第15話 働く女性のためのベリーショート
「初めまして。美容師の、松本武蔵です」
椅子に座ったネリーさんに頭を下げると、ネリーさんは目を丸くした。
「マツモト……って、家名があるのかい? あんた、もしかして貴族様なんじゃ……」
「あはは、違いますよ。元は松本家って、武士……この辺りで言うと騎士の家系ではあるんですけどね。百五十年くらい前のご先祖さんが商売人になって、家名だけが残ってるんです。子孫は人を斬るんじゃなくて、髪を切ってるっていうんだから、平和でいいことですよねー」
ネリーさんが、ぷっと吹き出した。カウンターの向こうで、ヒルダさんが黙って聞いているのが見えた。
「ネリーさんは、してみたい髪型とかありますか?」
「えー? 考えたこともないよ。女の髪は、縛って、伸びたら切ればいいって教わってたし。実際、みんなそうだしねえ」
「なるほど。俺、この辺に詳しくないんで聞きたいんですけど、しちゃいけない髪型ってあるんですかね? たとえば、短く切るのは禁止とか」
「うーん、禁止じゃないけど……。短い髪なんて、罪人か、旦那に罰で切られた女しか見たことないよ」
「ふんふん。あと、ネリーさんのお仕事は?」
「あたしはね、パン屋なの」
「道理で、いい匂いがすると思った」
俺はスマホを取り出して、写真フォルダを探した。向こうの店で撮っておいた、ショートカットの写真を出して、画面を見せる。
「これ、見てください」
「なんだい! すごくきれいな絵じゃないか」
「あはは、ありがとうございます。で、この髪にしてみません?」
「え、ええー……。確かにかっこいいけど……」
「ネリーさんって顔立ちがはっきりしてるから、すっきり短くしたほうが美人さんです。それに、パン屋さんですよね。これなら、こねた生地に髪が入ったりしませんよ?」
ネリーさんは、スマホの絵と俺の顔を何度も見比べてから、ぎゅっと自分のひとつ結びの髪を握った。
「パンに髪が入らないのは、そりゃありがたいけどさ……。でも、こんなに短くしたら、通りを歩けないよ。何をやらかしたんだって、じろじろ見られる」
「罪人の頭ってのは、ざんばらに刈られたやつだろ」
横で腕を組んでいたヒルダさんが、ふんと鼻を鳴らした。
「こんなに形のきれいな短い髪、あたしは見たことないよ。並べたら、誰も同じだとは思わないさ」
『……短い髪は、この街じゃ「恥」の印だ。ネリーさんが外で笑われたら、美容室の評判ごと地に落ちるぞ。スマホを「絵」だと思ってくれたのは助かったがな』
「ネリーさん。俺が切った髪で、ヒルダさんのとこの布の服を着て、それで笑うやつなんか、ほっとけばいいんですよ。この街の男は、女の人のきれいさに、もっと気づいたほうがいい」
ネリーさんは、しばらく黙ってスマホの絵を見つめていた。それから、ぷっと吹き出した。
「……あんた、口がうまいねえ。うちの亭主なんか、あたしが髪を切ったって、三日は気づかないよ」
ひとつ結びの髪をほどいて、ばさっと肩に落とす。
「いいよ、やっとくれ。どうせパンを焼いてる時は、粉まみれの頭なんだ。笑うやつがいたら、焼きたてのパンを顔に押しつけてやるさ」
「……『うちの布の服を着て』って、言ったね。聞いたよ」
ヒルダさんが、にやりと笑った。
「仕上がりがよかったら、ネリーさんに一着、見立ててやろうじゃないか。もちろん、二割引きでね」
「ちょっと、ヒルダさん! 髪だけのつもりだったのに!」
客を一人座らせただけで、ヒルダさんはもう服を一着売る算段をしている。さすがだ。
「ヒルダさん、蜜ろうと、匂いの少ない油ってあります?」
「あるけど、どうするんだい」
「まあまあ、任せてください」
蜜ろうと、椿油みたいなさらっとした油を器に入れて、奉公人の子に温めてもらうよう頼んだ。
「さて、では、いきますよ」
ジャキン!
ネリーさんの束ねていた髪が、根元からばっさり落ちた。その瞬間、店の中に悲鳴みたいな声が上がった。
布を選んでいた客たちが、棚の陰から身を乗り出してくる。奉公人の女の子は、両手で口を押さえて固まっていた。ヒルダさんだけが、腕を組んだまま、瞬きもせずに俺の手元を見ている。ネリーさん本人は、ぎゅっと目をつぶって、膝の上で両手を握りしめていた。
俺は、手を止めない。コームで髪をすくってはハサミを入れ、切った髪は落ちる前に手首から先で吸い取っていく。床には一本も落ちない。
耳が出るくらいまで短くして、襟足はすっきりと刈り上げる。てっぺんにだけ少し長さを残して、ふんわりと動きが出るようにした。眉を整えて、額から顔全体、首筋の産毛まで、撫でるようにきれいにしていく。
『……肌から出てる毛は、もう死んだ部分だから収納に入るってわけか。爪と同じだな。毛根は生きてるから残る。……つまり、また生えてくる。お前の「三月に一度」の商売、収納の仕様にまで合ってやがる』
奉公人の子が、温めた器を持ってきてくれた。蜜ろうと油がとろりと溶け合って、ほんのり甘い匂いがする。
『蜜ろうと油を混ぜるのか。地球で言う、ワックスみてえな整髪料だな』
俺は、それを指先に少しだけ取って、手のひらに薄くのばした。そして、ネリーさんにも、まわりで見ている女の人たちにも聞こえるように言った。
「このくらいの少しの量を、朝、さっと撫でるようにつけて、指で形を整えます。つけすぎは駄目ですよ?」
てっぺんの髪をつまんで、軽く動きをつける。それで、おしまいだ。
「さあ、『働く女性のためのベリーショート』、完成です。……目、開けていいですよ」
ネリーさんは、おそるおそる目を開けた。手鏡を渡すと、しばらく黙ったまま、鏡の中の自分を見つめていた。
耳が出て、首筋がすっきり見えている。てっぺんの髪がふわっと軽く跳ねて、顔の輪郭がくっきり浮かんでいた。
「……これ、あたし?」
ネリーさんは、そっと首筋に触れた。それから、短くなった髪を指でつまんで、鏡の角度を何度も変える。
「首が、すうすうする……。でも、なんでだろ。罪人の頭なんかじゃない。……なんか、かっこいいね、あたし」
最初に声を上げたのは、棚の陰で見ていた若い客だった。
「ネリーさん、きれい……! 十は若く見えるよ!」
「顔が、ぱっと明るくなったねえ」
「ねえ、その油、どこで買えるの?」
客たちが、わっとネリーさんを取り囲んだ。ヒルダさんはその輪の外で、蜜ろうの器に目をやって、ぼそっとつぶやいた。
「……蜜ろうと油なら、うちの棚に両方ある。小さな缶に詰めて売れば……」
ヒルダさんの頭の中で、銅貨が鳴る音が聞こえた気がした。
『……おかみさん、整髪料まで売る気だぞ。お前、髪を切っただけで、新しい商品まで一個作りやがった』
『「働く女性のためのベリーショート」か。いい名前だ。……「美容室」の看板を掲げてからの、一人目だな』




