表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幽世断ちのカクリ 〜宵町カクリは夜を歩く〜  作者: れんP


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
118/131

第117夜 「眠りと目覚めのあいだ」



今日も少女は夜を歩く。


「やっと」


「起こしてくれるの」


保健室の白いカーテンの向こう。


ベッドの上で目を開けたもう一人の白石さやが、かすかに笑った。


その声は、今ここにいる白石さやと同じなのに、少しだけ遠い。


まるで、長い夢の底から届いたみたいだった。


白石さやは息を呑んだまま、ベッドのそばへ近付く。


「……わたし」


「うん」


眠っていた方の白石さやは、ゆっくり上体を起こした。


カーテンがふわりと揺れる。


その肩まで伸びた髪も、手も、目の光も、すべてが少し薄い。


まるで紙に描いた線だけが立ち上がっているみたいだった。


保健の先生は、その様子を静かに見守っている。


顔の目の部分が空白になったままの、あの先生だ。


「無理に動かないで」


優しい声だった。


「長く眠っていたのだから」


「まだ、境界がほどけきっていないわ」


眠りの白石さやは小さく頷いた。


「……でも」


「もう、ここは」


「しんどい」


その一言で、教室で見た白い影とは違う、もっと弱くて幼い感情がにじんだ。


白石さやは、その顔を見つめる。


「ねえ」


「あなたも、わたし?」


眠りの白石さやは少しだけ考え、それから首を横に振った。


「ううん」


「わたしは」


「眠ってたほう」


「あなたは」


「起きていたほう」


「……」


「でも」


「どっちも」


「同じさや」


その言葉に、ユイが静かに息を吐いた。


「そうか」


「やっぱり、二人じゃなくて」


「ひとりなんだ」


保健の先生がうなずく。


「ええ」


「眠っていたあいだに分かれてしまっただけ」


「けれど」


「眠りは、記憶を守るために裂けることがあるの」


冬華が静かに問う。


「では、この二つを合わせれば」


「元に戻るのですね」


先生は少しだけ目を伏せた。


「元に、ね」


その言い方が気にかかる。


だが、白石さやはそこまで考える余裕がなかった。


目の前のもう一人の自分を見ていると、胸の奥が熱くなる。


失くしていたものが、手の届くところにある。


でも。


触れれば壊れてしまいそうでもあった。


白石さやは、そっと手を差し出した。


「……さや」


「うん」


眠っていた方も同じように手を伸ばす。


指先が触れる。


その瞬間、保健室の空気がぴん、と張った。


白いカーテンが大きく揺れる。


薬品棚の小瓶が、カチリと鳴る。


白い梟が、窓の外で静かに翼を広げた。


『同調開始』


『眠眠媒体、再接続』


『合一可能圏内』


れいなが思わず声を上げる。


「……なにこれ」


「手をつないだだけなのに」


「すごい音」


保健の先生は静かに答えた。


「名前が戻る時は、音がします」


「眠っていた記憶が、目を覚ますから」


白石さやの指先に、かすかな熱が走る。


目の前のもう一人の自分が、ぼんやり揺れる。


「……わたし」


「ちょっと、思い出してきた」


「なにを」


ユイが問うと、眠っていた方は視線を落とした。


「保健室に来た日」


「雨が降ってた」


「頭が重くて」


「熱があった」


「先生が」


「氷枕をくれた」


保健の先生は、何も言わずに聞いている。


白石さやは、その記憶に耳を傾けた。


「それから……」


「白い紙をもらった」


「お便り?」


「うん」


「でも」


「そこに、わたしの名前が書かれてなくて」


白石さやの肩が、ぴくりと震える。


「……そんなの、あった?」


「うん」


「見えたの」


「名前の途中までしか」


「だから、書き足そうとした」


「わたしが?」


「うん」


「でも、書き足したところで」


「朝になると消えた」


保健室の棚が静かに軋む。


その音に合わせるように、窓の外の白い梟が低く鳴いた。


白石さやは、自分の胸元を押さえた。


あの紙切れ。


あの名札。


記録庫で見た「半分」。


全部つながっていく。


「……保健室の先生」


白石さやが尋ねる。


