃんがいる」
それだけだった。
白い少女が震える。
「ダメ……」
「今行ったら……」
「戻れなくなる……」
カクリは少女を見る。
「あなたは知ってるの?」
少女は唇を噛む。
「全部は……」
「でも……」
「もう一度……同じことになる」
「同じ?」
少女はうつむく。
「また……失敗する」
その言葉の意味は不明だった。
だが。
今は考える余裕がない。
怪物が動く。
ゴォォォォォォ……!!
大地が裂ける。
霊能者達の結界が軋む。
「持たない!!」
誰かが叫ぶ。
冬華が歯を食いしばる。
「総員退避!!」
しかし。
カクリは一人前へ出る。
「カクリ!!」
はっちゃんが叫ぶ。
『やめろ!!』
だが止まらない。
カクリは巨大断ち鋏を構える。
「はっちゃん」
『なんだ』
「一つだけ」
深く息を吸う。
「お願い」
『……なんだよ』
「姉ちゃん、助ける」
『……』
はっちゃんは一瞬黙った。
そして。
低く笑った。
『当たり前だろ』
鋏が震える。
赤黒い光が走る。
『行くぞ』
「うん」
カクリは走った。
怪物へ向かって。
千の目が一斉にカクリを見る。
ギョロリ。
その瞬間。
再び記憶の奔流が押し寄せる。
「帰ろう」
「おかえり」
「お父さん」
「お母さん」
「家に」
「村に」
「戻ろう」
声が重なり、意識を削る。
カクリは歯を食いしばる。
「違う……!!」
叫ぶ。
「私は……!!」
走る。
走る。
走る。
地面が揺れる。
腕が伸びる。
木々が砕ける。
それでも止まらない。
そして。
怪物の足元へ辿り着く。
巨大すぎる存在。
視界を覆う肉と目。
その中心に。
姉がいる。
「姉ちゃん!!」
叫ぶ。
その瞬間。
姉の瞳がゆっくり開いた。
「……カクリ」
涙を流していた。
「来ちゃ……だめ……」
「助けに来た!!」
カクリは叫ぶ。
その瞬間。
怪物の内部から声が響いた。
「戻って」
優しい声。
しかし。
無数の声が重なる。
「ここが家」
「ここが帰る場所」
「もう苦しまなくていい」
「全部忘れていい」
その言葉と共に。
姉の身体が沈み始める。
黒い泥のようなものに。
「やめろ!!」
カクリは鋏を振るう。
バチィン!!
空間が裂ける。
しかし。
すぐに修復される。
『ダメだ……』
はっちゃんが呻く。
『中から壊さねぇと無理だ』
「中……」
その時。
白い少女が叫んだ。
「カクリ!!」
振り向く。
少女は泣いていた。
「思い出して!!」
「何を……」
「“入口”!!」
その言葉と同時。
カクリの頭に、断片的な映像が流れ込む。
鳥居。
村。
笑い声。
そして。
姉と自分。
どこかで見た景色。
確かに存在する記憶。
しかし。
それはまだ繋がらない。
怪物が動く。
千の目が全て開く。
そして。
低く、重い声が響いた。
「帰ろう」
今度は。
山そのものが。
カクリに向かって口を開いた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




