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幽世断ちのカクリ 〜宵町カクリは夜を歩く〜  作者: れんP


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第109夜 「朝食のあとで」



今日も少女は夜を歩く。


朝。


病院の窓辺に差し込む光は、もう夜のものではなかった。


淡く、静かで、まっすぐだった。


長い廊下の向こうで、夜勤の緊張は少しずつほどけていく。


看護師たちは慌ただしく後片付けをし、白面の医師はいつものようにカルテを閉じた。


「……これで、本当に一区切りですね」


白面の医師がそう言うと、冬華が小さく頷いた。


「はい」


「病棟の空気も、かなり落ち着いています」


総長は腕を組んだまま、ゆっくり息を吐いた。


「儂らにしては、珍しく夜明けまで無事じゃったな」


れいながくすっと笑う。


「ほんとだね」


「長かったぁ……」


ユウはまだ少し眠そうに目をこすっていたが、隣のユイの袖をぎゅっと掴んでいる。


「お姉ちゃん」


「うん?」


「ぼく、今からほんとに帰れるの?」


ユイは少しだけ考えて、それからやさしく笑った。


「帰れるよ」


「ここにいるのは、もうおしまい」


「でも」


「忘れないでね」


「うん」


ユウは真面目な顔で頷いた。


白い梟は病室の窓辺でじっと外を見ている。


『境界安定』


『帰宅許可』


『病棟夜域、観測終了』


白面の医師は、それを聞いて静かに礼をした。


「ありがとうございます」


『業務外』


『だが』


『よくやった』


その返答に、白面の医師は少しだけ驚いたように目を瞬かせた。


そして、ふっと口元を緩める。


「……そうですか」


「では、こちらも」


「しばらくは休ませていただきます」


その言葉に、ユイが首を傾げた。


「休むの?」


「ええ」


「記録庫の整理が残っています」


「まだ?」


「はい」


白面の医師は遠い目をした。


「最終頁が閉じても」


「書き損じは残ります」


「夜は、片付けても片付けても、どこかにこぼれるものですから」


その言葉に、カクリが少しだけ頬を膨らませる。


「じゃあ、また夜?」


白面の医師は否定しなかった。


「ただし、今度はあなた方が呼ばれないようにします」


そう言って、医師はユイへ一枚の紙を差し出した。


真っ白な、四角い紙切れだった。


小さな角が一つ、折り込まれている。


「……しおり?」


ユイが呟く。


「はい」


「記録庫の奥から回収したものです」


「ページの間に挟むもの」


「迷わないための目印」


「今のあなたには、これが必要でしょう」


ユイはそれを受け取った。


紙は驚くほど薄いのに、不思議と温かい。


「ありがとう」


その瞬間、しおりの端に、うっすらと文字が浮かんだ。


『帰る場所』


ユイの瞳が揺れる。


「……帰る場所」


白面の医師は静かに頷いた。


「ええ」


「それが、あなたたちの今の頁です」



退院手続きは思ったより早く終わった。


白面の医師が特例を通したらしい。


病院の玄関を出ると、朝の風が頬をかすめる。


空はすでに明るい。


あの夜の深い闇が嘘みたいに薄れていた。


ユウが外に出た瞬間、目をぱちぱちと瞬かせる。


「……まぶしい」


「ほんとに朝だ」


れいなが手を振りながら笑った。


「おはようの朝だよ!」


「おはようって、こんなに明るいんだ」


「うん」


「でも、今日はちょっと眠い朝でもあるね」


総長が苦笑する。


「ほれ、帰るぞ」


「腹も減った」


冬華が少しだけ気を抜いたように笑う。


「そうですね」


「まずは温かいものでも食べましょう」


ユイがその言葉に目を輝かせた。


「食べる!」


「うん」


「朝ごはん」


ユウも両手を上げる。


「食べる!」


「いっぱい!」


カクリはそんな二人を見て、少しだけ安心したように息を吐いた。


病院の夜は終わった。


そう思っていた。


そのはずだった。


帰りの車内。


白面の医師の手配した長い車に揺られながら、ユイは窓の外をぼんやり見ていた。


ユウはすぐに眠ってしまい、肩を揺らしている。


れいなも窓に額をつけてうとうとしていた。


冬華は何か書類を確認している。


総長はもう完全に眠りかけている。


カクリだけが、窓の外を見ていた。


その時だった。


ユイが小さく声を上げる。


「……あれ」


「どうしたの?」


カクリが聞く。


ユイは自分の膝の上を指差した。


「さっきまで、なかった」


そこにあったのは。


白い紙切れだった。


病院でもらったしおりに似ている。


けれど、病院のものとは少し違う。


端が黒く焦げていて、真ん中に細い文字が一行だけ浮かんでいる。


『また、夜に』


一瞬、車内の空気が凍った。


冬華がすぐに顔を上げる。


「……何ですか、それ」


白面の医師は同乗していない。


だから誰にも答えられない。


ユイは震える手で紙切れを持ち上げた。


「わたし、知らない」


「ほんとに」


「さっきまで、なかった」


れいなも眠気が吹き飛んだ顔で身を乗り出す。


「えっ、こわっ」


「なにそれ……」


総長が低い声を出した。


「誰かが忍ばせたな」


「だが」


「病院の夜は終わったはずじゃろ」


冬華は紙切れをじっと見つめる。


「病院の夜ではありません」


「これは……」


「夜そのものの文面に見えます」


カクリはしおりを受け取ったユイの手を見た。


もう一枚。


似た紙が、ユウの眠る膝のあたりにも挟まっている。


寝ぼけていたユウが、むにゃむにゃと寝言を言う。


「……お姉ちゃん……」


ユイがそっとそれを抜き取る。


そこには、別の一行。


『次は、学校で』


「……学校?」


れいなが目を丸くする。


「なにそれ」


冬華が息を呑んだ。


「学校名は……」


「ええ」


「市立夕凪小学校」


車内が一気に静まる。


カクリはその文字を見て、胸の奥が小さくざわつくのを感じた。


学校。


昼の場所。


子供たちがいる場所。


そんな場所に、夜の言葉が届くなんて。


白面の医師のいないところで。


誰かが、まだ見ている。


ユイは紙切れを握りしめた。


「……また、来るの?」


その問いに、誰も答えられない。


でも、ひとつだけは分かる。


あの夜は終わった。


けれど、夜を“見ていたもの”までは消えていない。


車が信号で止まった。


朝の街は普通に流れている。


通勤する人々。


買い物袋を持つ主婦。


ランドセルを背負う子供たち。


その中で、ユイだけが静かに紙切れを見つめていた。


カクリが小さく尋ねる。


「お姉ちゃん」


「うん」


「行く?」


少しだけ間を置いて、ユイは頷く。


「行く」


「今度は」


「自分で歩く」


ユウが眠ったまま手を伸ばし、うわごとのように呟いた。


「……いっしょ」


ユイはその手をそっと握る。


「うん」


「いっしょ」


窓の外。


朝の光の端に、一瞬だけ白いものが映った。


しおり。


いや。


それとも、別の何かだったのかもしれない。


見えたと思った瞬間には消えていた。


ただ、ユイの膝の上の紙切れだけが、ひやりと冷たい。


『また、夜に』


その文字は、朝の光の中でも消えなかった。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

次回もお楽しみに

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