scene3
「これ、どこに続いてるんだろうな」
そう呟いた尚忠の懐中電灯が照らしているのは、まるで引きずられた痕のような血痕だ。昴と尚忠はこの血痕を道標にして進んでいた。
三階建てのU字型の校舎はこじんまりとしていて、決して広いとは言えない。卒業してから五年経ったとはいえ、慣れ親しんだ校舎の構造は今も頭に入っているから迷う心配もないだろう。
しかし校舎内を漂う空気は異様で、三年間通った学校だとは思えなかった。気を抜いたら異空間に迷い込んでしまって二度と還れなくなってしまうような気さえしてくる。そこで二人は、とりあえず血痕の伸びている方へと進む事にしたのだ。
二人は今、二階へと続く階段を上っていた。一つ上の階に行くためには踊り場を挟んだ階段を二つ昇る必要がある。しかし二人はゆっくりと一段ずつ昇っているので一向に二階につく気配はなく、まだ一つ目の階段を半分ほど進んだほどだった。
この血痕の先には何があるのか。そんな事、考えただけでも恐ろしい。だが、この先にクラッカーを構えた京香と正輝がいる可能性だって捨てきれないのだ。二人はそれに一縷の望みをかけ、慎重に足を前に進める。先を照らす懐中電灯の光は小刻みに震えていた。
「行ってみればわかるだろ」
昴は強がるように笑う。学生時代にガキ大将として君臨していたプライドからか、この程度で怯んではいけないと自らに課しているらしい。しかし、その姿は虚勢にしか見えなかった。
目を凝らして血痕を見てみると、赤黒い血の中に服の繊維らしきものや黒く細長い糸のようなものが張りついているのがわかる。細長い糸は髪の毛に見えなくもなかった。
それに、進むにつれて血痕は掠れているが、時折べちゃりと潰したような血だまりができている事も気になる。まるで何者かが休憩をはさみながらナニカを引きずっている痕のようだ。引きずられているモノが何なのかは考えたくもないが、京香達のいたずらにしては少々リアルすぎやしないだろうか。
「――ッ!」
ようやく踊り場が見えてきた。尚忠に先行して歩いていた昴が踊り場をさっと照らす。しかしその瞬間、彼は声にならない悲鳴を上げてわなわなと震えだした。
「ど、どうした?」
「来るな!」
思わず尚忠は声をかける。昴は恐ろしい形相で振り返る。しかし時すでに遅く、尚忠は昴越しに踊り場を覗き込んでしまっていた。本当に恐ろしい状況に遭遇すると悲鳴すらも出ないのだと、尚忠は身をもって思い知る。嫌な汗が背中を伝った。
昴がぐいっと尚忠の腕を掴んで階段を駆け下りる。バランスを崩しそうになったがなんとか持ちこたえた尚忠も、彼の後に続いて必死で走った。
「なんなんだよ!? あそこで何があったんだ!?」
昴は走りながら喚くが、それは尚忠にもわからない。二人は来た道を走り続け、千尋達の待つ『一年一組』の引き戸を乱暴に開けた。
* * *
転がり込むようにして昴と尚忠が帰ってくる。二人の表情には鬼気迫るものがあった。何かあったのだろうか。
「おかえりぃ。どうだったぁ?」
侑奈が能天気な声をかける。しかしそれを無視して、昴と尚忠は口々に騒ぎ立てた。
「早く逃げるぞ! ここはマジでヤバいんだ!」
「これ以上ここにいるのは危険だ! 一刻も早くここを出よう!」
ようやく帰れる。それを悟ったのか、雫の顔が少しだけ明るくなった。それは千尋も嬉しいのだが、この場にいない四人の事が気がかりだ。彼らの安否がわからない以上、手放しで安堵できそうにない。
「はぁ? おい、急にどうしたんだよ」
洋祐はへらへらと笑いながら尋ねるが、昴と尚忠の様子にただならぬものを感じ取ったのだろう。笑ってはいるものの、彼の顔は若干引きつっていた。
「ねえ、何があったの? 京香達は?」
怯えきった雫の問いかけに、昴と尚忠は顔を見合わせて口をつぐんだ。数秒とも数時間とも取れるような沈黙の後、尚忠がそっと口を開く。
「……委員長は死んでいた。あの血痕は、委員長の遺体を引きずったものだったんだ」
教室の空気が固まった。尚忠の言葉を皮きりにして、昴が膝をついて吠える。
「マジで意味わかんねぇよ! どうやったらあんなッ……!」
尚忠は昴ほど取り乱した様子はないが、彼は彼で恐怖に蝕まれているのは青ざめた顔と滴る脂汗でわかった。二人が何を見たのかは詳しく聞かないが、その反応だけである程度の予測はできる。詳しく聞こうという気にもなれないと、千尋は身体を震わせた。
「えぇ? 二人も侑奈達を騙そうとしてるのぉ?」
しかし、そんな空気に乗れない者がいた。侑奈だ。怯える千尋達を鼻で笑い、侑奈はやれやれと肩をすくめる。
「侑奈はそんな見え透いた嘘には――きゃっ!」
「そんな能天気な事言ってる場合じゃねぇんだよ!」
「おい!」
空気の読めない侑奈に苛立ったのか、昴が彼女に掴みかかる。慌てて洋祐が二人の間に割って入った。洋祐は侑奈から昴を引き離し、彼を床に叩きつけるように払いのける。昴は床にしりもちをついた。二人はしばらく無言のまま睨みあい、緊迫した空気が教室を漂う。
そんな空気の中、動いたのは千尋だった。昴と尚忠がやってきた引き戸は大きく開け放たれている。暗くてよく見えないとはいえそこからなら廊下の様子がわかるのだが、その入り口付近に蠢く影があるのだ。
それに気づいた千尋は、不思議に思いながらも懐中電灯でその辺りを照らす。入り口付近を歩いているものが何なのか気づいた時、千尋は無意識のうちに息を呑んでいた。
「ね、ねえ。あそこ……」
千尋が入り口を指さすと、全員の視線がそちらに集中する。廊下を歩いていたのは小柄な女だった。俯きがちなうえに前髪が長いために顔はよく見えないが、セーラー服のようなものを着ているから女だろう。背格好からすると中学生かもしれない。
セーラー服のデザインは千尋にとっても見覚えのあるものだった。あれはそう、確かこの中学校の制服だ。だが、普通の中学生はこんな時間に一人で廃校に来ない。普通の中学生はぼろぼろのセーラー服など着ない。普通の中学生は長い髪で顔を覆ったりしない。普通の中学生はセーラー服を赤黒く染めない。普通の中学生は、普通の中学生は、普通の中学生は――――血に染まった鉈など持ち歩かない。
懐中電灯の光に気づいたのか、少女は立ち止まってゆっくりと顔を上げる。彼女はそのままぎこちない動作で教室の中に視線を移した。六人は凍りついたように動けない。
少女が首を持ち上げたせいか、ざんばら髪が揺れ動いて隠されていた顔が少しだけ覗いた。ぼさぼさの長い黒髪の間から垣間見えた顔は生気の欠片も感じさせない土気色だ。
千尋達の姿を視認したのか、少女は引き裂くように笑う。口の赤さがやけに目についた。
「――み、つ、け、た」
少女の声に重なって、誰かの悲鳴が反響した。




