第9話 干し肉と、天秤と、肉屋のマルタさん
『おい、いつまでも突っ立ってんな。後ろの荷車が迷惑してるぞ』
クロえもんの声で、俺はやっと我に返った。振り返ると、荷車を引いたおじさんが、迷惑そうな顔でこっちを見ている。俺は慌てて道の端に寄った。
『ベルモンドが話を通しとくって言ってた、商業ギルドが先だ。キャバクラはその後で考えろ、バカ』
「分かってるって。……で、商業ギルドってどこだよ」
『それを今から探すんだろうが。それと、一個確かめたいことがある。天照のオバサンは「言葉は通じる」とは言ってたが、文字が読めるとは言ってねえ。そこの店の看板を見てみろ。読めるか?』
言われて、すぐ横の店の看板を見上げる。木の板に、見たこともない文字が並んでいた。ところが、じっと見ていると、なぜか意味が頭に入ってくる。
「えーと……『ヌランの肉入荷! ゲバルの干し肉、1ヒューム銅貨十枚!』」
『読めるのか。それは助かる。……だが、中身がさっぱり分からん』
クロえもんは、少し考えてから続けた。
『ヌランもゲバルも、地球にいねえ生き物だな。ヒュームってのは、たぶん重さか量の単位だ。日本語に置き換えられる言葉は訳されて、こっちにしかない物は名前のまま聞こえるのかもしれん。覚えとけ』
『そのへんの肉屋に、ギルドの場所を聞け。ついでに、ヒュームがどのくらいかもな』
店先では、エプロンをつけた女の人が、でかい包丁で肉を切り分けていた。四十くらいだろうか。
「オバさ……お姉さーん! ゲバルの干し肉っての、もらえる?」
「あらやだよ! お姉さんだなんて。ゲバルの干し肉かい? 兄さん、冒険者には見えないけど?」
「あはは、分かる? 俺ね、床屋なの。この辺初めてでさ、ゲバルの干し肉って何かなと思って。あと、俺がいたとこじゃヒュームって使ってなかったから、どのくらいかと思ってさ」
「そういうことかい。ゲバルってのは、駆け出しの冒険者がよく捕まえてくる獲物でね。ほら、これさ」
お姉さんが、台の下から生のゲバルを持ち上げてみせた。頭はカピバラみたいなのに、胴体はずんぐりしたツチノコみたいな、変な生き物だった。全身が筋肉質で、切り口は鳥の胸肉みたいな色をしている。普通の肉としても売っているけど、干し肉にすると日持ちがするから、旅人や冒険者に人気らしい。
「試しに、ほれ」
もらった干し肉のかけらを噛むと、鳥の胸肉を干したような味で、噛むほどにうまみが出てくる。
「うまいねえ! で、一ヒュームってどのくらい?」
「うーん、ちょっとオマケして、このくらいだね」
簡単なはかりに乗せられた干し肉は、片手で持つのがきついくらいの量だった。五百グラムは軽く超えてそうだ。
「じゃあ、それもらうよ」
「ありがとね」
お姉さんが、何かの大きな葉っぱで干し肉を包み始める。その間に、俺はこっそりクロえもんに聞いた。
(なあクロえもん、一食のメシ代で、干し肉ってあんなに買えないだろ? 物価安いのかな?)
『物価が安いんじゃねえ。比べてる物が違うんだ。メシ一食の十枚は、店で焼いて出す手間と場所代込みの値段だ。干し肉は材料そのものだろうが』
『それに、駆け出しがいくらでも獲ってくる肉なら、安くなるに決まってる。干し肉は水分が抜けてるから、あれ一包みで、旅なら何日か持つ量だぞ。あと、オマケはお姉さん呼びが効いたんだ。本当の一ヒュームは、あれより少し軽い。……それより、お前。ギルドの場所を聞くの、忘れてるぞ』
(もらう時に聞こうと思ってたんだよ。それにしても、どんなに安くても、日本じゃ乾物はこんな値段じゃ買えないよな。……ラノベだと、こういう時に主人公が「塩が安いのか……」ってカッコつけるんだよな)
『カッコつけてる暇があったら聞け。……と言いたいところだが、そいつは間違ってねえ。干し肉ってのは、塩をたっぷり使わねえと作れねえんだ。昔の地球じゃ、塩は高くて、税金をかけられてたくらいだからな。その干し肉がこの値段ってことは、この辺じゃ塩が手に入りやすい。海が近いか、岩塩が掘れるかだ』
『お前が言うと、ただのラノベ知識なのが腹立つがな』
「ほい、銅貨十枚ね」
「はい、十枚。……あとさ、商業ギルドってどこ?」
「ん? 後ろ向いてみな」
「え?」
振り返ると、通りの向かいに、白い石の柱がずらっと並んだ建物が建っていた。昔のギリシャの神殿みたいな造りで、屋根のてっぺんには、大きな天秤の飾りが乗っている。
『……真後ろかよ。言っとくが、俺はお前が見てる物しか見えねえんだからな。お前が振り向かねえ限り、俺にも分からん。今のは俺のせいじゃねえぞ』
『しかし、屋根に天秤か。地球でも、天秤は商売と公正の印だ。考えることはどこの世界も同じだな』
♦
俺は、天秤の建物を眺めながら、ふと思った。
(なあ、クロえもん。商業ギルド行って、何するの? スマホ売るかも決めてないし、床屋でやってくのかも決めてないし。先に飯でも食って、ゆっくり考えねえ?)
