第127夜 「赤い灯りの約束」
今日も少女は夜を歩く。
校庭の砂の上に残った赤い灯りは、一つだけ消えなかった。
ピッ。
静かな点滅。
さっきまで遊具のまわりを囲んでいた灯りとは違う。
ひどく小さいのに、なぜか目を離せない。
白石さやは、記録帳を胸に抱えたままその赤を見つめた。
「……まだ、残ってる」
白い子供――みちびきは、土だらけの手で砂をすくいながら答えた。
「うん」
「これ」
「ぼくのじゃない」
「……?」
「約束の灯り」
その言葉に、ひびきが顔を上げる。
「約束……?」
みちびきは、少しだけ笑った。
「だれかが」
「ここで待ってる」
「呼ばれるのを」
その瞬間、校庭の空気が少しだけ変わった。
遊具の揺れは止まり、赤い灯りも静まる。
しかし、消えない。
まるで、ただ見つけてもらうのを待っているみたいに。
白い梟が低く羽ばたいた。
『残留点、単独』
『未回収声標、最終候補』
冬華が砂の上にしゃがみ込む。
「最終候補……」
「まだあるのですね」
総長が腕を組む。
「一つだけ残った、ということか」
みちびきはうなずいた。
「うん」
「ここが」
「最後の入り口」
「入り口?」
カクリが鋏を少しだけ下ろす。
みちびきは砂場の向こう、古い校舎の壁を指した。
「ステージの下」
「……ステージ?」
れいなが首を傾げる。
「運動会で使うやつ?」
「うん」
「でも、今は使わない」
「その下に」
「声が眠ってる」
その言葉で、白石さやははっとした。
運動場の端に、小さな屋根付きの舞台があったことを思い出す。
入学式や学芸会の時にだけ使う古い壇上。
下には、普段は誰も入らない狭い空間がある。
さやは記録帳を開く。
最後のページに、さっきまでなかった一行が浮かんでいた。
『赤い灯りの持ち主は、壇下にいる』
「……壇下」
ユイがささやく。
「まだ誰かいるんだ」
白石さやは、ゆっくり頷いた。
「行こう」
「うん」
みちびきが先に立つ。
その小さな背中は、もう“鬼にされた子”ではなかった。
名札に書かれた『みちびき』の文字が、赤い灯りのほうへ向かうたび、少しずつ安定して見える。
校庭の隅を回り、古い舞台へ近づくと、木の床板がぎしりと軋んだ。
舞台の縁には、さびた金具がいくつも並んでいる。
そのひとつに、赤い紙片が結ばれていた。
白石さやがその紙片を取る。
そこには、細い字でこう書かれていた。
『声を返すときは、最後に名前を呼ぶこと』
冬華が目を細める。
「……儀式めいていますね」
総長が低く笑う。
「名前を呼ぶと終わる、か」
「校庭の遊びと似ておるな」
その時だった。
舞台の床板の真ん中が、こつ、と鳴った。
中から返事がある。
一度。
二度。
まるで内側から誰かが木板を叩いているみたいに。
みちびきが息をのむ。
「……いる」
白い梟の声が、少しだけ強くなる。
『壇下、複数反応』
『声標、深部固定』
『接近注意』
カクリは鋏を開き、白石さやの前に立った。
「開ける」
舞台の端にあった古い板戸を引くと、そこには細い梯子があった。
暗い。
けれど、赤い光が階下から漏れている。
みちびきが小さく言う。
「ぼくは、下には行けない」
「……どうして」
「ここで」
「名前を呼ぶ側だったから」
「でも、今は」
「もう呼ばなくていい」
その一言に、白石さやの胸がじんわり熱くなる。
呼ぶ側。
呼ばれる側。
そのどちらにもなれず、ずっと校庭の底にいた子。
さやは、記録帳を抱え直した。
「じゃあ」
「わたしが行く」
「一緒に」
ユイが頷く。
「うん」
ひびきも前へ出る。
「ぼくも」
「音なら、わかる」
舞台の下へ降りると、空気は一気に冷たくなった。
狭い。
暗い。
湿った木の匂い。
だが、そこには確かに、赤い灯りが吊られている。
小さなランプだ。
昔の演台灯のような形をしている。
その真下に、古い机が一つ。
机の上には、白いテープレコーダーが置かれていた。
れいなが小さく声を上げる。
「これ、見たことある」
「放送室のと似てる」
ひびきがそのレコーダーを見つめた。
「……違う」
「これは」
「直接、声をしまうやつ」
「しまう?」
「うん」
「録音じゃない」
「名前を」
「灯りに変える」
その言葉に、冬華の表情が変わる。
「変換装置」
「学校全体の音を、ひとつの灯りにまとめていたのですか」
みちびきが階段の上から、少しだけ顔をのぞかせる。
「うん」
「ここに集めると」
「迷わないから」
「でも」
「集めすぎて」
「返せなくなった」
その瞬間、レコーダーの赤ランプが強く点滅した。
ピッ。
ピッ。
そして、巻き戻りの音。
ガリガリガリ……。
勝手にテープが回り始める。
白石さやが一歩近づく。
「……なにが入ってるの」
古いスピーカーから、ざらついた音声が流れる。
『……白石』
その一言で、空気が止まった。
白石さやの肩が震える。
『白石』
『聞こえるか』
その声は、男でも女でもない。
けれど、どこか懐かしい。
ひびきが息を止める。
「……この声」
「だれ」
テープが、ゆっくり進む。
『灯りを、返しに来た』
『約束したろう』
白石さやの記録帳が、胸の中でひときわ熱を持った。
白石さやは、そっとページを開く。
そこには新しい文字が浮かんでいる。
『約束の相手は、舞台の下で待つ』
『赤い灯りは、名前を呼ぶたびに増える』
『最後にひとり分、足りない』
「……ひとり分」
ユイが小さく呟く。
「だから残ってたのか」
みちびきが、舞台の上から顔を上げた。
「うん」
「最後のひとりが」
「まだ」
「名前をもってない」
その時。
テープレコーダーから、もう一つ別の声が流れた。
少しだけ高い。
少しだけ幼い。
『……さやちゃん』
『待ってる』
白石さやの息が止まる。
今の声。
知っている。
ずっと奥のほうで眠っていた記憶が、また一つ灯る。
白石さやは、震える唇で言った。
「……わたし」
「その声」
「知ってる」
みちびきが、階段の上から静かに頷いた。
「うん」
「ぼくも」
「知ってる」
「だから」
「最後のひとりは」
「たぶん」
「さやちゃんの中にいる」
白石さやは記録帳をぎゅっと抱えた。
胸の奥で、まだ名前になりきれない何かが、確かに動いている。
赤い灯りは、静かに揺れていた。
そして、テープレコーダーから最後の一言が流れる。
『灯りを返したら』
『次は』
『校門へ』
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




