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幽世断ちのカクリ 〜宵町カクリは夜を歩く〜  作者: れんP


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116/131

第115夜 「最後まで、読む」



今日も少女は夜を歩く。


「今度こそ」


「最後まで」


「読んで」


白い手が、白石の手首をそっと掴んでいた。


強くはない。


けれど。


逃がさないという意思だけが、はっきりと伝わってくる。


白石は息を呑んだまま、名簿を見下ろした。


最初のページ。


『白石さや』


その文字は、はっきりしている。


これまで見えていた、かすれた名前とは違う。


黒い筆圧が濃く、途中で消えたような気配もない。


完全だった。


なのに。


白石の胸が痛い。


「……これ」


「わたしの」


半分の白石が、机の上から静かに言った。


「うん」


「でも」


「まだ終わりじゃない」


その声に、窓の外の白いリボンの影たちがざわめく。


白いリボンの一つが、教室の中へするりと滑り込んだ。


続いてもう一つ。


ひとつずつ。


影たちは教室の床に立ち、白石を見つめる。


怒ってはいない。


泣いてもいない。


ただ、待っている。


ずっと前から待っていたみたいに。


冬華が黒板の前へ出た。


「……これは、名簿そのものが鍵なのですね」


白い梟が短く鳴く。


『統合対象、確定』


『半欠名、補完可能』


総長が腕を組む。


「つまり」


「この子の名前を最後まで読めば、半分が戻る、ということか」


半分の白石が、かすかに頷いた。


「うん」


「でも」


「読むと」


「もう、後戻りできない」


その言葉に、ユイが少しだけ顔を曇らせる。


「後戻りできないって……」


白石は名簿を見つめたまま、喉を鳴らした。


「……こわい」


正直な声だった。


「でも」


「知りたい」


「わたし」


「自分の名前を」


「ちゃんと」


「最後まで」


ユウが小さな手をぎゅっと握る。


「がんばって」


その言葉で、白石は少しだけ笑った。


「うん」


白石は震える指で、名簿のページを一枚めくる。


ぱり、と乾いた音。


次の頁には、同じ文字が並んでいた。


『白石さや』


二行目。


『白石さや』


三行目。


『白石さや』


びっしりと、何度も何度も。


「……どうして」


れいなが首を傾げる。


「同じ名前がいっぱい……」


白石は息を止めた。


そして。


その紙面の端に、鉛筆で薄く書かれた補足を見つける。


『よばれた回数』


『たえるために、くりかえす』


「……呼ばれた回数?」


半分の白石が、少しだけ目を伏せる。


「わたし」


「何度も」


「名前を呼ばれてた」


「でも」


「朝になると、ひとつ減る」


「ひとつずつ、消える」


白面の医師の声が、かすかに記憶の底で蘇る。


名前は呼ばれることで残る。


けれど、呼ばれすぎた名前は。


今度は逆に、擦り切れる。


その意味が、今ようやく分かる。


カクリは鋏を握り直した。


「……読んで」


白石がうなずく。


そして、名簿の一行目を、声に出した。


「しらいし」


「さや」


その瞬間、教室の空気がふっと揺れた。


窓の外のリボンの影が、一斉に顔を上げる。


その輪郭が少しだけ濃くなる。


白石は息をつかずに、次の行を読む。


「しらいし」


「さや」


「しらいし」


「さや」


読むたびに、教室のどこかから細い紙片が落ちる。


教科書の隅。


机の脚。


ロッカーの上。


そこから、薄い白い切れ端がはらりはらりと落ちた。


切れ端には、消えかけた文字が書かれている。


『さ』


『や』


『し』


『ら』


『い』


『し』


「……集まってる」


ユイが小さく言う。


白い紙片が、白石の周囲へ寄っていく。


まるで、失われた文字が自分の居場所を探して戻ってくるみたいに。


すると、教室の後ろで椅子がひとつ、きぃ、と動いた。


誰も触っていない。


振り向くと、窓の外にいた白いリボンの影のうち一人が、教室の後方へ座っている。


いや。


座っているのではない。


その影が、少しずつ白石の姿へ重なり始めていた。


半分の白石が静かに立ち上がる。


「……きた」


「なにが」


カクリが問う。


半分の白石は、名簿の文字を見ながら答えた。


「もう一人」


「わたしの」


「反対側」


教室の床が、ぎしりと鳴る。


机の影が伸びる。


黒板のチョークが勝手に転がる。


その先に、もう一人の白石が現れた。


さっきまでの半分と違う。


今度は、反対側だけが濃い。


輪郭ははっきりしているのに、左半分だけがぼやけている。


右側に残った顔が、ゆっくりと白石を見た。


「……おそかった」


「でも」


「これで、そろう」


白石は呆然とした。


「……わたし」


「ふたつある……」


二人の白石は、互いを見たまま動かない。


半分の白石が、かすかな声で言う。


「一緒に」


「いたかった」


もう一人がうなずく。


「うん」


「でも」


「半分じゃ」


「かえれない」


教室に、しん、と静寂が落ちる。


ユウが小さくつぶやいた。


「……二人とも、白石さん?」


「ちがう」


二人の白石が、同時に答えた。


そして。


初めて、ぴたりと同じ声で言った。


「わたしたち」


「白石さや」


その瞬間、名簿がひとりでに閉じた。


バン、と乾いた音。


ページの端から白い光が走り、教室の床を一文字に横切る。


白いリボンの影たちが一斉に動く。


窓の外。


廊下。


黒板の後ろ。


全部から、同じ声が重なった。


「さや」


「さや」


「さや」


それは一人分の呼び声ではない。


何人もの声が、ずっと昔に失くした名前を、ようやく返そうとしている音だった。


二人の白石が、ゆっくりと近づく。


指先が触れる。


すると、白い光がぱっと広がった。


教室中の紙片が舞い上がる。


消えた名前の欠片が、見えない糸でつながるみたいに重なっていく。


『し』


『ら』


『い』


『し』


『さ』


『や』


声にならない音が、ひとつの名へ変わる。


白石が息を詰めた。


「……わたし」


「白石」


「さや」


その言葉で、教室の後ろの白い影たちが静かにほどけた。


白いリボンが、机の上に落ちる。


一本。


また一本。


やがて、最後の影が消えたあとに残ったのは、白石さやという一つの名だけだった。


白石は両手を見下ろす。


そこに、二人分の温度はもうない。


けれど。


空っぽではなかった。


ちゃんと、ひとりぶんの重さがある。


「……戻った」


ユイがほっと息を吐いた。


ユウも安心したように笑う。


「よかった」


白石さやは、しばらく黙っていた。


それから、少しだけ泣きそうな笑顔を浮かべる。


「……うん」


「わたし」


「戻れた」


その時。


教室の黒板の裏から、こん、と小さな音がした。


全員が振り向く。


黒板が、ゆっくり半分だけずれる。


そこに現れたのは、誰も知らない細い通路。


奥は暗い。


だが、暗闇の向こうからひとつだけ、明るい声がする。


「……まだ」


「半分、残ってる」


白石さやが顔色を変えた。


「え」


「まだ?」


白い梟の声が、教室の天井に落ちる。


『真名統合完了』


『ただし』


『残留反応あり』


カクリが鋏を開いた。


「行く」


教室の奥。


暗い通路の先で、誰かがまた白いリボンを揺らした。


見えたと思った瞬間には消えたが、その気配だけは確かに残っていた。


そして。


小さな紙片が一枚、ひらりと床へ落ちる。


そこには、たった一行。


『次は、保健室で』


白石さやがその文字を見て、息を止めた。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

次回もお楽しみに

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