第7話 一握りの砂と、布屋の商人
「すいません、商人様」
俺は、太った商人の前で、ぺこりと頭を下げた。
「今、ヒゲや髪を整える仕事をさせていただいてるんですけれども、せっかくいい身なりをしていらっしゃるのに、髪とヒゲが長旅で汚れてらっしゃるようです。よろしかったら、私に整えさせていただけないでしょうか」
俺は、理容室の接客で鍛えた話術と笑顔で、話を続けた。
「ヒゲと髪の両方で、そうですね、銅貨を五十枚ください。その代わりきれいに整えて、服のほうも、私の持ってる技能でちょっときれいにさせていただきますよ」
『おい待て、相場の十倍だぞ。それに服をきれいにするって、収納を使う気か。人前で使うなって、さっき言ったばかりだろうが』
商人は、ぼうぼうのヒゲをなでながら、俺を上から下まで眺めた。
「銅貨五十枚とは、ずいぶん吹っかけるねえ、兄さん。……だが、その身なり、旅の途中にしちゃ妙に小ぎれいだ。服をきれいにする技能ってのは何だい? 洗濯屋の真似事でもするのかい?」
「私、生まれつきなんですけど、一握りの砂ぐらいなら、なぜか吸い取ったりできるんですよ。だから体中を叩くときれいになったり、頭や顔を撫でると汚れが取れたりっていうのは、子供の頃からできるんです」
そう言って、俺は自分の服に土をすり込んでみせた。
そこを掌で撫でると、すり込んだ汚れが消えていく。
「ただ、一握りぐらいしか入らないから、物は入れられないんですけどね。それを使って、床屋になろうと思ったんですよ」
そう言って、吸い取った土を地面にパラパラと落としてみせた。
『……一握りしか入らない、ってことにしたのか。力を小さく見せて、全部は隠さない。悪くない嘘だ。ボロが出にくい』
「へえ、そりゃ珍しい」
商人は、あごに手を当てて考えこんだ。
「いや、待てよ。そういう小せえ加護を持ってるのが、たまにいるって話は聞いたことがある。火種がつけられるだけとか、水がちょろっと出るだけとかな。兄さんのも、その類か」
それから、にやりと笑った。
「よし、まず袖を一本やってみな。それで本当に汚れが落ちたら、髪とヒゲと服で五十枚、払ってやろうじゃないか」
『「小さい加護」はあるらしいな。いい情報だ。収納も、その手の話で通せるかもしれん』
「それでは、まずはこちらの右の袖をきれいにさせていただきますね。肩のあたりから、下のほうへ撫でさせていただきます」
俺は商人の右肩に手を当てて、汚れが取れろと念じながら、袖口までゆっくり撫で下ろした。
「はい、きれいになりましたよ」
手が通ったところだけ、袖の生地が本来の深い緑色に戻っていた。左の袖と比べると、まるで別の服みたいだ。
「……こりゃたまげた。染め直したみたいじゃねえか」
商人は自分の両袖を何度も見比べて、それから大きな声で笑った。
「よし、約束だ。髪とヒゲと服、全部頼む。五十枚払おう」
列に並んでいた何人かが、何事かとこっちをのぞき込んでいる。
『客が寄ってきそうだな。さっきみたいに、ときどき手のひらから地面に、砂を捨ててるふりをしろ。設定は守れよ』
(了解、了解。任せて)
「それでは、お任せください。まずは全身をきれいにさせていただきますね」
俺は商人の上着を、肩から背中、裾まで撫でていった。ときどき手を止めて、手のひらから地面に砂をぱらぱらと落とす。収納にしまった泥を、少しだけ出してるだけなんだけどね。
「いかがですか? 服のほうは、これできれいになりましたよ」
商人は自分の服を見下ろして、何度も裾をつまんで裏返した。旅の埃で白っぽくくすんでいた上着が、仕立てたばかりみたいにぱりっとしている。
「いやあ、参った。これなら商業ギルドの連中の前に出ても、恥ずかしくねえ」
