第11話 研ぎたてのハサミと、五分だけの夢
窓から差し込む光で目が覚めた。下の階から、パンの焼けるいい匂いが上がってくる。
朝メシは、厚切りのパンと、ゲバルの肉を煮込んだスープだった。バンダナを巻いたガルドさんが厨房から顔を出して、俺と目が合うと、ふんと鼻を鳴らして引っ込んでいった。さっそく巻いてくれたらしい。
『やっと起きたか。親父の包丁で起こされる前で、よかったな』
『メシが済んだら、エマの髪だ。昨日はマルタさんと親父を切ったんだ、ハサミの手入れくらいしとけよ。床屋の道具だろ』
「そうだよなー」
部屋に戻って、収納からシザーケースを出す。昨日は寝る前に、まとめて全部しまっておいたんだよね。
ハサミを抜いて、刃を光にかざしてみた。
「……あれ?」
どう見ても、研ぎたてだった。昨日あれだけ切ったのに、刃こぼれ一つない。
手鏡を出してみると、こっちもぴかぴかだ。今日はまだ磨いてないのに。ついでにスマホを出してみたら、画面の右上に、満充電のマークが出ていた。
「てえへんだ、クロえもん!」
『落ち着け。ハサミが研ぎたて、鏡もきれい、スマホも満充電。三つとも地球から持ってきた物で、寝る前に収納にしまってた。……ってことは、収納の中で直ったってことか。時間が止まるだけじゃなかったのか』
『スマホはどうだ。トラックに突っ込まれた時、充電は満タンだったか?』
「たしか……ラーメン屋に入る時に、画面が省エネモードになってた気がする。だから、六十五パーセント以下だよな」
『なら、「来た時の状態」に戻してるんじゃねえ。「一番いい状態」に戻してるんだ。新品の状態だな。天照のオバサン、とんでもねえおまけをつけてくれたもんだ』
『ただ、全部の物がそうなのかは分からん。昨日しまった干し肉を出してみろ』
干し肉を出してみると、見た目は昨日のままだった。一枚抜いて齧ってから、残りを収納にしまい、もう一度出してみる。干し肉は、減ったままだった。
『決まりだな。直るのは地球から持ってきた物だけだ。こっちの物は、時間が止まるだけ』
『……待てよ。地球の物なら、欠けても収納に入れりゃ新品に戻る。じゃあ、ほんの切れ端だけ入れたらどうなる? おい武蔵、シザーケースの飾りひも、ちょっとだけ切って入れてみろ』
言われるまま、ケースの横についた飾りひもの端を、ハサミで少しだけ切った。切れ端だけを収納に入れて、それから「シザーケース、出ろ」と念じてみる。
手のひらに、新品のシザーケースが現れた。中には、ハサミもコームも手鏡も、ちゃんと全部そろっている。
俺の膝の上には、ひもが切れたままの、元のケースがある。
「うおおおおおおお!」
『おい、おい、おい! 増えてるじゃねえか! これ、無限仕入れだぞ! この世界に、こんな質のハサミも鏡もねえんだ。一個売るだけで金貨が取れるかもしれん。店なんか、一週間で建つぞ!』
「マジか! じゃあ商業ギルドなんか、俺たちで牛耳っちゃおうぜ!」
『おう、ギルドの長は俺たちだ。金庫を銀貨で埋め尽くして、お前は葉巻をくわえて――』
二人でさんざん盛り上がって、五分くらいたった頃だった。
「……あれっ? なんか、端っこ消えてねえ?!」
膝の上の、元のケースの端が、ぼんやりかすんでいた。触ろうとしても、指がすり抜ける。そのまま、五分くらいかけて、ゆっくりと消えていった。
『……俺の興奮を返せ』
しばらく黙ってから、クロえもんがぼそっと言った。
『……つまり、増やしたほうは五分だけの幻ってことか。そりゃそうだよな、そんなうまい話があるか』
「いや、消えたの、元のほうだよ。新品が残ってる」
『……あ、逆か』
クロえもんが、一瞬だまった。
『……なら、話が全然違うぞ。増えたんじゃねえ、乗り換えたんだ。同じ物は一つしか存在できなくて、新しく出したほうが本物になる。古いほうは、五分の猶予で消える。ケースを盗まれても、切れ端さえありゃ新品を呼び出せて、盗んだ奴の手の中のほうは五分で消える。保険としちゃ最強じゃねえか。今の新品の飾りひも、またちょっとほどいて、肌身離さず持っとけ』
「甘いな、クロえもん」
『……何がだ。言ってみろ』
「まず一つ。切れ端を入れた時点で、収納の中に新しい物ができてて、出すまで待ってるなら、わざわざ持ち歩く保険はいらねえ。次に二つ目。消えるにしても、それまでは二つ存在するんだから、片方を囮に残して逃げりゃいい。で、三つ目。外に二つあるうちに、また切れ端を収納したらどうなるか。それを確かめなくていいのかな〜?」
『……くそ。三つとも、俺が考えてなかった。お前、こういう時だけは、俺より頭が回るな』
『やってみろ。今すぐだ』
新品のケースの飾りひもを、もう少しだけ切って、収納に入れてみた。収納の中を探ると、確かに、もう一つ新品のケースができている。
ところが、出そうとしても出てこない。五分たって、膝の上の古いほうが消えたとたん、ようやく出せるようになった。
ついでに、ハサミを一本だけで試してみた。これも同じだった。新品にはなるけど、同じハサミが二本並ぶことはない。
「……これ、何個か切れ端を入れときゃ最高だな」
『まとめるぞ。地球から持ってきた物は、収納に入れると新品に戻る。切れ端を入れても、中で新品ができて待ってる。出したら、元のほうは五分で消える。外に二つあるうちは、三つ目は出せねえ。ハサミ一本みてえな単品でもいけるが、同じ物が何個も並ぶことはねえ』
『要するに、増やして売るのは無理だが、なくしても、壊されても、盗まれても、何度でも取り戻せるってことだ。床屋の商売道具が、一生なくならねえ。……悪くねえな。お前の言う通り、俺が甘かった』
その時、階段の下から、元気な声が飛んできた。
「武蔵さーん! まだー? お父さん、もう包丁研ぎ始めてるよー!」
『……おい。包丁を研いでるって聞こえたぞ。急げ』




