第12話 母親のリボンと、マルタさんの平手
「お待たせー。じゃあ、切ろうか。エマちゃん、どんな髪型がいい?」
下に降りると、エマちゃんは厨房の前の丸椅子に、ちょこんと座って待っていた。結んでいたひもをほどくと、栗色の髪が背中の真ん中あたりまで、ばさっと落ちる。毛先は、あっちこっちに不揃いだった。
「どんな髪型って……」
エマちゃんは、困ったように首をかしげた。
「分かんない。いつも自分で、伸びたら後ろで切ってるだけだもん。前髪も邪魔だから、一緒に結んじゃってるし。……髪型って、選べるものなの?」
厨房の入口では、ガルドさんが腕を組んで、こっちをじっと見ている。右手には、研ぎ終わったらしい肉切り包丁が光っていた。
『おい、武蔵。この街の女は、髪型を「選ぶ」ってこと自体を知らねえんだ。お前が決めてやるしかねえぞ。それと、親父の包丁は見えてるな。髪以外に指が行ったら、三枚だ』
「うーん。エマちゃんはさ、あと一年もしたら、きれいな大人の女の人になると思うんだ。だから、それまでの今しかできない髪型にしよう。……ツインテールだな。大人になりきる前の今が、一番似合う髪型だ!」
「つい……てーる?」
エマちゃんが、聞いたこともない言葉に目をぱちくりさせた。
俺はまず、ばらばらだった毛先を、肩より少し下の長さで揃えていった。伸び放題だった前髪も、眉にかかるくらいで軽く整える。それから、髪を真ん中で左右に分けて、耳の少し上で、それぞれひとつずつ結ぶ形にした。
「結ぶひも、何かある? 二本いるんだけど」
エマちゃんは少し考えてから、奥の部屋に駆けていって、小さな木箱を持って戻ってきた。中には、色あせた赤いリボンが二本入っていた。
「……これ、お母さんのなんだけど。使ってもいい?」
厨房の入口で、ガルドさんの肩がぴくりと動いた。でも、何も言わなかった。
リボンを二本とも結び終えて、手鏡を渡す。
「……わあ」
エマちゃんは、鏡を見たまま左右に首を振った。そのたびに、二つに分かれた髪がぴょんぴょん跳ねる。
「しっぽが二つあるみたい! ……でも、かわいい。なんか、あたしじゃないみたい」
「……ガキっぽくねえか」
「お父さん!」
「……いや。似合ってる。そのリボンも、な」
ガルドさんはそれだけ言って、くるりと背中を向け、厨房に引っ込んでいった。
『……ツインテールか。地球じゃ、子どもっぽさと大人っぽさの間の髪型ってことになってる。お前の見立ては、間違ってねえ』
『それより、母親のリボンだ。親父の背中、見たか。……今のは、髪を切っただけじゃねえ。この家の止まってた時間を、少し動かしたんだよ』
「……やっぱり、喜んでもらうっていいなあ」
俺は、自分でも分かるくらい、にやけていた。
「ねえ、エマちゃん。もう少しだけ、眉とかも触っていい?」
「うん!」
眉の形を整えて、手のひらで顔や首まわりを軽く撫でながら、産毛もきれいにしていく。
「お母さんの化粧道具とか、残ってるかな?」
エマちゃんがもう一度奥に行って、小さな包みを持ってきた。中身は、紅とおしろいくらいだった。
おしろいを、ほんのうっすらとはたいてから、紅を指先に少しだけ取って、頬にぼかす。唇は、もともと血色がいいから、何も塗らなくていい。眉と産毛を整えただけの、ごく軽い化粧だ。
それだけで、エマちゃんの顔はぱっと明るくなった。
ちょうどその時、宿の扉が勢いよく開いた。
「ガルド、いるかい! 見とくれよ、この頭! ……あらあ!」
昨日のミディアムボブで現れたマルタさんが、エマちゃんを見たとたん、目を丸くした。
「エマ、アンタえらい別嬪になって!」
その騒ぎに、厨房からガルドさんが出てきた。娘の顔を見て、それから俺を見て、低い声で言う。
「……お前、髪以外、誰が触っていいって言ったんだ……」
スパーン!
次の瞬間、マルタさんの平手が、ガルドさんの頬に飛んでいた。
「いい加減にしな! あんたがエマを縛りつけてるから、彼氏の一人もいないんじゃないか! あんたの世話をさせて、嫁にも行かせないのが、あんたの親心かい!」
ガルドさんは頬を押さえたまま、口をぱくぱくさせていた。何か言い返そうとして、結局何も出てこないらしい。
「お、お父さん、大丈夫?」
エマちゃんが、慌てて父親の腕をつかむ。マルタさんは、腰に手を当てて、ふんと鼻を鳴らした。
「大丈夫なもんかい。この子が年頃だってことに、やっと気がついたんだろ。……ほら、よく見な。母親にそっくりになってきたじゃないか」
ガルドさんは、エマちゃんの顔をじっと見た。それから奥歯をかみしめて、天井を見上げた。
「……分かってるよ、そんなこと」
その間、俺は景色に溶け込んでいた。小さい頃からの特技なんだよね。
『……おい、武蔵。景色に溶けてる場合か。親父に「髪以外触るな」って言われてたのに、眉まで整えて、産毛まで取って、化粧までしたのはお前だぞ。三枚におろされるなら、順番は間違いなくお前が一番だ』
俺は、すーっと、この場で一番安全な、マルタさんの横に移動した。
「マルタさん、おはようございます! エマちゃん、かわいいでしょ?」
「あら、いつの間にそこにいたんだい? いやあ、かわいいわあ。死んだ母さんに似てきたねえ」
「俺も久しぶりに腕がふるえて、嬉しかったです。あと、時間があるなら、マルタさんの眉も整えさせてもらっていいですか?」
「あら、ほんとかい? 頼むよ」
その場でマルタさんを丸椅子に座らせて、ささっと眉を整え、顔の産毛もきれいにした。
こうして、話はうやむやになった。
「エマちゃん、その髪、下のほうで結んだり、上でまとめたりもできるからね。いろいろ試してみて」
「はい! なんか、舞台の女優さんみたいで嬉しい!」
「マルタさん、今日は?」
「いや、髪を見せに来ただけなんだけどさ」
「じゃあ、俺もギルドに行くんで、一緒に店まで行きましょうよ」
こうして俺は、マルタさんの陰に隠れたまま、無事に親父から逃げ出したのだった。
麦穂亭を出て、マルタさんと並んで通りを歩く。背中にガルドさんの視線が刺さっている気がしたけど、振り返らないことにした。
『……景色に溶けて、一番安全な女の横に出て、話をすり替えて、そのまま店から逃げる。見事なもんだ。床屋の腕より、逃げ足のほうが上なんじゃねえか』
『だがまあ、エマのあの顔と、親父の背中は本物だった。今日のは、許してやる』
『ギルドに着くまでに、何を聞くか決めとけよ。床屋の組合のこと、女の客のこと、それとスマホを売るかどうかだ。今度こそ、受付で突っ立つなよ』
「へいへい……、お前さあ、話長いよな」
『……うるせえ』
『……三行にまとめてやる。組合。女の客。スマホ。以上だ』




