第8話:馬車の轍と、ひどく苦いスープ
懐が少しだけ暖かくなった私たちは、買い出しのため、海都の「上の街」と呼ばれる大通りへ足を延ばしていた。
ゴミ一つなく磨かれた石畳の上を、色鮮やかな絹や綿の服を着た人々が歩いている。
ジルは前を歩き、籠に入れた色鮮やかなトマトや香草を誇らしげに吟味していた。
「ふん。やはり上の街の食材は違う。これで今夜は、貴様にも本物の『美食』というものを……」
その時。
大通りの奥から、耳をつんざくような甲高いラッパの音が響いた。
豪奢な装飾が施された、白馬に引かれた馬車が現れる。
その周囲を固めるのは、純白のコートを羽織り、銀の胸当てを輝かせた騎士たちの集団だ。
彼らの馬の蹄の音が、石畳を規則正しく叩いていた。
ボトッ。
私の前を歩いていたジルが、持っていたトマトを一つ、地面に取り落とす。
馬車が近づいてくる。風に翻る馬車の旗に描かれた『双頭の鷲』の紋章。
それを見た瞬間、ジルの背中が強張り、息を呑む気配がした。
彼は咄嗟にひどく汚れたマントのフードを深く被ると、私の肩を掴んで路地裏の暗がりへと引きずり込んだ。
レンガの壁に背中を押し付け、息を殺す。
私たちが隠れた直後。
ジルが地面に落とした一番高価なトマトを、通り過ぎる騎士の白馬がバクッと一口で食べてしまったのが見えた。
馬車が通り過ぎていく間、ジルはずっとうつむいていた。
小刻みに震える背中と浅い呼吸から、ひどく動揺していることが分かる。
その夜のドンズ亭の厨房は、重苦しい空気に包まれていた。
ジルは無言でかまどの前に立ち、鍋をかき混ぜている。
だが、その手つきはいつもの滑らかなリズムを失い、木べらが鍋の底に当たるたび、カン、カンと小刻みで乱暴な音が響いていた。
彼は鍋の味見をすることもなく、ただ機械的に塩を振り入れている。
やがて、私の前に木皿が置かれた。
上の街で買った高級なトマトと香草のスープだ。
見た目は美しい赤色をしていて、湯気も立っている。
私はスプーンを手に取り、一口啜った。
「……」
強烈な塩辛さが、舌の上を痺れさせる。
それに加えて、焦げた香草の酷い苦味が喉の奥にへばりついた。
ジルは腕を組んだまま、虚空を見つめている。
「……焦げてるよ」
私は無言のまま、しょっぱくて苦いスープを二口、三口と飲み込み続ける。
喉が焼けつくように痛い。
でも、スプーンを置く気にはなれなかった。
「……おい」
私が食べる音にハッとしたのか、ジルが怪訝な顔をして、小皿に自分の分のスープを注ぎ、口をつける。
「……っ!!」
ジルは激しく咽せ返り、慌てて口元を押さえた。
「な、なんだこれは! 塩の分量を……それに焦げている! なぜ貴様、こんなものを黙って……!」
ジルが私の手から木皿を奪い取ろうとする。
私はそれを避け、最後の一口まで飲み干すと、ドンと空になった皿をテーブルに置いた。
胃の奥が熱い。しょっぱくて、苦い。
でも。
「……一番高いトマト、馬に食べられちゃったもんね」
私が見上げてそう慰めると、ジルは目を見開き、奪い取ろうと伸ばした手を空中で止めた。
彼の唇が微かに震える。
ジルはゆっくりとその手を下ろし、自分の顔を覆うようにして、深く、長く息を吐き出した。
「……ああ。全くだ。あの下品な馬め、許せん」
強がっているけれど、彼の声は少しだけ震えていた。
その夜、彼がペティナイフを研ぐ音は、いつもよりずっと心細く、頼りなく響いていた。




