第9夜 「夜の学校」
今日も少女は夜を歩く。
窓の外は、すっかり暗くなっていた。
宵町カクリは机へ広げていた宿題プリントを閉じ、小さく息を吐く。
時計の針は、夜を指している。
家の中は静かだった。
一階からテレビの音が微かに聞こえる。
両親はまだ起きているらしい。
カクリは静かに立ち上がった。
「……行く」
机の上で、小さな鋏が光る。
『おう』
はっちゃんの声が頭へ響いた。
『今日は学校だったな』
「うん。昼にいたやつ、気になる」
窓を開ける。
夜風が部屋へ流れ込んできた。
昼とは違う空気。
静かで、冷たくて、どこか重い。
カクリは窓枠へ足をかけ、そのまま外へ飛び出した。
ふわり、と身体が浮く。
二階の高さ。
普通なら危険なはずなのに、今のカクリは軽々と着地した。
『もう完全に人間離れしてきたな』
「……はっちゃんのせい」
『褒め言葉として受け取っとくぜ』
カクリはフードを軽く被り、夜道を走り出した。
住宅街を抜ける。
街灯の光がアスファルトを照らしていた。
だが、その隙間には“夜”がいる。
電柱の影。
細い路地。
誰もいない公園。
そこかしこに黒い気配が漂っていた。
『今日は多いな』
「学校に集まってるのかも」
カクリは走る速度を上げる。
やがて、『市立夕凪小学校』の校門が見えてきた。
昼間とはまるで違う。
人気のない校舎。
暗い窓。
風で揺れる木々。
まるで建物そのものが眠っているみたいだった。
『……いるな』
はっちゃんの声が低くなる。
校舎の奥。
気配がいくつも重なっていた。
カクリは門を飛び越える。
静かに校庭へ着地した。
その瞬間。
校舎の窓に、黒い影が映った。
人の形をしている。
だが顔がない。
『来るぞ』
影が窓ガラスをすり抜けるように現れた。
「ァァァアア……」
呻き声。
ぐにゃりと歪む身体。
カクリは迷わず巨大断ち鋏を構えた。
銀色の刃が夜に広がる。
「はぁっ!!」
鋏が振り抜かれる。
黒い影が真っ二つに裂けた。
霧のように崩れ、消えていく。
だが次の瞬間、別の影が背後から飛びかかってきた。
「っ!」
カクリは振り返りざまに鋏を叩き込む。
鈍い感触。
影が地面へ叩きつけられた。
「アァァァァ!!」
『右だ!』
はっちゃんの声。
カクリは反射的に横へ飛ぶ。
直後、さっきまでいた場所を黒い腕が貫いた。
地面に黒い染みが広がる。
「……速い」
『昼にいた連中より強ぇな』
影達が校舎の窓から次々と這い出してくる。
数が多い。
カクリは地面を蹴った。
「やぁっ!!」
鋏が夜を裂く。
二体まとめて断ち切る。
だが、まだ終わらない。
階段の窓。
体育館の影。
渡り廊下。
学校中から気配が滲み出してくる。
『巣になりかけてやがる』
「全部切る!」
カクリは走った。
夜の校庭を駆ける。
巨大断ち鋏が閃くたび、黒い影が崩れていく。
だが。
その時だった。
――コツ。
足音。
カクリの動きが止まる。
こんな時間に?
『人間だ』
はっちゃんが小さく言った。
『隠れろ』
カクリは即座に校舎裏へ飛び込む。
息を潜める。
すると、渡り廊下の向こうから光が見えた。
懐中電灯。
誰かが歩いてくる。
「……だから言ったでしょう。最近、この学校は気配が濃いんです」
聞こえてきたのは、大人の女の声だった。
落ち着いた声。
そして――
「でも、本当にいるんですか?お化けとか」
もう一つの声。
その瞬間、カクリの目が見開かれる。
聞き覚えがあった。
『……おい』
はっちゃんの声が低くなる。
カクリは校舎の陰からそっと覗いた。
そこにいたのは、一人の女性と。
そして。
「れいな……?」
九条れいなだった。
昼間と同じ制服姿。
だが今は、懐中電灯を持って夜の学校に立っている。
カクリは息を呑んだ。
どうしてここにいる。
しかも、大人と一緒に。
女性は校舎を見上げながら静かに言った。
「えぇ。しかも、かなり強いものが集まり始めています」
その声には、確信があった。
まるで最初から知っているみたいに。
れいなが少し不安そうに辺りを見る。
「……先生、本当に危なくないんですか?」
「私がいる限りは」
先生。
カクリはその言葉に引っかかった。
女性は長い黒髪を揺らしながら、静かに校舎へ視線を向ける。
その瞬間だった。
校舎の窓に黒い影が現れる。
普通の人なら見えないはずのそれを、女性は真っ直ぐ見据えた。
そして。
「下がってください」
そう言って、一枚の札を取り出した。
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