第4話 赤い実と虫と、人力センサー
クロえもんの説教がひと段落して、俺は改めて自分の持ち物を確かめた。
と言っても、財布もスマホもシザーケースも、さっき全部収納にしまったところだ。クロえもんに「それをしまって、どうする気だ!」と怒鳴られたから、とりあえずしまってみたんだよね。頭の中で「出ろ」と思えば、ちゃんと手のひらに出てくる。そこだけは便利だ。
「なあ、クロえもん。スマホとかさ、こっちで高く売れたりしねえかな。異世界の人からしたら、すげえお宝じゃん」
『売れるかどうか以前に、この世界の相場が分からん。金の単位も、物の値段も、何一つな』
「あー……」
『まずは街だ。商業ギルドみたいな、物を売り買いする所があるはずだ。そこで相場を見てから考えろ。話はそれからだ』
「了解。じゃ、行きますか」
遠くに見える石造りの街に向かって、俺は歩き出した。空はまだ明るい。日暮れまでには、たぶん着けるだろう。
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歩き始めて、五分もたたないうちだった。
『待て。止まれ、武蔵』
「ん?」
『そこの、赤い実だ。見せろ』
道ばたの低い木に、真っ赤な実がいくつもなっていた。つやつやしてて、大きめのさくらんぼみたいだ。
「おー、うまそうじゃん」
『うまそう、で食えたら苦労せん。鑑定がありゃ一発だったんだが……まあいい。お前、鼻は利くか。嗅いでみろ』
言われるまま、顔を近づけて嗅いでみる。
「んー……甘い匂いだな。いちごっぽい」
『甘い匂い、な。自然界だと、甘い匂いは食っていい合図のこともあるが、毒で虫をおびき寄せるパターンも同じくらいある。……よし、ちょっと齧ってみろ』
「え、食うの?!」
『ほんの少しだ。舌の先に、ちょんと乗せるだけでいい。味を俺に教えろ』
仕方なく、俺は実の端っこを、ほんの少しだけ齧った。
「……うえっ! にっっっが!! ぺっ、ぺっ!」
口の中に、とんでもない苦さが広がる。粉薬を水なしで飲んだときの、あの苦さを百倍にした感じだ。
『ふむ。見た目は甘そう、匂いも甘い、だが強烈に苦い。典型的な「食うな」のサインだな。データ一個だ。この赤い実はダメ』
「お前なあ! 毒だったらどうすんだよ!」
『少量なら死にはせん。お前の体は、天照のオバサンが丈夫にしてくれてるからな。それに、苦くてすぐ吐き出したろ。体が正しく反応してる証拠だ。……お前の舌、意外と優秀だな。センサーとして使えるわ』
「褒められてる気がしねえ!」
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口の中の苦さを引きずりながら、さらに歩く。
『……待て。止まれ、武蔵。右腕だ。動かすなよ』
「今度は何だよ」
『袖のとこに、何か乗ってる。緑で、親指くらいの、脚がやたら多いやつだ。……なんで本人が気づいてないんだ。俺はお前の目を通して見てるんだぞ』
見ると、確かにいた。カナブンをひょろ長くしたような緑色の虫が、俺の袖にしがみついてる。
『払うなよ。せっかくの生きたサンプルだ。……なあ、武蔵。そいつ、食えそうだと思うか?』
「やだよ!虫なんか食ったことねえよ!」
『食ったことがない、は理由にならん。イナゴの佃煮って知ってるか? 日本でも普通に食ってる地方がある。蜂の子もだ。世界を見れば、虫を日常的に食ってる人間はいくらでもいる。タンパク質もしっかりあって、栄養も悪くない。虫を食うのは、人類のまっとうな食文化だ。バカにするな』
「お前、人ごとだと思いやがって……!」
『それに、街に着いてもメシが買えるとは限らん。野宿になったら、腹を満たせるのは苦い実か、そいつかだ。……いきなり齧れとは言わん。まず脚の数を数えろ』
俺は、ふと思いついて聞いてみた。
「なあクロえもん。お前、視覚はなんとかなったよな?」
『ああ、今も見えてる。脚の数くらい俺が数えろって話か? ……たぶん六本だ。昆虫だな。……おい、なんだその間は』
俺は袖の虫をつまみ上げて、じっと眺めた。見れば見るほど、気持ち悪い見た目だ。
「……このクソみたいな見た目の虫食ったらさ、お前も味、感じるのかねぇ」
『……は?』
頭の中の声が、一瞬止まった。
『い、いや、味覚はつながってない……はずだ。待て、視覚みたいに念じながら食ったら……おい、さっきのは撤回だ! その虫は食わなくていい!』
焦ってる焦ってる。ざまあみろだ。
俺はにやにやしながら、虫を口に放り込んで噛んだ。
ぐしゃっとした歯ごたえと一緒に、草をすり潰したような青臭さと、えぐい苦みが広がる。
「苦いよおおお、臭いよおおお……」
『……俺には何も来なかった。助かった』
「お前だけ助かってんじゃねえよ!」
口の中は地獄だった。赤い実の苦さと虫の青臭さが混ざって、もう何が何だか分からない。
「クロえもん、水! 水とかないけど、どうすんの?!」
『水はない。だが耳はある。黙って耳を澄ませろ。水の流れる音がしないか探すんだ』
言われたとおり、耳を澄ませてみる。風の音と、草のこすれる音と、遠くで鳴く鳥の声。……それだけだ。
「聞こえるわけねえだろ! 何の手がかりもなしに、いきなり耳澄ませて水が見つかるかよ! 太陽の位置とか、木の高さとか、なんかねえの? 使えなさすぎじゃね?」
『チッ……正論だ』
クロえもんは、しぶしぶ認めた。
『いいか。水は低い所に流れる。それと、緑が濃くて、背の高い木がまとまって生えてる場所の下には、だいたい水がある。お前の言う低い木は逆だ。獣道や、鳥が集まる方向も目印になる。そもそも街ってのは、水場のそばに作るもんだ』
「最初からそれ言えよ……」
『それと、今の「使えなさすぎ」は、ちゃんと覚えとくからな』
うるせえなあ、と思いながら歩いていると、左手のほうに、ちょっと変わった場所が見えてきた。そこだけ緑がやけに濃くて、地面がゆるく下がって低地になっている。鳥が何羽も、まっすぐそっちへ飛んでいく。
「おいクロえもん、見えるか?」
『見えてる。緑が濃い、低地、鳥がまっすぐ向かってる。三拍子そろってるな。ほぼ間違いなく水場だ。街からは少し外れるが、寄る価値はある。……な? 俺の言った通りだろうが。「使えなさすぎ」は撤回してもいいぞ』
「うぜえ……」
俺は口の中の苦さに顔をしかめながら、左へ向かって歩き出した。
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