第8話 門番の爆発頭と、リーベルの街
「それでは、お待ちのお客さん、どうですか? 顔とヒゲと髪型だけだったら三十枚、服のほうまできれいにするんでしたら五十枚になりますよ。いかがです?」
列のほうから、二人が手を挙げた。
一人は、日に焼けた若い農夫だった。もじもじしながら言う。
「あの、オラ、ヒゲだけでいいだ。三十枚はちょっと……十枚じゃ、ダメだべか」
もう一人は、腰に剣を下げた旅の女だった。髪が埃で、ごわごわになっている。
「私は服と髪。ヒゲはいらないから、その分まけてちょうだい」
『値切りが二件だ。どっちをいくらで受けるか、お前の商売だ』
「では、農夫さん。ヒゲだけだったら十枚で大丈夫ですよ。すぐにできます。そちらの女性の方も、了解です。髪と服で五十枚ですけど、もう少しまけても構いません」
ここで、俺はひらめいた。
「ただですね、これは変な意味で言うんじゃないんですけれども、もしよかったら、私が体のほうに触ってもいいというのであれば、服だけじゃなくて、顔とか、どこか気になるところを撫でて、きれいにすることもできますよ。いかがですか?」
旅の女は、すっと目を細めて、剣の柄に手をかけた。
「……『変な意味じゃない』って前置きする男ほど、変な意味なのよね」
『バカか、お前は。言い方ってもんがあるだろうが』
女は俺の顔をじっと見て、それから、ふっと肩の力を抜いた。
「まあ、いいわ。さっきの布屋の袖、見てたから。顔と腕と、首まで。それより下に手が来たら、指を一本ずつ落とすわよ。それで四十枚。どう?」
隣で農夫が、びくびくしながら自分のあごを押さえていた。
「はい、大丈夫ですよ。じゃあ、まずそちらの農夫さんのヒゲから剃りますね」
農夫のヒゲは、門番ほど濃くなかった。油をのばして、さっと剃り上げる。
「はい、きれいになりましたよ」
農夫はあごをつるりとなでて、ぱっと顔を明るくした。
「うんめえ! ……いや、うんめえってのも変だな。すっきりしただ! かあちゃんに自慢するべ」
農夫は銅貨を十枚、大事そうに数えて渡すと、何度も頭を下げて列に戻っていった。
……ああ、嬉しいなあ。なんか異世界来たけど、ああいう笑顔は変わんないなら、俺はこっちでも大丈夫かな。
旅の女が、腕を組んだまま俺の前に立った。
「次は私ね。手つき、ちゃんと見てるから」
「はい。最初に髪の毛と地肌をきれいにしてから、髪を整えます。そのあとで顔から首、腕から肩を撫でて、きれいにさせていただきますね。……で、こんなこと言うのは失礼かもしれないんですけど、もしよかったら足も出してくれれば、膝から下もきれいにしますよ」
女は片眉を上げて、俺をにらんだ。でも、少し考えてから、ため息をついてブーツの紐に手をかけた。
「……悔しいけど、旅で一番汚れるのは足なのよね。膝から下だけよ」
俺が撫でるたびに、埃でごわごわだった髪が、つやのある栗色に戻っていく。毛先をハサミでそろえて、顔、首、腕と汚れを取っていき、ときどき砂を捨てるふりも忘れない。最後に膝から下を撫で終えるころには、女はすっかり黙り込んでいた。
「……嘘でしょ。三日ぶりにお風呂に入ったみたい」
女は自分の腕を何度もさすって、それから小さく笑った。
「私はリサ。冒険者よ。……あんた、変な男だけど、腕は本物ね」
『足まで言い出した時は、今度こそ指を落とされると思ったぞ。……お前の度胸だけは、地球の知識でも説明がつかん』
俺は親指を立てて、にっこり笑った。
「どう? 気持ちよかったでしょ。今回は仕事だったけど、今度街の中で会ったら、プライベートでお酒飲もうよ。そしたら、どこまでもきれいにしちゃうよ」
ごっ。
リサの拳が、俺の頬にきれいに入った。
「……調子に乗るな」
それでもリサは、銅貨を四十枚きっちり数えて、俺の手のひらに叩きつけるように乗せた。それから、少しだけ振り返って言った。
「冒険者ギルドの酒場にいることが多いわ。……奢るなら、考えてあげる」
頬を押さえて、俺は去っていくリサの背中を見送った。
『殴られて、誘われて、金ももらった。お前の人生、何がどうなってるんだ。……とりあえず、頬を冷やせ。収納の水は、まだ冷たいぞ』
♦
『……頬は冷やしたか。おい、門のほうを見ろ。さっきの門番が、もう一人連れて戻ってきたぞ』
