第6話 門番と、冷たい水のヒゲ剃り
泉を後にして、俺は街に向かって歩いた。
小指はまだ少し痛いけど、歩けないほどじゃないかな。
収納の水で冷やしたら、だいぶましになったよ。
しばらく行くと、石造りの壁と、大きな門が見えてきた。
門の前には、荷車や人がずらっと並んでいる。
「おお、ちゃんとした街じゃん」
そう言いながら、ふと自分を見下ろして、俺は顔をしかめた。
……ひどいわ。草原を歩き回って、虫を食って、泉に顔を突っ込んだせいで、服は泥と草の汁だらけだ。
髪もぼさぼさで、たぶん顔も汚れてる。
これで「床屋です」なんて言っても、誰も信用しないだろう。
(……あ、そうだ。ダンゴムシ)
生き物にくっついた汚れだけ、抜き取れる。だったら、俺自身にも使えるんじゃないか?
俺は自分の肩から腕、胸、足と、手のひらで撫でながら「汚れ、収納」と念じていった。
撫でたところから、泥も草の汁も、すうっと消えていく。最後に頭と顔を撫でると、髪のべたつきまで取れて、さっぱりした。
ちょっと人に言えない所まで念入りにきれいにする。
俺には異世界で叶えたい野望があるのだ!
「おー、風呂上がりみたいだわ」
『……その使い方は、思いつかなかった』
クロえもんの声は、本気で悔しそうだった。
『ダンゴムシの時、俺は床屋の客に使えるとしか考えてなかった。自分の体に使うって発想は、まるで抜けてた。……くそ』
『……あと、その念入りなところまで、全部俺に見えてたからな。二度とやるな』
「へへ、また俺の勝ちだな」
『調子に乗るな。それより、門だ』
♦
門の近くまで来ると、槍を持った門番が一人、つまらなそうに立っていた。
俺は門の向こうの街並みをきょろきょろ眺めた。獣人とか、エルフのお姉さんとかがいるキャバクラは何処にある?
そのためにさっき、念入りに体も服もピカピカにしたのだ!
『キャバクラの看板を探してキョロキョロするな。お前の目線は、全部俺に入ってくるんだぞ』
「さ、探してねえし!」
『どうだかな。いいか、門番ってのは、だいたい通行料とか身分証を聞いてくる。お前はどっちも持ってない。言っておくが、「異世界から来ました」とか正直に言うなよ。頭のおかしい奴だと思われて終わりだ』
「じゃあ、どうすんだよ。渡すものもないし、来る途中でいいものも拾えなかったしな」
『嘘は「遠くの田舎から出てきた」くらいにしとけ。細かく作ると、突っ込まれた時にボロが出る。それと、金はなくても腕はあるだろ。「床屋です、通行料のかわりにヒゲでも当たりましょうか」と言ってみろ。門番なんて、どうせ無精ヒゲだ』
「そうね」
『シザーケースは収納から出して、手に持っとけ。何もない所から急に出したら怪しまれるから、背中を向けてこっそりな。……それと、門番の顔をよく見せろ』
言われたとおり、背中を向けてシザーケースを出してから、門番に近づいて顔を見る。
あご一面に、黒々とした無精ヒゲが生えていた。だいぶ伸びてる。
レザーはあるから、剃れないことはない。問題は、石鹸がないことだ。泡なしで剃ったら、肌が負けて真っ赤になる。
『濃いな。売り込むには上等な客だ。……で、石鹸か。ヒゲは水を吸わせればかなり柔らかくなる。石鹸がなくても、油があれば滑りの代わりになる。門番なら、剣の手入れ用の油くらい持ってるかもしれん』
「なるほどね。……でもさ、収納ってこっちの世界で人前で使っていいのかね。それがちょっと分かんなくてさ」
『分からないなら、隠しとけ。この世界で収納がありふれてるのか、珍しいのかすら分からん。珍しい力だったら、目をつけられて面倒なことになる。……お前にしては、珍しく慎重だな』
「お前にしてはっていうかさ、お前も地球とつながってるんだから、ラノベとか読んで知識入れとけばいいんじゃないの?」
『読んでるわ、ナメるな。だが全部、人間が考えた作り話だ。信じて動いて、外れたら死ぬのはお前だぞ』
「物は言いようじゃねえかよ」
『間違ってないんだから文句言うな。それより、門番がこっちを見てるぞ。突っ立って独り言を言ってる怪しい奴にしか見えん。さっさと声をかけろ、愛想よくな』
♦
「あ、どうもどうも」
俺は、店でお客さんを迎えるときの笑顔を作った。
「私、床屋なんですけれども、実はお金を持ってないんですよ。代わりと言ってはなんですけど、ヒゲを剃らせてもらったり、髪を切ったりするんで、通してもらうわけにはいかないですかね」
「床屋だあ?」
門番は、うさんくさそうに俺を上から下まで眺めた。
「金もねえのに、ヒゲで払うってか。……まあいい、ちょうど伸びて鬱陶しかったところだ。そこまで言うなら剃ってみろ。ただし、一筋でも血が出たら叩き出すからな」
『食いついたぞ。油のことを聞くなら今だ』
「任せてくださいよ。ただ、今ちょっと石鹸がないので、よろしかったら剣の手入れ用の油とかあったら、少しいただいてもいいですかね」
