第8夜 「学校の影」
今日も少女は夜を歩く。
その前に、少女は昼を生きている。
『市立夕凪小学校』三年一組。
朝の教室には子供達の声が響いていた。
笑い声。
鉛筆の音。
机を引く音。
どこにでもある、小学校の朝。
けれど宵町カクリには、その景色の奥に別のものが見えていた。
窓の外。
校庭の隅。
黒く揺れる人影。
普通の人には見えないもの。
お化け。
その存在を見つめていた時だった。
九条れいながぽつりと言った。
「……たまに、いるよね。変なの」
カクリの呼吸が止まりかける。
「え?いま、なんて?」
れいなはきょとんとした顔をした。
「え、でもないよ?」
「……」
カクリは黙る。
聞き間違いだったのか。
それとも。
『落ち着け』
頭の中ではっちゃんが低く言う。
『探るな。今はまだ』
カクリは小さく視線を落とした。
れいなはいつも通りだった。
明るくて、よく笑って、普通の小学生。
少なくとも、そう見える。
「カクリちゃん?」
「……なんでもない」
「変なのー」
れいなは笑った。
その笑顔に違和感はない。
だからこそ、逆にわからない。
“見えている”のか。
それとも、ただ感覚的に何かを察しただけなのか。
その時、チャイムが鳴った。
キーンコーンカーンコーン――
「はい、席ついてー」
先生の声が教室へ響く。
生徒達が慌てて席へ戻っていった。
一時間目は国語だった。
教科書を開く音が重なる。
カクリも机の中から教科書を取り出した。
だが集中できない。
視線が何度も窓へ向かう。
黒い影はもう見えない。
けれど気配だけが、まだ校舎のどこかに残っていた。
『まだいるな』
はっちゃんが呟く。
『しかも数が増えてる』
カクリは小さく眉をひそめた。
増えている。
つまり、この学校に集まり始めている。
「宵町さん、読むよー」
先生の声で我に返る。
「あ……はい」
立ち上がる。
教科書の文章を読み始める。
声は普通だった。
周りから見れば、いつものカクリ。
けれど頭の奥では、別のことを考えている。
夜になったら調べよう。
学校にいるお化け。
あれが何なのか。
どうして集まってきているのか。
「はい、そこまでー」
読み終えると席へ座る。
窓の外では、風に木々が揺れていた。
平和な昼。
それなのに、空気の奥に“淀み”が混ざっている。
授業は進んでいく。
漢字。
音読。
ノート写し。
クラスメイト達は真面目に授業を受けたり、こっそり喋ったりしていた。
れいなも、隣の子と小声で笑っている。
その横顔を見ながら、カクリは少しだけ考える。
もし、れいなが本当に見えているなら。
――巻き込みたくない。
夜は危険だ。
幽世は、人が簡単に踏み込んでいい場所じゃない。
その時だった。
教室の後ろで、小さな音がした。
カタン。
ロッカーが揺れる。
数人が振り向いた。
「ん?」
「誰かぶつかった?」
でも誰もいない。
ただ、ロッカーの隙間だけが妙に暗かった。
カクリには見えた。
その奥に、黒い目のようなものが。
『……チッ』
はっちゃんが低く鳴る。
『昼なのに活発すぎる』
カクリは静かに拳を握った。
目は、じっとこちらを見ている。
まるで気づいてほしいみたいに。
「宵町さん?」
また先生の声。
「大丈夫?」
「……はい」
カクリは視線を逸らした。
すると黒い目は、すぅっと闇に溶けるように消えた。
『刺激すんなよ』
「……わかってる」
小声で返す。
前の席の男子がまた振り返った。
「宵町、また独り言?」
「違う」
「だよなー」
男子はケラケラ笑う。
れいなも小さく笑っていた。
教室はいつもの空気へ戻っていく。
でもカクリだけは知っていた。
この学校には“いる”。
しかも一体じゃない。
昼間なのに。
授業が終わり、短い休み時間になる。
一気に教室が騒がしくなった。
「ねー消しゴム貸してー!」
「外行こうぜ!」
「先生まだ来てない!」
子供達が立ち上がる中、カクリは窓際で外を見ていた。
校庭。
ジャングルジム。
ブランコ。
昼休み前の静かな景色。
その端に、一瞬だけ黒い影が横切る。
人間ではない動き。
『追うなよ』
はっちゃんが釘を刺す。
『今は夜まで待て』
「……うん」
カクリは小さく頷いた。
すると、れいなが隣へ来る。
「カクリちゃん、今日なんか変だよ?」
「……そう?」
「ずっと怖い顔してる」
カクリは少しだけ目を逸らした。
「そんなことない」
「あるよー」
れいなは笑いながら机へ肘をつく。
「なんか悩み事?」
言えない。
夜のことなんて。
お化けのことなんて。
だからカクリは、小さく首を横に振った。
「大丈夫」
れいなは少しだけじっとカクリを見たあと、ふっと笑う。
「そっか!」
それ以上は聞いてこなかった。
その優しさが少しだけありがたかった。
窓の外では、昼の光が校庭を照らしている。
だがカクリには見えていた。
校舎の影。
階段の奥。
窓ガラスの向こう。
そこに潜む、黒い気配が。
そして少女は思う。
――夜になったら、この学校を歩こう。
昼には隠れているものも、夜なら見える。
今日もまた、少女は夜を歩くのだから。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