「わたし、ここで何を預けたの?」


先生は少しだけ黙った。


それから、ゆっくりと答えた。


「あなたは」


「眠るための名前を預けたの」


「……眠るための?」


「ええ」


「本当の名前のまま眠ると、ここではほどけてしまうことがある」


「だから、眠るあいだだけ別の呼び方にした」


「それが」


「白石さや」


白石さやは目を見開く。


「じゃあ」


「わたしは……」


「最初から、白石さやじゃなかったの?」


先生は首を横に振る。


「いいえ」


「白石さやは、あなたがここで眠るために選んだ名前」


「そして」


「忘れないための、しるし」


その一言で、白石さやの目にじわりと涙が浮かぶ。


「……わたし」


「どこかで」


「名前をしまったんだ」


眠っていた方の白石さやが、静かに笑った。


「うん」


「だから」


「今日は返しに来たの」


その言葉と同時に、二人の手のあいだから、白い糸のようなものがのびる。


それは糸ではない。


文字だった。


ほどけかけた名前の断片。


『し』


『ら』


『い』


『し』


『さ』


『や』


その六つの文字が、指のあいだを流れて、ひとつに結ばれていく。


保健の先生が小さく息を吐いた。


「……戻るわ」


「でも、完全ではない」


冬華が顔を上げる。


「まだ何かあるのですか」


先生は頷いた。


「眠りのあいだに、誰かが保健室へ入った」


「……!」


保健室の空気が変わる。


白いカーテンの奥で、ベッドがひとつきしんだ。


誰も触れていないのに、掛け布がゆっくり持ち上がる。


その下にあったのは。


小さな紙包みだった。


ユイが拾い上げる。


中から出てきたのは、古びた鍵。


それから、もう一枚の紙。


白石さやが読み上げる。


「……『音楽室の棚の奥に、預けたまま』」


れいなが首を傾げた。


「音楽室?」


保健の先生は、わずかに顔を曇らせる。


「ええ」


「そこにも、ひとつ眠りが残っているのね」


白石さやが鍵を見つめる。


「棚の奥……」


「わたし、そこも知ってる」


「でも」


「思い出せない」


その時、眠っていた方の白石さやが、はっとした顔をした。


「……鍵」


「これ」


「わたし、持ってた」


「え?」


「音楽室の」


「ピアノの」


「古い鍵」


ユウが身を乗り出す。


「ピアノ?」


「うん」


「棚の奥じゃなくて」


「ピアノの裏に」


「何かある」


保健の先生は目を細める。


「そう」


「やはり、そこね」


白い梟が窓辺で静かに鳴いた。


『次局所、音楽室』


『眠眠媒体、二重残留』


『要注意』


保健室の扉の向こう。


廊下は相変わらず静かだった。


けれど、遠くからピアノの音がひとつだけ聞こえる。


ぽん。


たった一音。


だが、その音は古い記憶をやさしく叩いた。


白石さやが息を止める。


「……この音」


「わたし」


「知ってる」


眠っていた方も頷く。


「うん」


「夜の学校で」


「だれかが弾いてた」


「誰が?」


「わからない」


「でも」


「名前を」


「呼んでた」


白石さやは、その言葉を聞いて、じっと鍵を握りしめた。


「……行く」


「わたし、行く」


保健の先生が静かにうなずく。


「ええ」


「ここで眠りは終わるけれど」


「次に目覚めるものがあるわ」


白石さやは、もう一度、眠っていた自分を見た。


ひとつの名前。


ひとつの輪郭。


眠りと目覚めのあいだで分かれたものが、少しずつ戻ろうとしている。


「いっしょに、来る?」


眠っていた方は少し笑って、うなずいた。


「うん」


「だって」


「まだ、返してないから」


保健の先生が扉を開く。


廊下の先に、音楽室への道が伸びていた。


その長い廊下の窓には、もう白いリボンの影はない。


けれど。


ピアノの音は、さっきより少しだけはっきり聞こえた。


ぽん。


ぽん。


ぽん。


誰かが、音楽室で待っている。


白石さやは鍵を握りしめ、ユイとユウ、カクリと並んで、保健室の外へ踏み出した。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

次回もお楽しみに

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