つるつるのあごの門番の後ろから、ひょろっと背の高い若い兵士がついてくる。兜の下から、髪が四方八方に飛び出していた。
『連れのほうは、ヒゲより先に髪が爆発してるな。今の稼ぎは銅貨二百枚分だ。調子に乗って吹っかけるなよ。門番は、これから毎日顔を合わせる相手だ』
「よう、床屋。約束どおり連れてきたぞ。こいつが相棒のハンスだ。見てのとおり、頭が爆発してる」
「先輩、爆発は言いすぎっすよ……。あの、俺、髪もヒゲも両方お願いしたいっす」
「あ、どうもっす。髪もヒゲもですね、任せてください」
俺がシザーケースを開くと、ハンスが目を丸くした。中には、長さの違うハサミが何本かと、コームとレザーが並んでいる。ハサミは、こっちに来る前に研いだばかりだ。
「おお、ハサミが何本も……。本物の床屋だ。俺、ちゃんとした床屋に切ってもらうの、生まれて初めてっすよ」
「立ち番は俺が代わってやる。その代わり、男前にしてもらえよ」
『ここは店じゃねえ。座らせる物も、切った髪を受ける布もねえぞ。どうする』
「何言ってんだ、クロえもん。座るのはそこの樽でいいし、切った髪は収納で吸えばいいじゃん。地球の常識で考えたらダメだよ」
『……ちっ。地球の知識しか持ってねえ俺に、それを言うか』
ハンスを樽に座らせて、値段を伝える。
「この辺の相場は分かんないですけど、ヒゲが五枚、髪が十枚で、十五枚でどうですか。中に入ったらもうちょっと取りますけど、門番さんたちには今日はサービスです」
「十五枚っすか。安いっすね!」
ハンスの髪は、触ってみると寝癖じゃなくて天然パーマだった。押さえつけるより、くせを生かしたほうがいい。俺は短めのマッシュにすることにした。短くしておけば、しばらくは形が持つし、伸びた頃にまた俺を探しに来てくれるはずだ。
ハサミを入れるたびに、落ちる前の髪を手首から先で吸い取っていく。ハンスの肩にも、足元にも、一本も落ちない。
『床も服も汚さねえ床屋なんて、この世界じゃお前だけだぞ。……短くしときゃ、伸びた頃にまた来るってわけか。見習いのくせに、商売がうまいな』
仕上げにヒゲを剃り終えると、横で見ていた門番が、ハンスの顔をまじまじとのぞき込んだ。
「……おい、誰だお前」
「先輩、ひどいっすよ! 床屋さん、俺、今どうなってます? 自分じゃ見えないんすよ」
『鏡なんて持ってねえだろ』
(持ってるよ。手鏡くらい、シザーケースに入れてある)
『……降参だ』
手鏡を渡すと、ハンスは声を上げた。
「うわ、なんすかこの鏡、めちゃくちゃはっきり映る! ……え、これ俺? 先輩、俺、男前じゃないっすか!」
「調子に乗るな。……だがまあ、悪くねえ」
「今日は本当にありがとうございました。門番さんたちのおかげで、中に入れます。中で商売するつもりなんで、よかったら使ってやってください」
ハンスが銅貨を十五枚、俺の手に乗せた。
「中で店出したら、絶対行くっすよ!」
「入場料の三枚は、今のでチャラにしてやる。中で困ったら、東門のハンスか俺の名前を出せ。俺はグスタフだ。……ほら、行け」
♦
門をくぐった俺は、思わず足を止めた。
城壁に囲まれた街の中に入るのなんて、生まれて初めてだ。振り返ると、さっきくぐった門が、内側から見ると驚くほど分厚い。
目の前には、石と木を組み合わせた家が、ずらっと並んでいた。一階が石積みで、二階から上は木の柱が見える造りだ。テレビで見たスイスの古い街並みみたいで、思わずため息が出る。
そして、通りを歩いている人たちを見て、俺は息をのんだ。
人間だけじゃなかった。頭に獣の耳が生えて、しっぽを揺らしている人がいる。その隣には、顔まで狼みたいな、獣っぽさの強い人もいる。さらに、日本人より一回り大きくて、筋肉がむきっと盛り上がっているのに、全体のバランスがよくて、やたらかっこいい男が通り過ぎていった。
『……地球のどの資料にも載ってねえぞ、あれ』
クロえもんの声も、さすがに少し呆然としていた。
俺は、本当に異世界に来たんだ。草原でも泉でも感じなかった実感が、ようやく胸の奥までしみてきた。
「……ケモミミかエルフのキャバクラはあるかな?」
『……バカが』
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