『……珍しく、まともなこと言うじゃねえか。確かに、何を売るか、何で食っていくかも決めずに行っても、受付で突っ立つだけだ』
『それに、門の外で何人も剃ってたせいで、もう日が傾いてる。知らねえ街で、宿も決めずに夜になるのは最悪だ。メシより先に宿だ。ギルドは明日の朝でいい。ベルモンドが話を通すにも、一晩くらいはかかるだろ』
『宿は、そのお姉さんに聞け。お前が自分で選ぶと、ろくでもねえ店に入りそうだ』
「お姉さん、俺この街初めてでさ。お姉さんのおすすめで、飯がうまくて、ちゃんとした寝床で、できればかわいい子がいる宿とか知らない?」
お姉さんは、包丁を持ったまま腹を抱えて笑った。
「あっはっは! 正直な兄さんだねえ。かわいい子なら、ほら、ここにいるじゃないか」
そう言って、自分を指さしてウインクする。
「冗談だよ。宿なら、この通りをまっすぐ行って、二つ目の角を右に曲がったとこの『麦穂亭』にしな。うちの弟がやってるんだ。一晩三十枚で、晩と朝のメシつき。メシのうまさは、あたしが保証するよ。……かわいい子? 弟の娘が手伝ってるけどね、手を出したら弟に肉切り包丁で追い回されるから、覚えときな」
『……やっぱりお前に選ばせなくて正解だった。それと、手を出すと、包丁を持った男に追い回される。今度こそ学習しろよ』
「あらあ、気をつけるよ。……それとお姉さん、ちょっとここに座ってくれる?」
俺は、シザーケースからハサミを出した。
「俺さ、床屋なの。お姉さん、自分で髪切ったでしょ? 宿を教えてくれたお礼に、ちょっとだけ整えさせてよ」
お姉さんは、目をぱちくりさせた。
「あたしを? やだよ、床屋ってのは男の行くとこだろ。女が髪を切ってもらうなんて、聞いたことないよ」
そう言いながらも、手は自分の髪の先をいじっている。肩の下でざんばらに切りそろえた髪は、どう見ても自分で切った毛先だった。
「……ほんとに、ちょっとだけだよ? 店番があるんだからね」
お姉さんは包丁を置くと、店の奥から木の丸椅子を引っぱり出して、そわそわしながら腰かけた。
『おい、武蔵。今の聞いたか。この街じゃ、女は床屋に行かねえらしい。ってことは、女の客は丸ごと手つかずだ。床屋の組合も、たぶんそっちには縄張りを張ってねえ。……とんでもねえ鉱脈かもしれんぞ。腕を見せてやれ』
俺は、お姉さんの髪をミディアムボブに整えていった。顔まわりは少し軽くして、毛先が内側にふんわり収まるようにする。ついでに、手のひらで髪と頭皮を撫でて、汚れもきれいに取っておいた。
「はい、できたよ」
手鏡を渡すと、お姉さんはしばらく黙って、鏡の中の自分を見つめていた。顔のまわりで揃った毛先を、指でそっと持ち上げる。
「……やだ、何これ。十は若返ったよ。頭まで軽くなって、すうすうする」
「俺ね、そのうち店を出す予定なんだよ。女の人も切るから、お姉さんの知り合いにも宣伝してね」
「兄さん、店を出したら絶対に教えとくれ。あたしはマルタ。この通りの女連中は、みんなあたしの客だからね。明日には噂になってるよ」
マルタさんは、鏡を胸に抱えるようにして笑った。それから、包んだばかりの干し肉の上に、もう一包み乗せてくれた。
「ほら、これは髪のお代のかわりだ。持っていきな」
女の人をきれいにして、こんなふうに喜んでもらえるのは、やっぱり嬉しい。俺は、さっきから顔がゆるみっぱなしだった。
『肉屋のおかみの口コミか。この通りの女全員に、タダで宣伝してもらえるってことだ。今日一番の稼ぎだぞ、これは』
『で、お前。なにニヤニヤしてる。……まあいい、今日のは許してやる。行くぞ、麦穂亭だ』




