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幽世断ちのカクリ 〜宵町カクリは夜を歩く〜  作者: れんP


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第100夜 「最初の頁へ」


今日も少女は夜を歩く。


「……やっと」


「戻ってきた」


その声を聞いた瞬間、姉――ユイの胸元が、静かに熱を持った。


「っ……」


思わず手を当てる。


布越しに、何か硬いものがある。


さっきまでなかったはずの感触。


それは、古びた名札のようでもあり、鍵のようでもあり、ただの記憶の欠片のようでもあった。


「ユイちゃん?」


ユウが不安そうに見上げる。


ユイは息を呑んだ。


胸の奥に、眠っていたはずの何かが、確かに目を開ける。


病室の匂い。


消毒液。


雨の夜。


古い廊下。


そして。


誰かの小さな手。


「……あ」


ユイの瞳が揺れる。


「思い出した……」


白面の医師が、静かに身を起こす。


「記憶の封が開きましたね」


「はい」


ユイは胸を押さえたまま、ぼう然と呟く。


「……ユウ」


「あなた、ずっと」


「ここにいたの?」


ユウは少しだけ笑った。


「うん」


「ずっといたよ」


「ユイちゃんが、忘れてただけ」


その言葉に、ユイの視界が一瞬だけ白くなる。


──夜の病院。


まだ病棟が今ほど大きくなくて、古い棟がひっそり残っていた頃。


窓の外は雨で、廊下はしんと静かで。


その中で、小さな男の子がひとりで座っていた。


名前を呼ばれないまま。


書類の隅にも載らないまま。


その子はいつも、紙を折っていた。


折鶴でも、船でもない。


ただ、折ることで存在を確かめるみたいに。


ユイはその子の隣へ座った。


「なにしてるの」


「……まってる」


「だれを?」


「名前を」


「……」


あの時、自分は笑っていた。


怖いはずの夜なのに。


「名前がないなら」


「わたしが呼ぶ」


「だから、消えないで」


男の子は、泣きそうな顔で笑った。


──ユイ。


その声が、今になって胸の中で蘇る。


「……そうだ」


ユイは震えながら息を吐く。


「わたし……約束した」


冬華がはっとする。


「何をです」


ユイは名札を取り出した。


古い金属板。


磨り減っているけれど、そこには確かに文字がある。


『YUI』


「この子に」


「名前を返すって」


ユウの目が見開かれる。


「……ぼくに?」


ユイはゆっくり頷いた。


「うん」


「ずっと前」


「消される前に」


「わたし、約束したんだ」


その瞬間、記録庫の奥の黄ばんだ頁が、ぱたりと開いた。


最終頁でもない。


その裏でもない。


もっと深いところ。


本の“前”にあった頁だった。


白い梟が鋭く鳴く。


『隠し頁、最終展開』


『起点座標、確定』


白面の医師の表情が変わる。


「……あれは」


「病院が建つより前の」


「更地時代の記録……?」


総長が目を細める。


「そんなものまであるのか」


「はい」


医師は低く答えた。


「最初の夜の、最初の頁です」


紙面の中央に、文字が浮かぶ。


それは誰かが書いたものではない。


読み上げられることで、初めて現れる文字だった。


『こどもをひとり、ここにおく』


『こどもをひとり、ここにおく』


『こどもをひとり、ここにおく』


同じ文が、三度、四度、五度と並ぶ。


れいなが顔を青くした。


「え……なにこれ……」


白面の医師は、低く言う。


「病院の夜を生んだ最初の命令です」


「誰が……」


冬華が問う。


医師は答えない。


代わりに、頁の隅に浮かぶ影を指差した。


そこにいたのは。


小さな子供だった。


顔は見えない。


けれど、そこにいるのははっきり分かる。


その子供は、記録の中でひざを抱え、ユイを見上げていた。


「……お姉ちゃん」


ユウが震える。


「この子」


「まだいる……」


「うん」


ユイはページを見つめる。


「最初の子」


「わたしたちに、名前を返してほしかった子」


カクリが一歩前に出た。


「最初の子?」


白面の医師が静かに頷く。


「病院を夜にした最初の患者」


「病院に置かれ」


「病院に書かれ」


「病院に忘れられた」


「その結果」


「夜が生まれた」


総長が苦々しく吐き捨てる。


「つまり、こいつが始まりか」


「はい」


「そして」


「この子が」


「最後まで、ここに残っていた」


空気が重くなる。


ユイはページの中の小さな影へ、そっと手を伸ばした。


触れられない。


けれど、確かにそこにいる。


「……ごめんね」


「遅くなった」


すると、頁の中の影が、わずかに頭を上げた。


そして。


かすれた声で笑う。


「……ううん」


「来てくれた」


「やっと」


その声に、ユイの胸元の名札が熱を持った。


ぱち、と小さな音がする。


名札の裏側に、もう一つ刻印が浮かび上がる。


『RETURN』


「返還印……?」


白面の医師が目を見開く。


「まさか」


「この子が、鍵に……」


白い梟が羽を広げた。


『接続完了』


『最終頁、門化』


『通過可能』


れいなが息を呑む。


「通れるの……?」


「はい」


医師は短く答えた。


「ですが、行けるのは限られた者だけです」


「最初の頁は、夜に触れた者しか入れません」


ユイがカクリを見る。


「……私」


「うん」


「それと」


「ユウ」


ユウが自分を指差す。


「ぼく?」


白面の医師は頷いた。


「あなたは元々、頁の中の住人です」


「だから戻れます」


ユウは少し怖そうにしたが、すぐにユイの袖をつかむ。


「いっしょなら」


「行ける」


ユイは笑った。


「うん」


カクリも鋏を握る。


「私も行く」


「姉ちゃんを、帰す」


白面の医師は、それを聞いてわずかに目を細めた。


「では、最後の準備を」


記録庫の空気が、もう一度ゆっくりと反転する。


頁の中の影が、少しずつ輪郭を持ちはじめる。


小さな子供。


病院の始まり。


夜の最初の住人。


その子が、ゆっくりと頁の向こうで立ち上がった。


そして、はっきりとユイを見て笑う。


「……お姉ちゃん」


「もう、忘れないで」


その言葉を聞いた瞬間。


ユイの胸元の名札が、眩しいほど強く光った。


そして、最初の頁の中へ向かって。


白い扉が静かに開いた。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

次回もお楽しみに

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