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幽世断ちのカクリ 〜宵町カクリは夜を歩く〜  作者: れんP


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121/131

第120夜 「次の音へ」



今日も少女は夜を歩く。


ぽん。


もう一度、ピアノが鳴った。


その音は、さっきより少しだけ明るい。


まるで、長い眠りの底からようやく顔を出した朝のようだった。


音楽室の空気が静かに揺れ、白石さやの髪先がふわりと持ち上がる。


白い空白だった顔に、輪郭が生まれた子供は、まだ少しぼんやりした目であたりを見回した。


「……ここ」


「どこ」


その声は、さっきまでの影の声よりずっと小さい。


けれど確かに、ひとりの子供の声だった。


保健の先生は静かにうなずく。


「音楽室よ」


「あなたは、ここで眠っていたの」


子供は目をぱちぱちと瞬かせた。


「……ねむってた?」


「うん」


「でも」


「ぼく」


「起きてる」


「そうね」


先生はやさしく答える。


「今は、少しだけね」


白石さやが、そっと一歩前へ出た。


「ねえ」


「わたし、あなたのこと」


「知ってる気がする」


子供は白石さやを見上げた。


「……さやちゃん」


「うん」


「それ、覚えてる」


「え?」


「さやちゃんが」


「ぼくを呼んだ」


その一言に、白石さやの胸がきゅっと締まる。


まだ完全に戻っていない記憶の奥で、確かに何かが揺れた。


雨の夜。


ピアノの前。


消えかけた歌。


誰かに向かって差し出した手。


――おいで。


その言葉の先にいたのは、この子だったのかもしれない。


ユイが小さく前に出る。


「この子の名前、わかる?」


白石さやは首を横に振った。


「まだ」


「でも」


「わかりそう」


すると、子供はピアノの椅子の上にちょこんと座り、鍵盤へ小さな手を置いた。


ぽん。


一音。


やわらかい。


その音が鳴ると、楽譜棚の上で白い紙がふわりとめくれた。


そこにあったのは、音符でも楽譜でもない。


細い文字で書かれた走り書きだった。


『眠り歌、完成せず』


『次の音へ』


白石さやが紙を読む。


「次の……音」


その瞬間、眠っていた方の白石さやが、はっと顔を上げた。


「……わたし、思い出した」


「なにを?」


「音楽室じゃない」


「音楽室の先」


「放送」


「……放送室?」


「うん」


「ぼく、そこに行った」


子供が、ぴくりと肩を揺らす。


「放送室」


「……そうだ」


「ぼく」


「そこ、好きだった」


白い梟が音もなく窓辺へ止まり、短く鳴いた。


『記憶補完、進行』


『次局所、放送設備反応あり』


冬華が目を細める。


「放送室ですか」


「学校の声が集まる場所ですね」


総長が低く唸った。


「たしかに」


「名前を呼ぶには都合がいい」


保健の先生が、静かに子供を見つめる。


「あなたは、そこで何をしていたの?」


子供は少し黙った。


それから、ひとことずつ思い出すように答える。


「呼ぶ音を」


「集めてた」


「呼ぶ音?」


「うん」


「昼は、子供たちの声」


「夜は、先生の声」


「朝は、チャイム」


「……」


「ぼく、ぜんぶ集めてた」


その言葉に、れいなが首を傾げる。


「なんで?」


子供は少しだけ笑った。


「だって」


「学校の声がないと」


「夜がこわいから」


音楽室がしん、と静まる。


その一言はとても小さかったが、誰の胸にも深く落ちた。


夜を歩くのがこわい。


でも、ひとりで眠るのもこわい。


だから、学校の声を集める。


放送室は、そのための場所だったのだ。


白石さやがゆっくり膝をつく。


「……ごめん」


「わたし、思い出せないまま」


「あなたを眠らせた」


子供は首を振る。


「ちがう」


「さやちゃんは」


「呼んでくれた」


「だから、眠れた」


「……」


「でも」


「ぼく」


「まだ足りなかった」


その時だった。