列のほうから、「おい、俺もやってもらえねえか」という声が、ぽつぽつ上がり始めた。
「はい、声をかけてくださったお客様、ちょっと待ってくださいね。こちらのお客様の髪とヒゲを、これから整えますから」
待っている人たちは、「おう、順番な」と、案外おとなしく引き下がった。
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商人は荷車の縁にどっかと腰を下ろして、ぼうぼうの髪をかき上げた。
「俺はベルモンド、布を扱ってる。ヒゲは商人らしく、ちょいと威厳が出るように頼むぜ」
俺はハサミとコームで髪を整えながら、いつもの調子で話しかけた。
「ベルモンドさん、この辺りってどんな感じなんですかね? 安定はしてるんですか?」
「安定? まあ、この辺はいいほうだな。ここはリーベルの街、ハルトマン伯爵様の領地だ。伯爵様は見栄っ張りだが、商売には理解がある。おかげで商人には住みやすい」
ベルモンドは目を細めて、少し声を落とした。
「ただ、最近ちょいと妙でな。街道に魔物が増えてる。それと、北の王都のほうで『女神様が降りた』って噂があるんだ。ありがたい話のはずなのに、なんだか神官連中がぴりぴりしててよ」
『……おい、武蔵。女神様が降りた、だと。あのパシリのお姉さんを崇めてた国の話じゃないのか、それ』
(かもな。あとで考えよう)
俺は小声でクロえもんに返して、ヒゲに取りかかった。ぼうぼうだったヒゲが、口のまわりからあごにかけて、商人らしい整った形になっていく。ベルモンドは、水桶に映った自分の顔をのぞき込んで、満足そうにうなった。
「ほう、いい腕だ。こりゃ街の床屋より上だな。……で、兄さん。さっきから名前を聞きそびれてるんだが、何て呼べばいい?」
「これはすいません。私、武蔵と言います。実はこの辺の人間じゃなくて、よその町で女の人とちょっとトラブルがあって、逃げて逃げて逃げてるうちに、どこがどこやら分かんなくなっちゃって。で、こういう仕事をしようと思って、この町に来たんですよね」
「女から逃げて迷子か! そりゃいい、兄さんらしいや」
ベルモンドは、腹を抱えて笑った。
「ただ、お金の単位とかが、私のいたところと全然違うんですよ。門番さんに、ヒゲ剃りは銅貨五枚って聞いて、今回ベルモンドさんに五十枚ってお願いしたんですけど、これって五十枚分ございました? あと、もっと上になると銀貨になるんでしょうか」
「銀貨は銅貨百枚だ。その上が金貨で、銀貨十枚。まあ、金貨なんざ俺ら商人でもそうそう拝めねえがな。安宿なら一晩、銅貨三十枚ってとこだ。メシは一食十枚もありゃ、腹いっぱい食える」
ベルモンドは整ったヒゲをなでて、続けた。
「五十枚は、床屋としちゃ高い。だが、服まで新品同様にしてもらったんだ。むしろ安いくらいだよ」
ベルモンドは財布から銅貨をじゃらりと数えて、俺の手に乗せた。それから、もう一枚、銀色に光る硬貨を重ねた。
「こいつは祝儀だ。初めての街で、最初の客になった縁起物ってことでな」
『銅貨百で銀貨、銀貨十で金貨。宿が三十、メシが十。ようやく、まともに暮らせる物差しがそろったな。しかも銀貨一枚の祝儀か。この程度の文明なら、メシはたぶん朝晩の二食だ。宿とメシで一日五十枚、銅貨百五十枚あれば三日は暮らせるぞ』
「いや、いいな。ベルモンドさん、どうもありがとうございました。これで私も、やっていく目処がつきました」
ベルモンドは荷車の手綱を取って、振り返った。
「中に入ったら、商業ギルドに顔を出しな。武蔵って床屋が来たら、話を通しとくからよ」
『商業ギルドに顔が利く布屋か。最初の客にしちゃ、出来すぎだ』