「油? 剣に塗るやつならあるが……顔に塗って平気なのか、これ。ほらよ。水はそこの樽に汲んである、勝手に使え」
門番は腰の小袋から小さな瓶を出して、門の脇の木箱にどっかと腰を下ろした。
『匂いを嗅げ。獣臭いか、鼻にツンと来るなら顔にはやめとけ』
俺は水樽のところへ行って、水を汲むふりをしながら、手のひらに油を少し垂らした。そこに樽の冷たい水をかけてみる。獣の脂なら、冷やすと白く固まってくる。植物の油なら、固まらずにさらさらのままだ。
油は、固まらなかった。
(よし、植物油だな。これならいける)
ついでに手を洗ったふりをして、門番のところに戻る。
『……冷やして固まるかどうかで見分けたのか。獣の脂は冷えると固まる、理屈は合ってる。悔しいが、今のは俺より早かった』
♦
「はい、ちょっとここに腰かけたままでいてくださいね。顔に塗っても大丈夫な油なんで、少しだけつけますよ」
冷たい水でヒゲをたっぷり湿らせて、油を薄くのばしていく。門番が、くすぐったそうに目を閉じた。
「もみあげは、どのくらいにします?」
「もみあげ? そんなもん気にしたこともねえよ。……ああ、いや、兵士は耳の下までって決まりがあったな。隊長がうるせえんだ。それより短くすんなよ」
「もみあげにも決まりがあるって、ちゃんとしてるんですね」
「ちゃんとしてるっつうか、うちの領主様が見栄っ張りなんだよ。街の門番がだらしないと、よそから来た商人にナメられるってな」
『領主がいる街か。商人の出入りも多いらしいな』
「鼻の下とあごは、どうします?」
「鼻の下は残してくれ。口ひげは一人前の男の証だって、この辺じゃ言うんだ。あごはきれいに剃っちまっていい」
俺はレザーを取り出して、刃を寝かせた。
冷たい水と油だけだから、いつもより刃の当たりが硬い。でも、肌を指でしっかり張って、ヒゲの流れに沿って少しずつ刃を進めれば、問題ない。店長に、さんざん仕込まれたやり方だ。
じょり、じょり、と、小気味いい音がする。あごが終わったら、口ひげの形を整えて、もみあげを耳の下でそろえた。
「はい、終わりましたよ。いかがでした?」
門番は、自分のあごをなで回して、目を丸くした。
「……おい、なんだこりゃ。つるっつるじゃねえか。冷てえ水でこんなに剃れるもんなのか。血も一滴も出てねえ」
「私、こう見えても、なかなか腕はいいって褒められるんですよ。これぐらいだったら、入場料以上は稼げましたかね」
「入場料は銅貨三枚だ。街の床屋なら、ヒゲ剃りで銅貨五枚は取る。お前の腕なら、それ以上でも文句は言わねえよ。釣りが出るくらいだ」
門番は、つるつるのあごをなでながら笑った。
「よし、通っていいぞ。それと、交代の時間になったら相棒も連れてくっから、剃ってやってくれ。今度はちゃんと金を払う」
『入場料が銅貨三枚で、ヒゲ剃りが五枚。ようやく、この世界の相場の物差しが一本手に入ったな。……やるじゃないか、床屋』
♦
『で、どうする。門をくぐるか、交代の時間まで待って、もう一人のヒゲも剃って稼ぐか』
(どうしようかな)
俺は、門の外にずらっと並んでいる列を眺めた。荷車を引いた商人や、野菜のかごを背負った農民たちが、順番待ちでのんびりしている。あくびをしてる人も多い。
(交代まで待って、その間に列の人のヒゲを剃らせてもらうってのはどうだ。中に入ったら、ギルドとか色々うるさそうだし、門の外なら関係ないだろ)
『悪くない。いや、かなりいい。待ってる連中は退屈してるから、客にしやすい。ただし、まずこの門番に許可を取れ。門の前で知らん奴が刃物を振り回してたら、普通は怪しまれる』
「あの、すいません。交代の時間まで、並んでる人たちのヒゲを剃らせてもらってもいいですかね」
門番は、つるつるのあごで、列のほうをしゃくった。
「好きにしな。門の外のことまで、いちいち口出しする決まりはねえ。ただ、列を乱すなよ。揉め事になったら、俺は知らねえからな」
それから、少し声を落として付け加えた。
「あと、街の中で同じことをやるなら気をつけろ。床屋の組合がうるせえんだ。勝手に商売してると、すぐ因縁つけてくるぞ」
『床屋の組合か。お前の読みどおりだな。外で稼いで、中では大人しくしとけ』
「オッケー、オッケー。じゃ、ちょっと声かけてこようかな」
俺がシザーケースを持って列のほうへ歩き出すと、クロえもんが言った。
『狙うなら、荷車を持ってる商人だ。金を持ってるし、身なりを気にする。商談の前に、ヒゲを整えたい奴もいるだろう。……右から三番目の、太った男を見ろ』
言われて見ると、上等そうな緑色の上着を着た、恰幅のいい男がいた。ヒゲはぼうぼうで、髪も旅の埃でくすんでいる。
『ヒゲがぼうぼうで、いい服を着てる。あれが一番いい客だ』
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