ピアノの奥。


壁際の古い棚が、かすかに震えた。


がた。


がたがた。


誰かが中から押している。


カクリが鋏を構える。


「来る」


白い梟の声が低く落ちる。


『反応上昇』


『未回収音声体』


『放送設備、起動中』


棚の扉が、ぎい、と開いた。


そこから出てきたのは、テープレコーダーだった。


古い。


黒い。


けれど、電源が入っている。


ボタンは押されていないのに、再生ランプだけが赤く光る。


カチ。


そして――。


「……白石さん」


機械の中から、声が流れた。


その声は、先生でも子供でもない。


少しかすれた、でもやさしい声。


白石さやの体が大きく震える。


「……これ」


「聞いたことある」


眠っていた方も青ざめた。


「うん」


「わたしも」


保健の先生が一瞬だけ目を細める。


「放送室の記録音声ね」


「誰かが残したものだわ」


再生ランプが点滅する。


「白石さん」


「音楽室から、放送室へ来てください」


「忘れものを、預かっています」


白石さやの息が止まる。


白い子供も、驚いた顔をした。


「……ぼく」


「これ」


「知ってる」


ユイがすぐに尋ねる。


「誰の声?」


子供はレコーダーを見つめながら、ゆっくり首を振った。


「わかんない」


「でも」


「ぼくに」


「おなじこと言った」


「“預かってる”って」


その瞬間、音楽室のピアノがひとりでに鳴った。


ぽん。


ぽん。


今度は二音。


それに合わせて、古い紙が一枚、楽譜棚の隙間から落ちてくる。


白石さやが拾い上げた。


そこには、鉛筆で消し跡だらけの文字があった。


『放送室』


『鍵』


『白石さや』


『呼び出し』


『返す』


冬華が低く呟く。


「……誰かが、学校のあちこちに名前を散らしている」


「はい」


保健の先生が静かに答える。


「ここは保健室だけで終わる場所じゃないの」


「学校全体が、忘れものを隠している」


その言葉に、白石さやは鍵を握りしめた。


音楽室の眠り歌。


保健室の半分の名前。


そして、放送室に残された声。


全部が、少しずつ一本の線でつながっていく。


白石さやは、テープレコーダーを見つめたまま、深く息を吸った。


「……行く」


白い子供がぱっと顔を上げる。


「いっしょに?」


「うん」


「放送室まで、いっしょに」


子供は少しだけうれしそうに笑った。


「うん」


「ぼく、案内できる」


その子はピアノの椅子から降りると、音楽室の扉へ向かう。


開けた先は、もうさっきまでの廊下ではなかった。


長い。


暗い。


そして、壁のところどころに古いスピーカーがぶら下がっている。


まるで、学校が自分の声を待っているみたいな廊下だった。


白い梟が、先に飛び立つ。


『放送室、接近』


『音声体、複数』


『要注意』


白石さやが一歩を踏み出す。


その隣で、眠っていた方の自分も同じ歩幅で並んだ。


ユイとユウ、カクリ、冬華、総長、保健の先生。


誰もが無言のまま、放送室へ続く廊下を進む。


すると、天井のスピーカーから、かすかな雑音が流れた。


ザ……。


ザザ……。


それから、ゆっくりと。


ひとつの声が学校全体へ流れる。


「……白石さん」


白石さやは立ち止まった。


その声は、テープレコーダーのものとは違う。


もっと近い。


もっと今の声だ。


だが、どこか遠い場所から呼ばれている。


「……呼ばれてる」


子供が小さく言う。


「放送室から」


「誰に?」


誰も答えられなかった。


けれど、そのとき、スピーカーからもう一度声が流れた。


「……名前を、返しに来て」


白石さやは名札を胸に当てた。


その文字が、ほんの少し熱を持つ。


放送室の扉の向こうに。


何かがいる。


そして、今度はその何かが。


夜ではなく、朝の名前を呼んでいた。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

次回もお楽しみに

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