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幽世断ちのカクリ 〜宵町カクリは夜を歩く〜  作者: れんP


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第102夜 「ほどける起点」



今日も少女は夜を歩く。


杭が、一本ずつ抜け始めた。


土を噛んでいた古い木が、きぃ、と低い音を立てて抜けるたび、夜の空気がわずかに軽くなる。


一つ。


また一つ。


そのたびに、地面に結ばれていた黒い札がはらりと落ちた。


子供はユイの手を握ったまま、目を丸くしてそれを見ている。


「……抜ける」


「うん」


ユイは静かに頷いた。


「大丈夫」


「こわくないよ」


「うん……」


子供は少しだけ笑った。


けれど、その笑顔はどこか寂しそうだった。


白い梟が高く鳴く。


『起点分離、進行中』


『病院夜域、還元準備』


白面の医師は杭の周囲を見渡し、低く息を吐いた。


「順調です」


「ですが、最後の一本が厄介です」


総長が刀を肩に担ぎ直す。


「どれじゃ」


医師は子供の背後を指した。


地面に半ば埋もれた杭。


そこだけ黒い札が何重にも巻かれている。


他の杭とは違い、結び目の数が異常だった。


見ているだけで、喉の奥がざらつく。


冬華が眉をひそめる。


「まるで」


「誰かが何度も結び直したみたいですね」


「はい」


白面の医師は頷いた。


「最初の夜を、何度も何度も固定し直した痕跡です」


「……そんなことを」


「したのは誰ですか」


医師は少し黙った。


そして、やがて静かに答える。


「病院の夜を“正しく”したかった者です」


その言葉に、誰も返せなかった。


正しさ。


その名で、何かを消してきた存在がいる。


記録庫でも。


病棟でも。


何度も見てきた構図だった。


カクリは子供の手を見た。


この小さな手が、ここで一人きりで夜を受け止めていた。


そう思うと、胸の奥が痛んだ。


「……痛い?」


子供が気づいて聞く。


カクリは少しだけ首を横に振った。


「平気」


「ほんと?」


「うん」


「ならよかった」


その時だった。


黒い札の巻かれた最後の杭が、ぴくりと動いた。


すでに抜かれていく杭とは違う。


こちらは、何かに押さえられている。


いや。


押さえ込んでいる。


土の下から。


カツン。


小さな音。


誰かが杭の先を叩いた。


全員が一斉に振り向く。


白面の医師が表情を変える。


「……反応しましたか」


「まだいるのか」


総長が低く唸る。


白い梟が翼を広げた。


『深部残留』


『記録核下層、再点火』


「再点火……?」


れいなが青ざめる。


「まだ何かあるの……?」


医師は短く答えた。


「あります」


「最初の夜は」


「一つの杭だけでは固定できません」


「杭を打ち込んだ“手”がある」


「そして今」


「その手が動いています」


その瞬間。


地面の下から、かり、と爪が引っかくような音がした。


子供が身体をすくめる。


「……やだ」


「来る」


ユイがしゃがみこみ、子供を抱き寄せた。


「大丈夫」


「一緒」


「……ほんとに?」


「ほんと」


すると、地面がぼこりと盛り上がる。


土が盛り上がり、黒い指先が覗く。


指。


いや、指に見えるだけ。


黒く、細く、紙のようなものが何本も絡みついた手。


それが杭を掴んでいた。


冬華が一歩前へ出る。


「……出ます」


「何が?」


「杭を守っているものです」


杭の周囲に貼られた黒い札が、じわじわと浮き上がる。


その札には、病院の記録にも記録庫にもなかった字が書かれていた。


『消せ』


『消せ』


『消せ』


『名前を消せ』


『帰すな』


白面の医師の声が冷たくなる。


「……やはり」


「記録監ではない」


「では?」


「最初の夜を“管理”していた者の、下請けです」


総長が眉をひそめる。


「下請け……?」


「ええ」


「名前を消す仕事を、任されたもの」


「だからこそ」


「今も杭を抜かせまいとしている」


そう言った瞬間、地面の黒い手が一気に伸びた。


ユイたちの足元へ。


「っ!」


総長が刀で切り払う。


ザンッ!


黒い手は切れた。


だが切れた断面から紙片のようなものが舞い上がる。


それは札ではない。


記録の破片だった。


「不気味な……」


れいなが震える。


カクリは鋏を開いた。


「やる」


子供がカクリを見上げる。


「……こわいの?」


「少し」


「でも」


「大丈夫」


子供はそれを聞いて、ほんの少し安心したようだった。


「じゃあ」


「ぼくも」


「手伝う」


「え?」


子供はユイの腕の中から身を起こし、黒い杭を見つめる。


そして、小さな声で言った。


「これ」


「ぼくの」


「かなしい」


「……?」


「ここにいると」


「ずっと」


「ひとりだった」


「だから」


「ほどけるの」


「いや」


「……」


その言葉に、ユイがはっとする。


「そうか」


「あなたが、杭に……」


子供は頷いた。


「うん」


「ぼくのこわいの」


「ここに」


「くっついてる」


白面の医師が目を見開いた。


「……起点に個体情動が結び付いている」


「つまり」


「この杭は単なる封印ではなく」


「この子の恐怖そのものが固定具になっていたのですか」


「はい」


医師の声は低かった。


「だから抜くには」


「この子の“怖い”を外さなければならない」


ユイが子供を見る。


「怖いの、外す……」


「うん」


子供は小さく頷いた。


「でも」


「どうやって?」


その問いに、カクリは一瞬だけ考えた。


そして。


鋏を片手に、もう片方の手を差し出した。


「怖くても」


「手をつなぐ」


それだけだった。


子供は目を丸くする。


「……つなぐ?」


「うん」


「一人で持つと、重い」


「だから」


「一緒に持つ」


白い梟が、その言葉を聞いて静かに目を細めた。


『情動共有、許容圏内』


『起点固定解除条件へ接続』


白面の医師も、わずかに息を吐く。


「……それでいきましょう」


「誰かが怖さを抱えたままでは、杭は抜けない」


「ですが」


「複数で分ければ、十分に外せる」


冬華が刀を納めずに問う。


「分けるとは」


「記憶を」


「恐怖を」


「孤独を」


「みんなで引き受けるのです」


総長が低く笑う。


「面倒なやり方じゃのう」


「ですが嫌いではない」


れいなも小さく拳を握った。


「やる!」


ユイは子供の隣にしゃがむ。


「わたしも」


子供は少しだけ泣きそうな顔になった。


「……ほんとに」


「一緒にいてくれるの?」


「うん」


「ずっと?」


「うん」


「……約束?」


「約束」


その瞬間、子供の顔に、ほんのわずかな光が戻る。


そして。


カクリ、ユイ、ユウ、冬華、総長、れいなが、黒い杭の周りに立った。


白面の医師が最後に一歩前に出る。


「では」


「引き抜きます」


白い梟が高く鳴く。


『起点分離最終段階』


『情動共有、開始』


杭に巻かれた黒札が、ぶるぶると震え始める。


土の中の黒い手が、必死に杭を掴む。


だがもう遅い。


子供が小さく息を吸う。


「……もう」


「ひとりじゃない」


その言葉と同時に、杭へ向かっていた恐怖が、少しだけ弱まった。


カクリが叫ぶ。


「今!」


全員で、杭を引いた。


ギギギギ……!


土が割れ、黒い札が千切れ、古い杭が一本、とうとう地面から抜けた。


その瞬間。


夜が。


大きく。


深く。


息を吐いた。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

次回もお楽しみに

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