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幽世断ちのカクリ 〜宵町カクリは夜を歩く〜  作者: れんP


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112/131

第111夜 「校舎裏のノック」


今日も少女は夜を歩く。


こんこん、と。


古い倉庫の扉が、もう一度叩かれた。


白石が肩を震わせる。


「……いる」


その一言だけで、校舎の裏の空気が変わった。


昼の陽気はそこにない。


倉庫の前だけ、ひどくひんやりとして、夏の光さえ薄く見える。


カクリは鋏を握り直した。


「開けるの?」


「……わからない」


白石は震える手で、紙の山を見下ろす。


それは何十枚も積み重なった白い紙だった。


見た目はただのプリントや配布物に見える。


けれど。


そこに書かれている字は、どれも同じように薄い。


消しゴムで何度も消したあとみたいに、輪郭がぼやけている。


ユイがしゃがみ込み、一枚をそっと手に取った。


「……これ」


「見える?」


れいなが覗き込む。


「うん……」


そこには、かすれた字で、こう書いてあった。


『白石』


それだけだった。


名字だけ。


名前がない。


ユウが首を傾げる。


「これ、だれの?」


白石の顔から、さっと血の気が引いた。


「……わたしの」


その声はか細い。


でも確かだった。


「でも」


「おかしい」


「わたし、これ」


「ずっと」


「書いてた気がする」


白石の言葉に、冬華が眉を寄せる。


「書いていた?」


「はい」


「昨日の夜も」


「この紙を、何度も」


「でも朝になると、みんな忘れるの」


白石は紙の山の中から、もう一枚を引き抜いた。


今度は、学校の連絡プリントだった。


担任の押印があり、持ち帰り用と書かれている。


そこに、誰かの鉛筆書きのあとがあった。


『忘れもの』


『返す』


『帰る』


れいなが小さく息をのむ。


「これ……」


「昨日、書いたの?」


白石は首を振った。


「たぶん、わたし」


「でも覚えてない」


「夜になると」


「思い出すの」


「なのに朝になると」


「全部、少しずつ消える」


カクリは倉庫の扉を見た。


こんこん。


また、ノック。


今度は内側からだけではない。


扉の向こうに、薄い影が映っている。


背の高い影ではない。


小さな子供のようでもあり、大人のようでもある。


輪郭が一定しない。


影は扉に向かって、たった一言だけ呟いた。


「……かえす」


その声は、聞いた瞬間に意味が薄れる。


けれど。


確かに“返す”と聞こえた。


白石が一歩後ずさる。


「……やっぱり」


「これ、来てる」


「何が?」


ユイが問うと、白石は紙の山を両手で抱えた。


「わたしの」


「忘れたもの」


「昨日の夜」


「校舎の裏で」


「何かを見たの」


「見た?」


白石は頷く。


「倉庫の前に」


「白い服の人が立ってた」


「顔は見えなかった」


「でも」


「わたしの名前を、呼んだ」


「それで」


「気づいたら紙を集めてた」


冬華が素早く視線を走らせる。


「紙を?」


「はい」


「校舎の中で、名前が消えた紙が落ちてるの」


「連絡帳」


「学級便り」


「プリント」


「誰かの落とし物」


「それを集めないと」


「夜に持っていかれる気がした」


白面の医師がいない代わりに、白い梟の声が遠くで響いた。


『記録断片、回収対象』


『名前媒体、分散』


「名前媒体……?」


カクリが呟く。


白石は不安そうに頷く。


「名前が書いてある紙を」


「校舎の裏に持ってくると」


「わたしのことが」


「少しだけ見えるの」


「でも、夜になると」


「それが全部、ひとつに集まる」


れいなが目を丸くした。


「ひとつに?」


「うん」


「たぶん」


「誰かが集めてる」


その時だった。


倉庫の扉の前に置かれていた紙の山が、すっと持ち上がった。


風はない。


誰も触れていない。


なのに。


一番上の紙がめくれ、そこに新しい文字が浮かぶ。


『白石さんへ』


全員が息をのむ。


その文字は、まだ完全に乾いていないように見えた。


「……今、書かれた?」


ユウが震える声で言う。


白石は青ざめたまま、その紙を見つめた。


「わたし」


「こんなの、知らない」


『白石さんへ』


『あなたの忘れものを、預かっています』


『取りに来てください』


その下に、細い文字が続く。


『夜の校舎、二階の資料室』


『来たら、返します』


カクリの目が鋭くなる。


「罠」


冬華も頷いた。


「ええ」


「わざわざ呼び出している」


「でも」


白石は紙を見つめたまま、静かに言った。


「でも」


「わたし、行かなきゃ」


「……」


「じゃないと」


「ずっと」


「忘れもののまま」


その言葉に、ユイがそっと立ち上がる。


「行こう」


「ひとりで行かないで」


白石の目に、少しだけ光が戻る。


「……いいの?」


「うん」


「わたしも、忘れもの」


「探したことあるから」


ユイは名札の入ったポケットをそっと叩いた。


その仕草だけで、白石は少し安心したようだった。


そして。


倉庫の扉が、またこんこんと鳴る。


今度は、内側ではない。


二階の方角。


校舎のどこか奥の方からだ。


乾いた音が、静かな昼の学校に不自然に響く。


こんこん。


こんこん。


誰かが、あちこちで扉を叩いている。


白石が顔を上げる。


「……あれ」


「資料室だけじゃない」


「まだある」


廊下の向こう。


窓の外。


階段の踊り場。


全部に。


同じノックの気配。


カクリが鋏を肩に乗せる。


「行く」


れいなも小さく拳を握る。


「うん」


「今度はわたしも一緒」


ユウは少し怖そうにしながら、それでもユイの袖をつかむ。


「ぼくも」


白石が、深く息を吸った。


「……お願い」


「わたしの名前」


「取り戻して」


その言葉に、倉庫の前の紙の山が、ふっと軽く揺れた。


まるで、誰かが中で笑ったみたいに。


白石の靴箱に挟まっていたはずのない小さな紙片が、一枚、風もないのに地面へ落ちる。


その紙の裏には、たった一行。


『忘れものは、名前の形をしている』


冬華がそれを拾い上げ、静かに目を細めた。


「……校舎全体が、何かを隠している」


白い梟の気配が遠くで揺れる。


『二階資料室、接近不可反応』


『忘却媒体、複数』


その声に、全員が振り向いた。


校舎の二階の窓。


そこに。


白いリボンの影が、いくつも並んでいた。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

次回もお楽しみに

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